日本というのはどこか、国全体で情緒不安定な人格を思わせるところがあります。個々の人々を見ていても、そのような傾向が見られます。世代を超えて受け継がれる、この異常性は次のような特徴を持っています。
(1)自己像の欠如
「~を出た、~に勤める人」というものでしか、自分を規定することができません。「日本太郎」という名前を持った特定の個人では意味をなさないのです。自己像が曖昧なため、周りの評価に敏感です。退職したらもはや「ニッポン」というブランドしか、すがるものがありません。人々は「日本が海外でどう思われているか」というのを常に気にしています。
(2)見捨てられることへの潜在的な恐怖
自己像が曖昧で、他人の評価に拠っているために、常に他人のご機嫌をうかがい、ベタベタ寄り添おうとします。子は親に、親は子に、社員は会社に、個人は日本に、そして日本は海外の「ニッポン、スゴイ!」という評価を必要としています。常に「他人」という「鏡」を求め、そこに写る歪んだ自画像にうっとりとします。もしそういった妄想に浸れない程の厳しい現実に居合わせると、例えば隣国に対し、「最近は中国にばかり寄り添っていて、日本を軽視している、けしからん!」と騒ぎ立てます。
(3)「敵か味方か」のような極端な二元論
真の自己像を確定できないだけでなく、他人も、複雑でありながら統合的な主体としてみる事ができません。そのため、きりっと表面だけ澄ました自慢の自画像を認めてくれるか、そうでないかで、相手の評価ががらりと変わってしまいます。「日本スゴイ!」と言ってくれる外人なら味方、少しでも苦言を呈したら「反日だ!」と判断するような幼児性を持っています。
(4)不安定な感情
日本人はどこか神経質でイライラしたところがあります。家庭で衝動的に怒鳴り散らしたり、職場で突然、部下を罵倒したりします。感情が安定しているように見えても、匿名掲示板やSNSで陰湿な書き込みをして、日頃の鬱憤を解消し、極右的な論調に賛同し「そうだ、そうだ、もっとやれ!」と叫んでいます。
(5)刹那的な安心や快楽を求める
日本人は恒常的な自己像が無いため、過去も未来も考えず、ただ現状をどうにかする事にだけ汲々としているように見えます。過去の文化的遺産を大切に守っていこうと考えている人は少なく、「このまま行ったら国はどうなるか」と真剣に心配している人も少数です。
手っ取り早くカネになる方法を追い求め、壊しては作り、を繰り返しています。過去は改ざんされ、彼らが描く未来は歪んでいます。人々はアルコールに酔い、男女ともに不倫や痴情を求め、ささやかなギャンブルを楽しみとして、日々を過ごしています。
(6)破壊的な傾向
自分という主体に自信を持てない為、自傷行為によって、相手の注意を引きとめようとする所があります。
日本人は普段から自分をいじめるのが大好きです。シゴキやイジメに耐え、無意味な努力や長時間労働、下積みやパシリを自ら行う事が賞賛されます。
上辺だけのイメージがはがれる事への不安があり、表面だけ綺麗にして取り澄ましていますが、いざとなれば本性をむき出しにして、破壊的な行為に走ります。
破壊的行為は自己に向かうこともあれば、他人を巻き添えにすることもあります。
(7)虐待されながらも、相手にすがりつき、支配される事を求める
日本人は非人道的な扱いをされながらも、「パシリ」として自分を扱ってくれる、そのように自己像を決定してくれる支配者を求めて、結局はその状態へと還っていきます。彼らにとって、各人の立場が固定化され、対人関係が単純な、組織の一員で居ることは大変心地よいのです。
「ひとりじゃない」と言われて社会の一員になりますが、何かあると「自己責任」と言われて見捨てられます。それでも再び、彼らはその集団に戻っていくのです。
(8)虚無感
思考の末に至ったニヒリズムではなく、「自分も他人も無意味なのだ」という、病的でどこか悟ったような虚無感を潜在的に抱いています。彼らの顔は全く楽しそうに見えず、毎日のように起こる飛び込み自殺にも、学校や職場で見られるイジメにも何とも思わない感情の鈍さが在ります。それどころか自身の運命にさえ無関心なように見えるのです。
(9)妄想に陥り易い
自己像が不安定なために、ちょっとした事で、他人や他の集団から攻撃されていると感じ、非現実的な妄想を抱きます。ついには「他の国が寄ってたかって日本をいじめている」という妄想に陥り、非常識な言動に走ります。
このような特徴を持った集団の行き着く先は、破壊的行為です。「俺達を認めろ! そうでなければ死んでやるぞ!」という訳です。それも他人を巻き込むような破壊行為です。
「まさか、そんな幼稚な動機で国は動かないだろう」と思うでしょうが、集団として持っている民族的気質や傾向は、簡単には変わらず、歴史の中で、繰り返し繰り返し、似たような行動をとらせ、それが文化や社会、家庭のあり方、さらには国の未来を決定します。
日本の歴史を冷静に振り返ってみてください。太平洋戦争を「自らの国力を試そうとした」と評した学者がいましたが、案外、本質的な事を捉えていたのかもしれません。強い自己像を求めて武力を増し、最終的にはそれを誰かに使ってみたくなる、日本は再び、そういった過程を歩んでいるのです。