kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

新しい道徳が支配する世界

現代社会は新しい価値体系を必要としています。現実を変えられないのなら、理念を変えるしかありません。新しい道徳が生まれ、それを受け入れる社会が到来します。

 

我々は、これまで以上に死と向き合う事になります。実をいえば、私たちは既に死神と取引をしているのです。毎年多くの人々が交通事故で亡くなったり、障害を負っています。だからといって「自動車をなくそう」という話にはなりません。文明によって得られる利便性と人命とはトレードオフが可能であると、私たちは既に答えを出しているのです。

 

「殺すなかれ」と私たちは教わりました。その対象は他人だけではなく、自分自身も当然含まれるという「もちろん解釈」を我々は行っています。とはいえ、多くの宗教はもともと自殺を明確に否定していたわけではありません。そこを起点にして、既存の宗教とは漸進的に整合性をとっていくことになります。

 

ある意味、自死は人間だけに許された特権といえます。ただし当然ながら、それを許されるのは正常な自己判断能力がある人だけに限られます。

これをおろそかにしてしまうと、優生思想を持った独裁者や、人命を軽視する政府に、都合よく利用されてしまいます。

 

人口抑制が進んでいきます。とはいえそれは、大量殺戮を可とするものではないのです。ネズミやハエが疎ましいからといって、それらを絶滅しようとまでは思わないものです。人間も同じです。他の動物と平等になるのです。

ヒトは、輝かしい進化の頂点から転落します。ヒトは特別な生き物ではない。そもそも生物が地球を好き勝手にして良い訳ではない。そういった価値観です。人権でもなく、富でもなく、地球環境の保全を至上の価値とする考え方です。

 

人間に対しては、(1)弱者への手厚い保護がある一方で、(2)与えられた機会を利用せず、自由意志を行使しない者にはペナルティが課されるでしょう。反対に、(3)与えられたチャンスを利用し、自由意志を正しく行使した者には、より多くのものが与えられるのです。

 

経済的に困窮している者がさらに追い込まれる事はなくなります。弱者を守れないようなシステムが、他の動物や地球を守ることなどできないからです。

「勤労」が美徳とされる時代は終わります。多くの人間は、ただ生きているだけでいいのです。しかしそれに甘んじる者には、それだけのものしか与えられません。教育も必要最小限のものしか受けられないのです。その教育は、自律的な思考を可能にすることを最大の目的とするものです。「無能な働き者」は地球にとって最大の脅威です。

相続は基本的に廃止されます。自由意志を適切に行使できない無能な人間が、受け継いだ遺産によって、高い地位を得たり権力を持つことを防ぐためです。

 

自由意志は尊重されます。無暗に生命を奪われることはありません。その代わりに死を選択することができます。幸福を追求することもできます。成長への志を持った者には、より多くのエネルギーや道具が与えられます。何らかのバースコントロールが行われますが、人為的な選択によるものではありません。人種や地位に関係なく、ランダムに割り当てられる産児制限のようなものです。これは人間の多様性を維持するためです。

 

人間を公平に扱うのは、人間自身では無理です。機械が神として君臨します。科学者や工学者がシャーマンの役割を担うのです。しかし実際は、シャーマンの意のままに動かせる状況が続くでしょう。ディストピアのように見えるかもしれません。しかし世界全体をシステムとして見れば、人間も小さな構成要素でしかありません。人間が主役の座を降りるのは、必然の流れなのです。

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