「世界を支配している民族は?」と問わば、その答えはアングロ・サクソンとなるでしょう。覇権国家であるアメリカの支配層は典型的なアングロ・サクソンです。彼らはどういった特徴を持ち、どのように現在の力を得たのでしょうか。日本は彼らとどう関わっていけば良いのでしょうか。
アングロ・サクソンは貪欲です。土地と富に対する貪欲さです。そのために大きなリスクを取ることも厭いません。この積極的な貪欲さが文明の発展に寄与した事は否めないでしょう。また核家族を中心とした社会であり、余所者に対しては排他的です。敵と看做したものには容赦がありません。ただし言語能力に優れており合理的に考えるので交渉によって取引が成立する余地があります。
彼らの風貌について云えば、長身痩躯、面長で、細くて矢尻のような鋭い鼻を持ち、広い額は張り出し、眼窩は窪んでいます。戦士の兜には、鼻を守る為の覆いが付いていました。
他の民族と比べてかなり特徴的な風貌です。その昔に人為的な淘汰があった事が予想されます。醜い者や弱い者が産まれて来ても直ぐに打ち捨てられたことでしょう。彼らはケルト民族とも融合しながら、ヨーロッパの一大勢力となっていきました。
バイキングとアングロ・サクソンの戦いを描いた「The Last Kingdom」というTVドラマがあります。その中でアングロ・サクソン側の将が、戦いの最中にわざわざ敵の後方に回り込み、女王の首を狩り敵の眼の前で「お前に土産がある。女王の首だ」と言って生首を地面に叩きつける場面があります。逆上したバイキングの将は後先を考えずに一人で敵の集団に討ちかかって行きます。勝つためには手段を選ばないのがアングロ・サクソンです。
そんな彼らも代を重ねるにつれ穏やかな風貌となり「紳士」を自称するような時期もありました。とはいえ基本的な性質は変わっていません。
アングロ・サクソンがここまで成功した理由には偶然の要素もあります。もし彼らが自身の文化の中に閉じこもっていたならば、単なる北方の野蛮人のままだった事でしょう。戦闘的な人々ですが外に対しては開かれています。彼らが南方や東西へ侵襲するにつれて、多様な文化に触れる事になりました。幸いなことに南欧や中東は当時の世界でもっとも刺激的な場所でした。それらの良いところを偏見なく取り入れていったのです。
彼らに大きな影響を与えたのはキリスト教とギリシャ・ローマの文化的遺産です。
キリスト教は侵略行為に大義名分を与えてくれました。彼らが「選ばれた民族」であり「地を支配する」使命を持つというお墨付きが得られたのです。王侯貴族による支配も正当化されました。ユダヤ民族のために作られた教義を、彼らは巧みに自分たちのものへとすり替えたのです。「勤勉さ」によって「現世で報われる」という16世紀からの教えは庶民にまで行き渡り、それが文明を押し広げる大きな活力となりました。
ギリシャ・ローマの遺産を引き継ぎいた事もヨーロッパ文明の発展に大きく寄与しました。長い歴史のなかで人類の文明は何回も途絶しています。しかし今回は幸運にもギリシャの写本がイスラム文化圏に存在しており、争いを繰り返す中でそれを受け継ぐことができたのです。
修道院のように学問や研究に無限の時間を使える場があったことも幸いでした。神学を中心とした高等教育機関も整備されていきました。実学ではなく、神学が一段高いものとして扱われていました。
つまり抽象的思考に重きが置かれ、生活の心配をすることなく、社会に直接には役立たないような思索に身を捧げることができたのです。それにより優れた政治や社会の仕組みや、物理や数学における原理が見出されることになり、結果としてその影響が実学にも及んだのです。
しかし単にそれだけだったとしたら、彼らの文化はヨーロッパの一文化圏にとどまったことでしょう。貪欲に富を土地を求め、多文化圏と積極的に接触して支配下に置くことで彼らは世界的な文明を築くことができたのです。「日の沈まぬ帝国」を作り上げ、アメリカという広大な資源大国を生み出しました。
日本はスペイン、ポルトガル、オランダに対しては適当にあしらう事ができました。しかしアングロ・サクソンの圧倒的な力を眼の前にしてはひれ伏す事しかできませんでした。彼らは土人を喜ばせる術も心得ています。ペリー提督は蒸気機関車の1/4の模型を積んで来ており、日本の幼稚な役人がそれに跨がり葉をむき出しにして喜んでいたという記録が残っています。
日本人は表面的な文明を身につけることは出来ました。けれども「西洋に追いつく」という具体的な目標を失ってしまうと途端に迷走し始めたのです。「八紘一宇」などというスローガンを作ってはみたものの、深い思想に基づいたものではなかったので、ぽっと出の田舎者が暴力により弱い現地人を支配するという構図以上のものにはなり得なかったのです。短期では成功することがあっても長期では失敗します。
日本の政治家や役人は信じ難い馬鹿ばかりです。視野が狭く思考が浅いのです。100年先どころか10年先でさえ考えられないような人達です。彼らが人類の行く末を左右する重要な決定に携わる事は絶対にあり得ません。彼らは「思想」を理解できません。日本は初等教育と中等教育を充実させただけの国でした。高等教育は名ばかりで機能していません。日本の大学は大学ではありません。使い倒すことのできる労働者はいても優れた人材はほとんど居ません。子供の頃に天才・秀才と呼ばれる人は多々居ますが、その後が伸びません。大人になればただの凡人です。自分で考えられないような人間は、強い者にかしずくより他はありません。
結局日本は、幕末の時以上にアングロ・サクソンへ屈服することになったのです。「鬼畜米英」などと呼んでいたのに犬のように尻尾を振りながら喜んで仕えています。それはもちろんメリットがあるからです。支配層もですし、一般庶民もです。覇権国家の下でおこぼれに預かっていれば、それなりの益を得られます。
底辺の庶民は苦しむことがあるかもしれませんが、支配層にとっては良い事ばかりです。彼らの敵は宗主国や中国・北朝鮮・ロシアであるはずがなく、むしろ一般庶民です。彼らが歯向かう事がないように、疑問を抱くことがないように、徹底的に骨抜きにして弱体化する必要があります。
現在の覇権国家が覇権国家でなくなる時。それがアングロ・サクソン支配の終焉となります。それは資本主義の終わりでもあるかもしれません。世界的な金融緩和によって積み上がった債務を帳消しにするには、破壊的な規模の戦争が必要となるでしょう。その時にギリシャ・ローマ時代から続く文明も終了し、いったん途絶する可能性があります。
それはもちろん望ましいことではありません。頻繁に起こる争いは異なる文化圏の衝突ではなく、いかに人類の文明を継続させていくかという文脈で捉えるべきです。そのような長期的視点を持っているのは、限られた民族の限られた人々でしかないのです。