なぜ日本では「中抜き」が多く見られるのでしょうか。中抜きは日本人の本性に根ざしたものであり、制度を変えても簡単には無くならないからです。
「中抜き」とは上から下への依存関係です。上の者が世話を求め、下の者がそれに応えるという関係から発生しているのです。
【権威に従う日本人】
日本では上位の権威に無条件で従うことが、習わしになっています。主人に仕えたり、家族や仲間の便宜を図ったりするのは分かります。世界のどこでもそうです。ところが日本人は、どこの誰とも分からない人であっても、ひとたび権威ある人だと知らされると、何も考えずに従ってしまうのです。
「水戸黄門」というテレビドラマがありました。それまで命を狙っていた悪代官だけでなく、親切にしてくれた庶民まで、印籠を見せられると一斉に土下座をするのです。日本人は、ことほどさように、権威に従ったり、権威により相手を屈服させるのが大好きなのです。
日本人は序列や権威を見分ける特別な嗅覚をもっています。それを直ぐに察知する人が偉いとされます。ネット上で「大企業なめんな」と息巻いている人々は、序列を知っているだけで、相手よりも上に立てると思っているのです。
【丸投げ体質】
日本人には丸投げ体質もあります。権威ある者が「後はよろしく」と言えば、下々の者が全てをやってくれます。忖度です。頼んだ方もよく分かっておらず、説明もありません。けれども頼まれた方は、細かい要望やクレームが出て来ても細やかに対応するのです。
このような仕組みが上手くいった時代もあったのです。巨大な系列から成る自動車産業では、仕様を擦り合わせて品質のよい製品を生み出すのに便利だったのです。しかし今は、仲間内での擦り合わせではなく、グローバルなコミュニケーション能力が必要な時代です。
【日本人の説明責任】
責任ある仕事には「説明責任」がついて回ります。顧客やステークホルダーに対する説明です。ところが日本では、社内の上司に対する説明責任がもっとも重視されるのです。「お客さんが納得してくれるかどうか」というのはどうでも良いのです。上司や社内の関係者から、何を訊かれても、完璧に答えられるように準備をする事が大切です。ここに最大のエネルギーをかけるのです。膨大なコストもかかります。
こうすることによって最終的に、頂点に立つ者に対して「卒なく全てをこなしました」と恭しく報告することができるのです。
【家畜化と日本人】
家畜化された動物は序列に敏感です。犬にしても、家の中で誰が一番えらい人間なのかを、驚くほど正確に嗅ぎつけます。日本人も同じです。家畜は屠殺される寸前まで主人に尽くします。日本人もまったく同じです。
人類の中で最も家畜化に成功したのが日本人というわけです。彼らは誰かに奉仕するために存在しています。中抜き屋のような寄生虫であっても無条件に従うのです。
【弱者に冷たく強者に優しい日本】
一方で、下々の人間は、あらゆる権利を奪われ、嘲笑され、野垂れ死にするまで何の援助も得られません。
日本人は寄付をしないと言われます。社会の弱い立場の人達をみんなで助けようという考えが無いのです。日本人はチップをケチることで知られています。「給仕なんかにカネを払えるか」と思っているのです。恵まれない人々にカネを与えるのではなく、巨大な組織にお布施をするのが日本人です。
権威ある人々も、自分が強欲であるとは少しも考えていません。彼らは下の者に「甘え」ているのです。ホステスに乱暴する客も、暴力を振るっているという自覚はありません。幼い子どもが母親に接するように甘えているのです。周りが自発的に世話をしてくれたり、好き勝手なヤンチャを許してくれたりするという訳です。日本では親でさえも、いい歳の子供に甘えています。
多くの日本人も実は甘えたがっているのですが、叶いません。自己責任と言われる社会だからです。貧乏なほど、厳しくて冷たい社会と向き合わなければいけません。日本人は下の者には、驚くほど傍若無人であり冷酷無比です。これとは反対に、階層を上がれば上がるほど、ぬくぬくとした甘い世界で暮らしていけます。
普通の社会では、成功者であっても、失敗したり信用を失ったりしたら転落してしまいます。ところが日本では、一旦、その業界で地位を得てしまえば、いくら失敗を重ねようが、ウソをつき続けようが守られるのです。
【甘えと無責任社会】
一般の日本人は、「あまえ」が通じないとみると「そねむ」「ひがむ」という状態になります。「とりいる」「とりこむ」といった行為も失敗すると「うらむ」ようになるのです。どんな仕返しをしてくるかわかりません。
だから日本人は、甘えたくても、他人との無用な接触を嫌がります。「すみません」と言うのは、他人から親切にしてもらうと恩が発生し、それを重荷に感じるからです。文字通り、そのままでは「済まない」状態に自分が置かれてしまうのです。
このような人間関係も、相手が死ぬことによって終了します。日本人は死ぬことにより神格化されます。葬式はその人物を神へと昇格させる儀式です。もはや甘えられることも、恩を売られることも、便宜を図ってもらう事もありません。生きている人に対して何の影響も及ぼしません。ようやく、人々にとって安心できる存在となるのです。日本人にとっての神とは、無力な赤子と同じなのです。
日本では、放って置くと、このような甘えによる依存関係がシステム化してしまいます。もはや人と人との関係ではなくなり、組織が続く限り同じ状態が続くことになります。非効率な組織で結果も出せませんが、誰も責任をとりません。上は下に甘えているだけですし、下は勝手に忖度しているだけだからです。無責任社会です。
【統合された人格を持てない日本人】
なぜ日本人は、このような幼稚で効率の悪い依存関係を好んでしまうのでしょうか。
そもそも人間は、ひとつの集団だけに属しているのではありません。企業の構成員であると同時に、家族の一員であり、コミュニティの構成員でもあります。日本人であると同時に、アジア人であり、世界市民です。その中でバランスをとり、一貫性や整合性を持った自分を保つ必要があります。これによって確固たる自我が生まれるのです。
ところが日本人は、帰属しているひとつの集団のことしか考えられないのです。だから時や場所に応じて、言っていることが矛盾します。日本人はその時々に応じて対象と同一化してしまうのです。周りが見えなくなり、客観的な視点も持てなくなります。
【これからの日本】
では、これからの日本人はどうすれば良いのでしょう。
外国のドラマや映画に現れる日本人は、スシ職人かヤクザです。この2つは奇しくも日本人の姿を象徴しています。頑固な職人と、たかり屋という訳です。「クール」に描かれていますが、この2つはだいぶ違います。
もしなるのだったら、職人の方が良いのではないでしょうか。例えば海外のスシ職人はかなりの高給取りです。失業の心配もありません。逮捕されたり口座を差し押さえられることも無いのです。
対して、たかり屋である中抜き業者はシロアリです。国の柱や土台を食いつぶし、ついには瓦解させてしまいます。しかも現場の担当者からすれば、中抜きなど面白くもなんともありません。仕事がラクなように見えますが、下手をすると全ての責任を負わされます。
そのうちに中抜き業者が一掃される日がやって来ます。日本の経済を回復させるにはそうするしか無いからです。そうであれば、今のうちから準備しておくに越したことはないでしょう。