日本人は投機が大好きです。将来のためには必要不可欠なものとさえ思っています。そんな社会にはどういった未来が待っているのでしょうか。
雇われて働いている人は、給料を用いて、次のことをやる必要があります。(1)心身を健康に保ち明日も変わらぬ労働力を提供すること。(2)自身に投資してスキルを向上させていくこと。(3)子供を作り未来の労働者を育て上げること。この3つです。
しかるに現代の日本人は、自身の労働力を再生産する余裕さえありません。彼は徐々に疲弊していきます。能力も低下していきます。
以前の日本では、給料は年功序列で上がっていきました。ヒトの価値と、給料として払われる価値との間には矛盾が発生していました。若者は安く、老人は高かったのです。雇い主から見れば、この方が全体でコストを抑えられたのです。従業員もいつかは報われると思っていました。
ところが現在では、能力の低下に伴って賃金も低下します。彼らはその乏しい元手をやりくりして、子供を育てあげなければなりません。自己投資もしないといけないのです。
以上に加えて、「投資」もしなければなりません。自身の蓄えを市場で運用することです。余ったカネを運用するのではなく、生活費を稼ぐために投機をするというのです。
投資・投機について少し考えてみましょう。
例えば、通販でモノを買っても、実物が届くまでに時間があります。本人は買ったつもりになっていますが、実はそうではありません。在庫がなくてキャンセルされるかもしれません。あるいは輸送に問題があって、モノが届かないかもしれません。「モノを手に入れる可能性」を得ただけなのです。
市場でコメを買い付けても、すぐにコメが届くわけではありません。時間的なズレがあります。そのうち、実際には存在しないモノまでも売り買いするようになりました。まだ収穫もされていない来年のコメを買うのです。「コメを手に入れる権利」を買ったわけです。
大量のトウモロコシを外国で買った場合を考えてみましょう。船で輸送するためにかなりの時間がかかります。100円で買い付けたものなのに、届いた頃には50円に値下がりしているかもしれません。50円の損です。そのために、トウモロコシを買いつけたのと同時に、市場で同量の穀物を空売りする必要があるのです。そうすれば50円に下がっても、空売りをした方は、50円が儲かるので、損は相殺されます。時間的なズレによるリスクを回避する方法です。
ところが、空売りをするには、同じ量を買ってくれる人がいなければなりません。リスクを承知の上で、利ザヤを稼ぐ事に興味のある人たちです。しかし積極的にリスクを取ってくれる金持ちはそれほど多くはありません。そこで庶民の登場です。大勢の庶民を買い向かわせるのです。これによって取引が成り立ちます。
投資は難しいものです。現代における会社の寿命は、人間の寿命より遥かに短いと言われています。長期間にわたって株を持ち続けていても、結局は下がっているかもしれません。将来有望とされている株も、株価は適正価格を大幅に上回っています。長期的な視点での投資は成立せず、激しい値動きに乗じた投機にならざるを得ません。
本当の投資においては、投資者も経営に携わっていかなければなりません。高度な知識と能力が必要です。投資をする前に調査を行い、価値やリスクを正確に見極めることも必要です。ところが庶民の投機は、風向きを見て勝ち馬に乗ろうとしているだけです。何とお気楽な考え方でしょうか!
自身に投資するにしても、長期間にわたってカネを投下して教育を受けなければなりません。リターンが得られるのは、ずっと後のことです。しかも親が裕福でなければスタート地点に立つことさえできません。リターンがないこともあります。
投機をする場合、株の値動きが完全にランダムであれば、勝率は5割になるはずです。しかしそうはなりません。多くの人は「負け」のほうが多いのです。人間が持って生まれた性向によってそうなってしまうのです。天井で買い、底値で売ってしまいます。持ち金が少なくなると、2倍、3倍の売り買いをしてしまい、我が身を危険にさらします。
考えてもみてください。20代から始めて、死ぬまで利益を上げ続けるつもりなのです。そんなことができるのでしょうか。
先に述べたように、人々は受け取ったカネで、自分の健康を保ち、子供も育てなければなりません。本来、投機はこれらを差し引いた残りの余裕資金でやらなければならないのです。しかるに彼らは、衣食住や息抜きの活動を犠牲にしてまで投機にのめり込みます。
投機は失敗しないことが大切です。しかし安全な投機をしようとすればするほど、得られる利率は、銀行に預けた場合とそれほど変わらなくなります。(そもそも、低金利がずっと続いていること自体が異常ではありますが)
勝負師として素質のある人は、世の中に3%もいないでしょう。もしそんな人間がゴロゴロしていたとしたら、カジノは成り立ちません。
投資は全て自己責任です。最低の保証さえつける必要がないのです。国にしても、会社にしても、人々の福利厚生を考える必要があります。しかし投機の胴元にはそのような責任はありません。破産しようが首を括ろうが知ったことではありません。
裁定取引を専門に行うトレーダーは、心臓病で早死するというジョークがありました。24時間、どこかしらで市場が開いているので、心休まる時間がないのです。今では、素人が為替の取引で同じようなことをしています。
ギャンブルのような、射幸心を煽るものを庶民にすすめることは、おおっぴらにはできません。けれども「投資」という名目ならば、そういった非難を受けることもないのです。それどころか、「これからは普通の生活を送るために投資が必要である」とさえ言っているのです。
商品を生み出したり、それを売ったり買ったりするのではなく、利ザヤで稼ぎましょうというのが、これからの日本なのです。虚業でカネを手に入れてくださいというわけです。全員がそんなことをしていたら、国はどうなるでしょうか? 日本はここまで落ちぶれてしまったのです。
人間の想像力には限りがありません。モノではなく、それを売り買いする権利も取引の対象としてきました。新しい金融商品が次々と生まれてきます。検証を繰り返しても、実際にどうなるかはわかりません。なぜなら、それらは実体ではなく、人間の想像力によって動くものだからです。
カネが余っているというのは、その国の未来を誰も信じていないということです。だから日本には投資せず、外国に投資します。得られた利益も外貨で持ち続けます。人々が未来を描けないのは、国政に携わる人間の怠慢です。
だからといって、人々を不安にさせ、投機に向かわせるというのは最低の方法です。虚業で、どうやったら国が立ち行くのでしょうか。日本人はいつだって、目先のことしか考えていません。
日本の労働者は何をやらせても上手くできません。労働者の質が悪くて、資源もないので、外国勢が投資をすることもありません。低賃金で長時間働くことだけが取り柄です。最後に与えられた彼らの役割は、カモになることだったのです。
高校の授業程度で金融リテラシーを備えたとされ、相場の世界に彼らは足を踏み入れるのです。愚かなことです。よく分かっていない人たちは一任勘定を選びます。
太平洋戦争の頃、指導者達は「1億玉砕」と呼びかけました。ところが、彼らは死ぬこともなく、戦後もぬくぬくと暮らすことができたのです。
日本人はこの世に2回生まれます(笑) 1回目は文字通り存在するために。そして2回目は奴隷となるためにです。
18歳になると、彼らは指導者のために一生を捧げることになります。 途中で惨めな生活に気づいて一発逆転を狙いますが、多くの人々は破産してしまいます。そうなると最後は、いかにラクに死ねるかという選択肢しか残っていないのです。
ウォール街のランダム・ウォーカー<原著第12版> 株式投資の不滅の真理 (日本経済新聞出版)