kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人格に問題がある日本人

最近の日本人は、その卑しい本性を隠そうともしなくなりました。普段は文明人を気取って表面だけを取り繕っているのが日本人です。ところが、社会や環境が悪化すると途端にその親切そうな仮面をかなぐり捨てるのです。

 

ある新聞記者が、敗戦時にフィリピンで投降し米軍の収容所で暮らした体験を記した文章があります。これを読むと、日本人の性質が今に至るまでほとんど変わっていない事に気づかされます。彼らの本性を捉えるのに、敗戦時の混乱状態における日本人の記録は役に立ちます。(下記にある引用は、断りの無い限り、石川欣一の「比島投降記」からのものです)

 

(1)礼儀をわきまえない日本人

日本人は自分たちを「世界一、礼儀正しく親切な民族である」と自称します。ところが実態は全く違います。世界で最も不親切で失礼な人々です。

収容所のアメリ将兵は概して礼儀正しく、日本人捕虜が通り道に居たら、道が空くまで待っているか、体を折りたたむようにして通ったりしたそうです。ごく自然に、相手のパーソナルスペースを尊重する習慣があるのです。しかし時々道端で話していると後ろからドスンとぶつかって、そのまま黙って通り過ぎる失礼な輩がいたのです。それは全て、仲間であるはずの同じ日本人捕虜だったそうです。

日本人は職場の仲間や知り合いには礼儀正しい振る舞いをしますが、知らない人間相手だと途端に傲慢になるのです。その仲間内での礼儀にしても、悪く思われない為に仕方なくやっているだけで、人間に対する当然の敬意としてやっている訳ではないのです。

 

(2)差別主義

日本人は差別主義者です。先に挙げた新聞記者は、収容所で通訳として働いていた関係から、米軍の食堂で食べる事もありました。しかし、そこで差別的な扱いをされた事は一度も無かったそうです。

外国に留学している日本人が「差別をされた。留学した事を後悔している」と訴えている動画を観たことがあります。

どうやらテストの結果が悪く、その為に教師の部屋に呼ばれて、その際に「日本人なのに数学が出来ないのか」と言われた事にいたく傷ついたようです。また道端でトボトボ歩いていたら、前方から来る集団の一人に「ジャ○プ」と呼ばれた事を悔しそうに話していました。

「なんだその程度か」という気はしませんか。日本では、例え同じ日本人であっても酷い差別を受ける事があります。

日本でそこそこ上手くやっていた人が外国に行くと、それまでのようには行かず、ショックを受け外国嫌いになってしまう事があるのです。

最近の記事で「特殊詐欺事件の受け子の特徴が公的機関によって公表された」というものがありました。それは服装の特徴を誇張してイラストにしたものでした。人を見た目で判断して「気をつけなさい」、さらには「通報しなさい」とそそのかすとは何とも酷い話です。日本ではちょっとした見た目の違いで、直ぐに差別を受けます。外国人のような風貌をしていたら、永遠に外国人として扱われます。その人の行動ではなく、単純な見た目で判断しようとするのが日本流です。

 

(3)患者に無関心な医者

日本人の共感性の無さ、想像力の欠如、他人への無関心という特徴は、医者の態度からも見て取る事が出来ます。新聞記者が居た収容所でも同じだったようです。「薬品が足りないのなら必要な分だけ用意する」と米軍が言っているのに、日本人の軍医はやる気が無く無関心だったそうです。患者に対して親切な言葉をまったくかけないその姿に、記者は憤慨しています。医師会も無かった戦前は、医者は理系のエリートという訳ではありませんでした。

頭が良かったり地位が高いから冷血になってしまったというのでは無く、「他人への思いやりの無さ」というのは日本人に共通する要素のように思われます。恒常的に「他人を助ける」という場面において、その心性が良く表れるのです。

 

(4)暴力を常とする日本人

先に挙げた本で、日本人の上官がよく暴力を振るうのを見て、アメリカ人の将校が憤慨する様子が描かれています。彼は「上官は部下をスラップする事は許されず、袖を引っ張っただけで罰せられる」と語ったそうです。文明国と非文明国の差はこんな所にも表れます。日本人はよく他人に暴力をふるいます。教育の現場で、部活動の場で、成人になる前から繰り返し、暴言や身体的な暴力を受けます。

 

(5)世界から恨みを買う日本人

日本人はその本性が卑しいだけでなく、他人への共感力や想像力が足りないので、よく失言をします。「経済大国」として、物を売ってくれたり買ってくれたりといった、良い取引先である分には大目に見てもらえましたが、今や日本は衰退国なのです。相手を馬鹿にしていたら、何時の間にか身長差が開いてしまった小さなガキ大将のようなものです。それなのに他国に対する悪口雑言や言いがかりはエスカレートしているのです。

米国人は執念深く怨みを持ち続けるような人々ではない。(中略)しかしバタアンの「死の行軍」と、真珠湾の奇襲(米国人はスニーク・アタックと呼んでいる)とは、いつまでも彼等の心に残ると思う。前者は日本人が残酷であるということで。後者は日本人が決して信用することの出来ぬ国民だということで。

  

(6)文化を軽んじる

米軍は最前線にも、将兵の為に本や最新の雑誌を送り続けたそうです。本は重くかさ張るので、広告を取り除いた小型版をわざわざ作って送っていたのです。日本人記者は捕らわれる前に、フィリピンにも本を送って欲しいと訴えましたが「船が足りない」と却下されたそうです。その一方で将校達は「料理屋の畳が足りない」などと言って日本から畳をわざわざ搬送していたのです。日本人が文明や文化にまったく関心が無いことがわかります。

日本文化を南方に紹介するとは名ばかりで、将校用の料理屋に敷く畳を送るのに船舶を用い、船が足りないから本が送れないなどといっていた日本は、何が精神文化の国だっただろうか。

 

(7)残虐性

他人に暴力を振るう事でも分かるように、日本人は野蛮な心を持っています。しかも卑怯です。権威や権力には大人しく黙って従いますが、弱い者を虐めます。「自分たちは弱い者を攻撃する権利を持っている」と考えるのが日本人です。だからその権力を喜んで行使します。自分の楽しみのためです。どん底まで叩き落さなければ気がすみません。

日本人は「空気を読むのが得意だ」と言いながら、権威に阿諛追従しているだけなのです。上をおもんばかってさえいれば、その他の人間の事は考えなくても良いという単純な能力です。彼らは外国に行くと、途端にコミュニケーションがとれなくなってしまいます。

バタアン半島の「死の行軍」のあとは、証拠がために実地踏査をした。いまだに米兵の死骸がころがっている所もあり、比島人に何故埋めないのかと聞いたら、埋葬すると日本人が怒るからだと答えたという。マニラでの暴行から、さかのぼってはいわゆる「南京のレープ」に関する新聞記事まで想起して、日本人はどうしてこんなに残酷なのだ

 

(8) 人間的な親切心に欠ける

野蛮で悪意があるだけでなく、普段の生活でも人間的な温かみや親切心に欠けるのが日本人です。普通の人間は習慣的に笑顔を見せます。それが人間関係を円滑にするからです。日本人は相手に悪く思われて自分が不利になると感じた時や、ボスに賛同する時にだけ、お追従のように下卑た笑いを浮かべます。

また、他人に下手に笑顔を見せたり親切にしていると、却って「気味が悪い。何か下心でもあるのか」と思われかねないという理由もあります。日本人相手だと、相手との適切な距離を測りながら常に接する必要があるのです。

兵員の食堂で食事をした。(中略)丁度食事を終って立上ったGが、実にさりげなく、塩と胡椒の小瓶を右手の甲で押して食卓の上をすべらし、僕の前に置いて出て行った。(中略)なんということなく、習慣みたいに、こんなことをしたのである。

永井荷風の「一月一日」にも似たような体験が書かれている場面があります。 

或る日本人は
に、米国の家庭や婦人の欠点を見出しては、非難しますが、私には例へ表面の形式、偽善であつても何でもよい(中略)其の有様を見るだけでも、私は非常な愉快を感じ(中略)折角の美しい感想を破るに忍びない。(中略)少くとも彼等は楽しんで居る、遊んで居る、幸福である。

 

(9)上に行くほど無能な日本人

繰り返し指摘されている事ですが、日本の組織では上に行くほど無能な人間が現れます。彼らは無能として振る舞う事が期待されているとも言えます。

殖産興業や軍事力増強に注力し、兵隊や作業者を増やせば、売り上げも増えるし戦争にも勝てるという時代では、もはや無いのです。無能なリーダーが居るという事は、組織にとって最大のリスクです。そもそもそれでは、リスク管理さえ出来ないではありませんか。

上の者ほど仕事をしない(軍隊ばかりでなく、役所でもどこでもそうだ)日本の習慣は、ある階級に達した者が自分で仕事をすると(中略)威厳がないという非難を引き起すのだった。上役はふんぞり返って豪傑笑いをしている方が立派でもあり、政治性があるということにもなっていた。

 

日本人の人格にこのように多くの問題があるのは、幼いころから続く虐待によるものが要因のひとつでしょう。繰り返し虐待を受けると、思考力も共感力も損なわれていきます。それでいて心の底にある怨念は消えずに、どこかでそれを放出する機会を狙っています。それが他人への暴行や虐めへと繋がっていくのです。

 

外国では、日本アニメの小児性愛や残虐性が問題になっていますが、日本で問題になる事はほとんどありません。そういった媒体には、自分の思い通りになる弱い者を、しゃぶりつくして支配下に置きたいという日本人の本音が表れています。

彼らは人格的成長を遂げることが出来ずに、欲求段階が低いままに留まっているので、文明や文化といったものに大した興味を抱くことが出来ません。

 

日本人の精神は不安定です。彼らは動じ易いからこそ「平常心」を強調します。何も起きなかった事にするのが得意です。鈍感となるように自分を訓練します。歪んだ認知で物事を捉えます。平気な顔をして何も感じていないように振る舞い続けます。表面だけを綺麗に取り繕います。

しかし、ズバリと本音を指摘されると発狂します。これが彼らの克己心の正体なのです。

虐待の被害者から加害者へと続く、この連鎖をどこかで止めない限り、この問題は決して解決しないでしょう。

比島投降記 ある新聞記者の見た敗戦

一月一日