日本人はギャンブルが大好きです。しかし自覚がありません。リスク管理が出来ないまま危険な行為へと及びます。いさめても反省するどころか傲慢な態度を取り続けます。失敗から学ぶ事ができずに同じことを何度も繰り返します。
彼らのやる事には「プランB」がありません。完璧なひとつの計画を立て、それを正確に遂行する事だけを本気で考えています。そしてそれは精神力で乗り越えられると思っているのです。先の大戦を顧みても真珠湾攻撃や超弩級戦艦、一億総玉砕とか、馬鹿な事を繰り返し言ったり行ったりしていました。失敗する事を考えなかったのでしょうか? ええ、失敗しても誰も責任をとる必要は無かったのです。後は適当に「神風が吹く」だとか「大和魂が~」などと言っていれば良いのです。
庶民の間では未だに不動産神話が健在です。埋立地や工場跡地だったような所に建てられた都内のタワマンを競って購入します。共働きで長期ローンを組んでいる人もいます。もし病気や不慮の事故によって借金を返せない事になれば、子供がそれを引き継がなければなりません。良い価格で転売出来ればいいですが、それまで固定資産税や管理費、修繕積立金も払い続けなければならないのです。しかも何十年も経っていれば、大規模修繕や建て直しもあり得ます。それでも彼らは笑顔で勧められるままに、根拠のない明るい希望を抱いて判を押してしまいます。「だって日本ではそれが普通だし、みんなやっていることだから」と御安心なのです。
この国では、生活に困っているような人が、SNSで「NI○Aでも始めようかな~」などと呟いています。ある相場師の本を読んだ事があります。株式投資のセミナーを開いている人が「プロの相場師の儲けを平均すると年利で8%くらいだ」と説明したところ、聴講者は一斉に鼻白んだそうです。それはそうです。なにしろ自分の資産を倍にしたいと考えているような強欲な人達なのです。しかしながら彼らは、経済が右肩上がりなら未だしも、官製相場で投機にいそしみながら、日経平均が一気に下がったら大きな値動きを活かせずにビビッて投げ売りしてしまうような人々です。人生の終わりまでトータルで利益を保ち続けるというのは大変な事です。そういった人は、インサイダー情報を知り得る立場に居たり組織や集団に属していなければ、おそらく投資家全体で5%、1%未満といったところでは無いでしょうか。
日本で驚くのは、人々が専門家の意見を聞かないことです。御用学者ではなく「専門家」です。専門家をやりこめたつもりになって「どうだ、俺の方が上だろう」と得意気な人もいます。結局、客や大衆が喜ぶような事を言う人達だけが残るのです。リスクなど知りたくも無いのです。「勝ち馬に乗れ」「バスに乗り遅れるな」とばかりに、皆と同じ事をしていれば怖いものなしです。
何故こんな人々が大勢を占めるようになったのでしょうか。もともと国民が無知、無思慮であること、互恵性に欠けること、傲慢であることに加えて、大衆化、個人化が進み、ネット環境やスマホを与えられた事が、人々をさらに愚かにしています。
日本人は民主主義の国に住んでいると信じ込んでいます。ジュリアン・ハクスリー(Julian Huxley)はデモクラシーについて「個々の人間が何よりも価値のあるものであり、平等に機会を与えられるべきだという信念である」という意味の事を述べていました。これを聞くと、日本人は全く民主主義とは相容れない人々であることが分かります。
この国の人々は、他人はもちろん、自身の命さえ軽視しています。個々の命より国や組織の方が大事であり、「みんなで決めたルールに従おう!」というのが民主主義だと思っています。弱者はルールに背いた外道であり、あらゆる辛酸を舐めるのは当然です。彼らは全ての道を閉ざされた上に「自己責任だ!」と糾弾され石つぶてを投げられるのです。
ここでは歪んだ形ばかりの民主主義によって大衆化が進み、あらゆる日本文化の水準を押し下げています。
大衆化と個人化によって、素朴な共同体が崩壊し知的水準が低下する一方で、「国」への一体感や盲目的な信仰が強まります。人々は「仲間では無い者」を差別する事によって、国に対する帰属意識を高めているのです。
彼らは思慮の足りない物欲にまみれた拝金主義者で、人命を軽視し、幼稚な小児性愛者であり、児童虐待や動物虐待を常とし、差別主義者であり、人身売買を行いますが、批判は受け入れず、外国人が日本を絶賛する動画を見て悦に入っています。
「日本人はAIを超えた!」とか、「被災地に七色の光が!」という言葉が記事に踊り、この国には今にも神風が吹かんばかりです。
情に流され理を悟らない人々なのに、驚くほど傲慢であり、神国に住んでいると信じ込んでいます。文明人の説得も無意味です。先の大戦のように、彼らはまた、壮大な賭けに出るに相違ありません。でも、八百万の神がきっと救ってくれるでしょう。