kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

いつも余裕がない日本人

日本人には余裕がありません。余裕が人間としての深みを与えます。それが豊かな文化や文明へとつながっていくのです。

 

若い見習い士官の日々をコミカルに描いた「スタートレック・ロワーデッキ」というアニメがあります。その第三話はこんなエピソードでした。宇宙船のクルーは、暗黙の了解で、適度な余裕を加味した作業計画を立てた上で仕事をしていました。ところがある士官の告げ口により「虚偽申告は許さない」という艦長の命令が下ったのです。

数週間後、艦内は大混乱に陥ります。バッファーが無くなり、全員が忙しく憑りつかれたように仕事をしています。致命的なミスも次々に起こります。

異星人の襲撃という大事に見舞われても、目の前の仕事をこなすのに懸命で、気にしている暇がありません。最後に艦長は、自分の誤りに気付き、もっとも大切なミッションだけを告げ、あとは現場の裁量によって仕事をするように命じるのです。

 

現代社会でも似たような事が起きています。上がまったく余裕の無いスケジュールを立てると、現場は大混乱です。結果として大規模なシステム障害を起こし、顧客に対しても多大な迷惑をかけます。

 

人は権力の証としてルールを作り過ぎてしまう傾向があります。政治家が思いつきで言った事を役人が忖度して法律を作り、それがシステムの一部として運用されます。

細かいルールは必ず害を及ぼします。終いに人々は何一つ創造的なことが出来なくなるのです。個人でも、シンプルな原則に従って判断するのが一番効率的なのです。即断即決が求められる場面で、保身の為に、いちいち細かいルールを思い浮かべていては手遅れになります。

キリストが「もっとも大切な命令は何か?」と尋ねられた時に「神への愛」と「隣人への愛」と答えました。現代風に解釈すれば「真理への愛」と「人々への愛」という事になります。

旧約聖書にはやたらと細かい規定が沢山書かれています。しかし共感力と知力が共に優れていたキリストは、ルールを定めて「ああせよ、こうせよ」とは決して言わなかったのです。

 

対して日本人を見ると「できるだけ上の地位が欲しい」「カネが欲しい」(でもお上に睨まれない範囲で)という原則に従って動きます。日本人がいつも戦略を過(あやま)てる所以です。

太平洋戦争を始めたのも、なかなか降伏しなかったのも、軍部の面子が何よりも大事だったからに違いありません。真理に即した単純な大原則に従ってこそ、正しい戦略が立てられるのです。

 

日本人は、自分が予測可能な範囲で他の人々が動くことを期待しています。皆が規則に従う事を求めます。そして人々はそれに応えようとします。だから日本人には創造的な活動が不可能なのです。

 

彼らには深みもありません。表面的なことに感心します。何か言われたら素早く反論するような人を「キレッキレッ」と称えます。TVに出ずっぱりのコメディアンや三百代言が最も知力のある人として皆の尊敬を集めています。

実際の社会でも、能力より、もっともらしい事を早口で自信満々に言える事が大事です。詐欺師としての才能です。

官公庁に定期的に提出する報告書には、定まった様式が無いものがあります。資料を作っても、あらゆる質問に対して答えらえるように準備しておかなければなりません。勤務時間の多くをそうした準備に費やします。

これが日本人の言う「説明責任(アカウンタビリティ)」です。広く利害関係のある人々に対する説明ではなく、保身の為に「お上」や上司に対して行う説明が重要なのです。

 

日本人の日常生活でも、あまり遊びがありません。家庭内の会話さえ貧弱です。家の中でも序列があり、それに沿ってコミュニケーションが行われています。

子供は母親の所有物です。そして妻は夫の所有物です。ただのモノに過ぎない対象に愛情を込めた言葉をかけてやる必要はありません。相手も上の意向を忖度して動きます。だから必要最小限の会話だけで済むのです。

言葉をかけたとしても、「勉強しろよ」「歯を磨けよ」「顔を洗ったか」といった程度だったりします。要するに「俺のいうことを聞けよ」と繰り返し言っているのです。

 

1960年代のプロパガンダフィルムを見ました。「無駄な消費をするな、輸入が増えてしまう。外貨獲得が必要だ。設備投資にカネがいる。稼いだカネは貯金しろ」と言っており、人々はそれに素直に従っていたのです。

日本人は今でも貧乏性なところがあります。なんでも節約してしまいます。コンビニの食糧はどんどん小さくなっていきます。人々は食事の量も節約しています。それが健康的だと思っています。しかし健康とは程遠く、多くの人が癌になって死んでいきます。

性行為でさえ「国家を富ませる」という目的が最たるものです。田舎の合同入社式で「少子化を防ぐために異性と遊べ」という訓示がありました。気持ちは分かります。「末端労働者に高度な教育は不要」というのが日本人の考え方です。そのためには経済的余裕が無くても子供を無理矢理作らせる必要があります。

 

同じく1960年のフィルムで、食堂や土産物屋の住み込みで働く若者をテーマにしたものがありました。寝るのは何時も深夜1時過ぎで、早朝5時には飛び起きて仕事の準備をします。「まかないメシ」をかきこむ以外はずっと立ちっぱなし、動きっぱなしです。深夜に皆で共同風呂に浸かる事だけが唯一の息抜きです。

ただ安いメシを提供するだけなのに、何故そんな長時間労働も働かせていたのか理解に苦しみます。休日は月に2~3度しかなかったそうです。

動画では、貴重な休みに繁華街をうろうろする若者を非難し、「青年の家」でフォークダンスを踊る男女を称賛していました。まるで「プローラ」を宣伝するナ〇スのようです。

 

日本人はもともとリーダーシップをとれる人間ではありませんが、教育の失敗により、酷い人物が増えてきました。まともに言葉を喋れない人間が組織を司(つかさど)っています。

賢人は馬鹿の使い方を知っていますが、馬鹿は賢人の扱い方を知りません。馬鹿が作ったおかしな規則に人々は右往左往しています。

 

社会には余裕が必要です。その為には個人レベルでも余裕がなければなりません。そうでなければ、芸術や学究も無く、文化や文明が衰えていきます。

今や日本人は、世界の変化についていく事ができません。「日本には日本のやり方がある」というのが多勢の意見です。変化についていけないから鎖国した方がマシと言うのです。それでいて誰かが何とかしてくれるのを待っています。

 

彼らは他人の言うことを聞きません。それなのに自助努力がなく他人任せです。自分の運命さえ自分で決められないとは、まるで子供ではありませんか。

時間厳守命令

https://www.youtube.com/watch?v=kDpQlKh87TM

おかあさんの学 ―暮らしと経済―東京シネマ製作担当 1962年 - YouTube

昭和35年 働く若者 - YouTube