kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人やモノを使い捨てる文化が行き詰った日本人

日本人は未来に希望を抱いていません。投資をせず、消費もせず、ただ刹那的な投機にうつつをぬかしています。

ガチャガチャが流行っているという記事がありました。気持ちは分かります。ささやかな射幸心を煽るゲームです。小銭で遊べて、しかも裏切られる事がありません。ハズレの景品かもしれませんが、何かしらの見返りがあるのです。

 

日本人はもともとケチで貧乏くさい人々です。日本人の住まいは、仮住まいのような質素なもので、家具もほとんどありませんでした。

それが明治以降に激変したのです。彼らは身の丈に合わない重工業を興し兵器を作り始め、外国との無謀な戦争に全てを注ぎ込みました。彼らが何をしたかったのか良く分かりませんが、結果は敗北でした。敗戦後は、人々の心に絶望感や虚無感もありましたが、希望もあったのです。

占領軍による支配のもと、人々は新しい自由を手に入れました。公職追放によって社会の風通しが良くなりました。政府はハイパーインフレにより戦時国債などの債務を帳消しにする事ができました。希望が生まれたといっても、それは「生きるためなら、カネの為なら、なんでもやってやる」という価値観に基づくものだったのです。

 

無計画に近い、間に合わせのインフラも出来上がっていきました。外見や将来を考えて作ってはいないので、作っては壊すの繰り返しです。劣悪な賃貸住宅も蔓延しました。5畳ちょっとの部屋に家族が10人近く住んでいるような所もあったのです。体を曲げて眠るので「昼間も疲れてしょうがない」「息が苦しくて夜中に何度も目が覚める」「ノイローゼ気味だ」という人々の声が残っています。そもそも3畳ちょっとや、5畳ちょっとの賃貸住宅を作る人間もどうかしています。今の住環境だって、間取りは狭く生活音はだだ洩れです。日本人には想像力や人への思いやりが欠けているのです。

日本人はろくなインフラを残しませんでした。長期的な使用に耐えうるインフラがあれば、子孫はその恩恵を得る事ができます。美しく景観が整備され観光名所となれば、外国人が訪れてカネを落としてくれるかもしれません。しかし日本人は今でも京都、四季、富士山に頼っているのが現状です。

 

日本人はダンピングが大好きです。1960年代、都内にスーパーが現れるようになると、商店街は安売り合戦を始めました。売れ行きが悪くなると、直ぐに安売りやショボイ景品で人々を釣ろうとするのが日本人です。

 現代でも、会社は苦しくなるとダンピングを始め、コストカットに走ります。「現場の人間によるカイゼンでようやく利益を捻出しました」なんて末期症状です。電灯を間引きするとか、エアコンの温度設定を控えめにするとか、貧乏くさい事を続けている所もあります。劣悪な環境では、付加価値を創造する仕事はできません。

 

日本人は問題が発生した場合に、向き合って解決を図ろうとはしません。その代わりに「みんなで我慢しよう」「頑張ろう」と言うのです。だから何時までたっても根本的な解決は出来ずに、環境だけが劣悪になっていきます。これでは文明国とは言えません。

 

1960年代のフィルムを見ると、クルマが増えて騒音が問題になったが為に、道路の脇に騒音計が設置されて、その上に「もっと静かに」という標語が掲げられていました。なかなか信号が変わらない交差点では、人々が柵を乗り越えて道路を横断しようとします。監視している人間が「柵を乗り越えないでください、横断歩道の前にいればクルマは必ず止まってくれます」と叫んでいます。馬鹿げた光景です。道路を渡ることが全然出来ないから、人々はそうしているのです。

日本人は「緊急事態」と他人に向かって叫びながら、本人は何もせずに澄ましているような人々です。

 

矛盾していますが、日本人はカネを大事にするあまり、そのカネを投機につぎ込む人々でもあります。未来への投資ではなく、手っ取り早い利益に目が眩んだ「投機」です。そして負け続けています。普通のサラリーマンも余裕が無いのに、退職金も年金も覚束ないという理由で投機に手を出しています。博打と違い、手数料が低く 胴元が居ない公正なゲームだと思っているのです。自分の能力だけで勝負ができると考えて大損しています。「ミセス・ワタナベ」はいいカモです。

 

ちなみに、誰かが株を買えば、その人はどこかで売って儲けるつもりだろうと予想できます。空売りをすれば、どこかで買い戻して利益を得るのだろうと予想できます。相場の動きと照らし合わせれば、その目論見がディーラーには丸見えです。そうしてカモにされる事があるのです。だから相場師はあらかじめ、A系列の証券会社で仮に100株を買ったら、B系列のお店の口座では逆に100株分の空売りをしておきます。これが玉(ギョク)を仕込むという事です。これならば相場がどう動いても、損も得もしません。しかし一旦相場が、思惑通りに動けば、どちらかのポジションを解消して利益を得ていくことが出来るのです。これが「両建て」の意味です。

 

話を戻すとこういった、(1)警戒心が強く他人を疑いながらも権威に従順、(2)目の前の安物や利益に飛びつく、(3)日々のコストカットに夢中になりながらも投機に手を出す傾向が日本人にはあります。というのも彼らには、 (1)近視眼的で深く考えない、(2)自分だけ損をしたり機会を逸するのは何としても避けようとする性質があるからです。

結果として日本人は、目の前の危機を避けるために未来を犠牲にするのです。みんなも一緒なので怖くはありません。

 

今現在、大量の安物を売りつけて、壊れたらまた買ってもらうというビジネスモデルは崩壊しつつあります。それなのに日本人は、コストを削ってもっと安いものを作ろうとしています。何年かに一度開かれる祭典用に作られたスタジアムのショボさを見てください。新しい価値を創造するのではなく、安くすれば売れると考えるのが日本人です。

失敗が見えているプロジェクトでもぎりぎりまで粘ります。何段階にも渡って「中抜き」をした上で、最後は「コ〇ナが悪いんだから、中止はしょうがないよね」で、末端の零細業者や労働者にリスクを転嫁し、彼らに泣いてもらうのが日本流です。何も生み出さないどころか、人が消えていくのです。

 

植民地主義や大量生産、大量消費の波に乗って利益を食んできた日本ですが、いまや彼らの未来は行き詰っています。彼らは金融工学やITの表面をなぞるだけで、その意味を全く分かっていません。PCに向かっている人間を、昔のタイピストのように考えています。

義務教育レベルの庶民をむち打ち、先進国のやり方を真似しながら、それと同じ方向へと一斉に向かわせる方法が通用しなくなっているのです。人間のコストが安いのが日本の取り柄という時代は終わりました。

 

世界大学ランキングでの日本の順位は低迷し、修士号、博士号の取得者数も低いままです。高度な教育を軽視したツケを日本は払っているのです。

「どんなに劣悪な住環境で、粗末な食事や低賃金しか貰えなくても、死ぬまで頑張ります」などという、考える事をしない間抜けどもの居場所は、この世界には無いのです。


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