kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

仕事の効率が悪い日本人

日本人の効率の悪さには定評があります。なぜ彼らはろくに仕事をこなせないのでしょうか。

 「私をスキーに連れてって」という映画がありました。その映画は、総合商社で働いている平社員の主人公が、オフィスで見積書を作っているシーンから始まります。見積書が出来上がるのを待つ課長は、勤務時間中ですがタバコを吸いながら週刊誌を読んでいます。昔の管理職はこのように何もしない人がよく居ました。週刊誌や学術雑誌を読んでいるのは未だ良い方で、会社に出てこないで遊んでいる人もいたのです。ネットも携帯電話も普及していなかった時代です。そもそも管理職は出社する必要はなく、トコロテン式に出世していけるのでそれでも良かったのです。

 

会社や官庁に採用される女性というのは、男性社員の花嫁候補でした。見た目や縁故採用で選ばれていたのです。彼女らは毎日の決まりきった庶務作業の他に、お茶を淹れたり机を拭いたり、お喋りに興じたり、あるいは静かに小説を読んでいたりしていました。上司でもないのに余計な仕事を頼むと露骨に嫌な顔をされたものです。

信じられないかもしれませんが、その頃は人事部が女性事務員と男性社員の縁結びをしていたのです。相当に見た目の悪い男性社員も居ましたが、そういった自分でパートナーを探せないような人でも結婚する事が出来たのです。

 

このように、まったく会社の業績に貢献しない管理職や社員を雇う余裕が昔はあったのです。多くの人を雇い、官僚機構を整備し、事業規模を拡大して売り上げを増やせば利益も増えるという単純な時代でした。

 

「プロジェクトマネージャーの仕事の8割はコミュニケーションである」と、まことしやかに言われます。「総合職の仕事は考える事とコミュニケーションである」と言う人もいます。しかし日本では、考えるのも皆と一緒にすべきであり、顔を突き合わせるのがコミュニケーションとなっているので、こんな状況下でも出社が求められます。

みんなで考えるので、昔は長時間の会議が当たり前でした。朝から夜中までです。タバコを吸いながら、みんなで「あーでもない、こーでもない」と言い合うのです。ホワイトボードに決まった事を書いてコピーを取るのは未だ良い方で、議事録も何も無かった時代があったのです。外資系のコンサルが仕切るようになってから変わりましたが、こんな非効率なやり方で仕事をしていたのです。ブレインストーミングだったとしても効率の悪い方法があったものです。

さすがに今では長時間の会議は忌避されるようになりましたが、その代わりに複数の案件の会議が次から次に入ってきます。それだけを見ると人が足りないようにも見えてきます。

SNSに「世界に誇るシンクタンクである霞が関優秀な人々がプランBを考えられないのは、公務員が足りないからだ」という書き込みがありました。「人が足りないから考えられませんでした」なんて言い訳が通用するのなら、使ってみたいものです。

「考えられる人」は少数です。「何が先に考えるべきことで、どれを後回しにするべきか」「どこに集中して考えるべきか」、そういった事が出来る人が実は少ないのです。

 

日本人がどれだけ効率が悪いかは、英語教育を見ても分かります。あんなに時間をかけてもほとんどの日本人は英会話が出来ません。試験に出るから勉強しているだけです。いったい何という無駄でしょうか。

日本では会社毎に文化が異なり、暗黙のルールがあるので、それを学ぶ必要があります。この社会では人間関係の調整に多くの時間を奪われるのです。グループウェアの「イイネ」ひとつにも気を使います。誤解を生まないように、また相手を説得する為に、対面での密な会話が欠かせません。頭で理解してもらうだけでなく「腹落ち」してもらわなければならないのです。口で喋っている事とは真逆なことを考える日本人を相手にする場合には、言葉を信用してはいけないのです。

日本語は、同音異義語が多い上にカタカナや漢字が混ぜこぜになっており、伝達効率の悪い言語です。アクセントもなく、口語では何を言っているのか分からない事があります。言っている本人でさえ、何を言おうとしているのか分かってない場合があるのですから、なおさらです。本音を探るには、いろいろな場面で相手と向き合って感情を読み取るしかないのです。 彼らは日本語さえ上手く使えないのですから、英会話など出来るようになる訳が無いのです。

ちなみに、日本人は仕事で人に恨まれたりしないように特に気を付けます。些細なメールの文面にも拘ります。目線の置き場所にも気を配ります。社内だけでなく、単なる業者相手でもそうです。そうやって出世した人は、一見人当りが良く「優しい人」に見えますが誤解してはいけません。保身の為にそうしているだけなのです。

 

仕事自体をとって見ても、時間に合わせてダラダラやるのが日本式です。3時間の仕事はきっちり3時間かけます。もし早めに終わらせてしまうと、上長や次の仕事をする人の期待を裏切り、彼らに無言の圧力をかける事になります。常に予測可能な行動をとるのが日本人というものです。大多数の凡人に合わせる護送船団方式です。

ホワイトカラーでも「手を動かす」ことを求められている末端労働者がいます。文字通り、考える時間を惜しんで常に「手を動かし」続けていなければなりません。手を休めて考えていると、ディスプレイに警告が出たり、ステータスが「退席中」になってしまいます。

未だに「考えてコミュニケーションをする人」と「作業をする人」の2つに分けてしまうのが日本人です。昔は確かに、ひたすら書類を手書きする人、計算する人、タイプする人などが会社に居た時代もありました。しかし今やその境界は曖昧です。重要な判断を下しコミュニケーションを図りながらも、ちょっとしたものなら自分で作れるような人が必要です。

 

日本人は睡眠時間が短いことが知られています。時間に追われていることもあり、寝ようとしても寝れない事も多いようです。

メシの量も足りません。いったい日本人は何だって、あんな少ない量の食事をしているのでしょうか。確かに食後は思考が鈍ります。昼を抜いたり、夜遅くまで食べない人も珍しくありません。その一方で、仕事をしながら駄菓子をポリポリ食い、カフェイン入り飲料を何杯も飲んだりします。自らを鞭打ち覚醒させながら、無駄な仕事を長時間に渡り行っています。創造性よりも、仕事に時間をかけているという事が大切なのです。

日本人労働者は日本が作るクルマと同じようなものです。外見や室内装飾といった表面は、実に綺麗に出来ています。傷はひとつもなく、チリも合っています。しかし大事な走りの性能は、いつも二の次なのです。

 

日本人はモノを作って安く売ることはできます。しかしプロジェクトを進めるのは苦手です。大規模プロジェクトの提案額は途方もなく高くなります。提案額には、高い社員のコストや、ベンダーの提案額も含まれています。そのベンダーの下には何重もの中抜き業者が居ます。利益率は社内で厳格に決まっています。プロジェクトにリスクがあれば、予備費も乗せる必要があります。社内は縦割りで融通が利きません。客よりも、社内の関係者を平和裏に納得させるのが大事なのです。

 

日本では重要な判断を行うべき人が、おかしな決定をしてしまう事があります。大戦前は、「アメリカと戦争をする」と決めた段階で悲惨な結果が見えていたのに、その方向に進んでいきました。緻密な真珠湾攻撃の計画を立てて成功したとしても、対米戦争自体が間違いだったのですから、意味がありません。

さらに彼らは、平和を訴えて交渉する一方で宣戦布告なしの奇襲攻撃を行いました。相手国民の怒りを買い、早期講和の道は閉ざされました。しかし想像力に欠ける日本人はほとんど気にもしなかったのです。講和の為ではなく、面子を保つための戦術的な大勝利を求めながらも願い叶わずに自滅しました。

優秀な人は、大きな成功がないかわりに、大きな失敗もしません。しかし愚者は大きな成功か、大きな失敗かのどちらかなのです。

若い頃にどんなに優れていても、日本の社会で成功し出世するには「バカ」になる必要があります。普段は「カミソリ」などと評されても、トップとしての判断が愚かであれば愚者と同じです。

  

以上、環境の変化、効率の悪いコミュニケーション、非効率な仕事のやり方、睡眠や食事、大規模プロジェクトの問題、思考力や想像力に欠けるリーダーについて語ってきました。それに加えて、変化を望まない国民の習性があります。多くは老人です。

「何の為にやっているかはどうでもいい。みんなと同じことを一生懸命やっているのが大切だ。そのためには安い賃金で長時間労働もやむを得ない」というのが、若い人も含めての考えです。これでは未来がありません。

 

日本の社会は、一種の強制収容所のようなものです。一度日本で生活してしまうと、もう二度と外には出られないのです。外では通用しない行動や考え方が身についてしまうからです。分かってはいても、国と一緒に心中するしかないのです。 

明治維新や敗戦時のような破壊と創造があれば、日本は変われるかもしれません。あるいは今度こそ「日本の終わり」となってしまう可能性もあります。

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