kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

統制経済が行き詰まった日本

日本の経済は行き詰まっています。国家主導による経済が成り立たなくなったからです。これを解決するには、国民主導による経済を育てていくしかありません。

 

日本は明治維新によって、初めて、中央集権の統一国家となりました。その一方で自由主義的な経済も発展していきました。太平洋戦争前は、強力な資本家が存在したのです。彼らは今のように、銀行から融資を受けるのではなく、市場でカネを調達していました。広大な土地と、数千人にのぼる小作人を抱える地方地主も存在しました。終身雇用は一般的ではなく、数年で仕事を変えていく人も多かったのです。

 

それが太平洋戦争によって変わりました。大企業も国の支配を受けるようになったのです。企業は、政府の意向を受けた銀行による融資によって、カネを調達するようになりました。今の大企業のほとんどが、その時の庇護を受けた企業です。純粋な戦後生まれの大企業は、ソニーとホンダしかありません。

 

戦争が終わると財閥のオーナーは追放され、小作人は解放されました。都内で借地住まいだった人は土地を得ることができました。こうして日本は、「世界で最も成功した社会主義国家」への道を歩み始めたのです。

 

戦後日本経済は、なぜ成功したのでしょうか。資源もなく戦争にも負けたのに成功したのです。何かが犠牲になったはずです。

戦争が終わった後にハイパーインフレーションが発生しました。国の債務は帳消しになりました。代わりに金融資産を持っていた財閥オーナー、地方地主、華族の資産の価値が目減りし、国家へ富が移転したのです。国は、再び莫大なカネを使えるようになりました。

さらに、経営者団体や、御用学者・有識者、メデイアが積極的に国に協力するようになったのです。そのうえ、土地を得た小作人や市民は、保守政党の安定した支持基盤となりました。

地方農家の次男坊、三男坊などが都会に出てきて、労働者となりました。こうして莫大なカネと、政府の言いなりで動く、銀行、大企業、有識者、メディア、労働者が手に入ったのです。

 

ヒトとカネは手に入りました。あとはモノです。「傾斜生産方式」により、石炭や鉄鋼などの、政府が重要と考える企業に、重点的にカネを投入したのです。計画経済により日本経済は順調に発展していきました。

主な分野は、輸出型重厚産業と、大量生産による組み立て産業です。石油ショックにより、奇しくも日本の小型車が売れるようになり、自動車産業は、日本経済の中心となりました。彼らは利益より量を重視する人々でした。市場の拡大こそが利益を得る方法でした。「大量に作って大量に売る」という仕組みが上手くいった時代だったのです。

しかしそんな彼らも、1990年代の、インターネット革命の時代に付いていく事ができなかったのです。

 

日本は産業基盤の構築には力を入れましたが、生活基盤については、ずっと手を抜いてきました。庶民が使う、電気、ガス、水道などのインフラは後回しにしても、大企業は発展します。ところが、庶民の生活に密着する部分でのデジタル化が進まなければ、これからの発展は見込めないのです。

インターネット回線は普及しています。田舎でもスマホは使えますし、光回線も利用できます。しかし庶民の生活に密着したデジタル化は進んでいるでしょうか。

 

役所への申請は、膨大な紙の資料が必要で、手書きで項目を埋めたうえ、証明書のコピーを貼り付け、それを郵送しなければいけないのです。手続きが1回で済めばいいほうです。しかもセキュリティはお粗末です。普段の買い物において、クレジットカードや電子マネーは利用できるようになりましたが、未だに現金が必要な場面があります。

 

大企業が単独でデジタル化を進めても、何の意味もありません。それも部署ごとの縦割りです。さらに彼らがやっているのは、デジタル化でさえなく、表面的な「なんちゃってIT化」なのです。デジタル庁が新設され、どんな会社にもデジタル推進部署がありますが、「やっている感」だけを醸し出しています。

 

現代は、国民のITリテラシーを高め、日常生活に密着する部分でのIT化を進めることによって、GAFMAのような企業が莫大な利益を得る世界なのです。5Gを整備して「ハイ、終わり」ではないのです。

国民を置いてけぼりにして、デジタル化、IT化を進めるなんて意味がありません。根本から間違えているのです。

 

役人はどうしても、まずは大企業にカネを回し、そこから、従業員や下請け企業にカネが回っていくという考えしかできません。カネを融資しても、補助金を渡しても、無駄なのです。企業は中抜きをしてカネを溜め込むだけです。まるで底の抜けたバケツです。末端にカネは回らず、富の分配が上手くいっていません。

 

現代は、ごく少数の天才によって経済がドラスティックに動く世界です。消費者は馬鹿でもいいのです。バカでもいいから、きちんと消費する「消費者」を育成しなければいけません。日本人は臆病なだけでなく、生活に余裕がありません。それでいて投機やギャンブルにうつつを抜かしている最低の連中です。

 

国内需要がないのに、その国が発展することなど有りえません。当たり前です。それでは、日本が、外国からの投資や労働者を歓迎しているかと言えば、それと全く逆のことをしているのです。

国民を貧乏にして日本を安売りしてきた結果、日本は大変な状況に陥っています。円の購買力は低下し、食料や半導体の調達でさえ買い負けてしまっています。

 

日本を、本来の自由主義経済国家に戻す必要があります。「株主資本主義からの脱却」など、時代に逆行しています。それは、今まで以上の経済統制、金融統制を敷こうという試みです。

大企業も官を当てにしすぎです。乳幼児のように国にしがみついています。融資を求めて官のご意向を伺います。何かあれば主務省に呼び出されてネチネチと嫌味を言われ、子供のように小さくなって話を聞いています。

個々の役人も、個人として語る場合には、他国や他人をよくバカにしています。しかしながら、国全体の政策においては結果を出せていない人達です。

 

日本の企業は、補助金や銀行からの融資を当てにするのではなく、市場からカネを調達すべきなのです。間接金融から、直接金融へということです。

そうすれば株価は自然に上がっていくことでしょう。土地や虚業に流れていたカネが株式市場に戻ってきます。株を買うのは投機ではなく、投資になります。

 

何より、国民の日々の生活に、未来が感じられることが大切です。そのためには生活基盤への莫大な投資が必要です。大企業にカネをバラまくのではありません。

 

しかし役人にそれが出来るでしょうか。自らの既得権益を削り、経済への介入を抑え、末端の国民のための政策を実行するということです。今までとは真逆です。

そういった気概を持った人間が、この国にいるでしょうか。

とはいえ、誰かが「官の見えざる手」を排除しなければいけないのです。

 

戦後日本経済史(新潮選書)

成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)

マッキンゼーが解き明かす 生き残るためのDX (日本経済新聞出版)

大手新聞・テレビが報道できない「官僚」の真実 (SB新書)

キャリア官僚の仕事力 秀才たちの知られざる実態と思考法 (SB新書)

官僚の責任 (PHP新書)

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