言葉は人間に計り知れない恩恵をもたらしましたが、同時に災いをももたらしました。
近代文明の担い手達が気づいた事のひとつは、野蛮な未開人に文明を与えると、テロリストになるということでした。彼らの性質は教育によって変えられず、文明の利器を都合のよい道具として用い、彼らの身勝手な欲望を実現化しようとするのです。
映画「ゴッドファーザー("The Godfather")」では、近親者や肉親者を淡々と粛清する場面等が印象的でしたが、それらの行為はファミリーを守るためでした。スコセッシ監督の「グッドフェローズ("Goodfellas")」では、幹部が「我々は野蛮人では無いのだから離婚はするな」と諭す場面があります。彼らは彼らなりの掟やルールに従って、一貫した行動をとっているのです。
ところが体系化されたルールに従って行動していない連中は扱いが面倒です。彼らは文明人ではなく、行動を予測できない理解不能な存在です。恐怖も感じず、信念も愛もなく負けが見えているのに自殺攻撃を繰り返し、捕まえて問い質すとおかしな理屈を並べ、隙あらばこちらの息の根を止めようとします。
普通は犯罪者でさえ理屈に従って行動しています。ですから決して出鱈目な行動をとっているのではなく、分析すれば行動の原因が分かり将来の行動も予測できます。しかし野蛮人はいくら言葉で話し合いをしても決して自らの行動を変えることなく、滅茶苦茶な行動をとり続けます。行動はランダムですが、彼らの奥底にあるのは「俺は好きなようにしたいんだ。お前らをとことん困らせてやる」という反抗的で挑戦的な精神です。
そういう人々が住む社会の犯罪者は面白いことに、秩序だっていて一貫した行動をとっていることが多々あります。彼らは周りから「訳分からない」と一蹴され社会で浮いてしまう存在です。「長いものに巻かれてその場しのぎで変えていけば良いのに、何故信念なんかに従って同じ行動をとり続けているのだろう、自分勝手で強情であり許せない」となるわけです。
さて、人は言葉だけでなく、それ以外の方法で複雑なことを考えています。無意識とは決して意識の下に従属しているのでなく、それを制御しようとしても必ずしも上手くはいきません。ある種のサイコパスは知能が低く何も考えず刹那的に生きているように見えながらも、瞬時に、複数の目的を同時に達成するような巧妙な罠に相手をはめて陥れることができます。
彼らのように、言葉が巧みでなくてもある程度の悪事は行えますが、さらに高い知性を伴った言葉を用いる事ができれば、そこに強い「意志」が生まれ、自分の目的を達成する為の複雑な行動をとれるようになります。通常、動物は仲間通しで殺し合いをしないものですが、人間は理想や理屈の為にそれをするようになります。
人類は言葉によって文明を築き、無意識の願いを叶えてきました。しかし彼らはそれだけでは不十分であることに気づき、絶対的な基準が存在する体系("system")を作り上げ、それに基づき行動するようになったのです。これにより相互のコミュニケーションが本当に可能になりました。相手がどういう動機に基づき行動しているのか理解/共感("empathy")でき、会話によって説得したり、取引をもちかけたりして、妥協点を探り、状況を変えることが出来るのです。こうしてお互いに自分勝手な行動に走り殺し合いになり自滅してしまう事をかろうじて防いでいるのです。
しかし中途半端に言葉を身につけ、あたかも便利な道具なように扱う者達は大変危険です。それらは文明に災いをもたらす獣です。自分で言葉を制御できていなければ、それは本当の「自由意志」が存在しないということであり、無意識に振り回される野蛮人に過ぎません。自由意志を完全に行使できない者は精神異常者となったり悪質な犯罪者となる可能性があります。
自分なりに分析したり進歩しようとしない人が居ますが、そのような状態にあるというのは危いことです。現代文明を形作った根幹を理解しようとせず、進歩にも貢献せず、その果実だけを都合よくかっさらって自分の利益の為だけに利用する輩は有害です。人間が手に入れた「言葉」というのは言わばパンドラの箱であり、踏みとどまったり後戻りはできないのです。