kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

ごまかしの言葉が日本を駄目にする

日本人は言葉を、真理を捉えるためにではなく、現実を誤魔化すために使います。さらに言葉を組み合わせて、詭弁を弄したり、自己洗脳の道具として用いるのです。これによって、日本独自の階層構造が確固たるものになるのです。

  

安いB級グルメを紹介するTVリポーターは、「ふわっふわっ~」「とろっとろ~」「あっま~い」と云った使い古された感覚的な言葉を頻用します。それを見た途端、視聴者は自分で考えることもなく「日本は、安くて美味しいものが食べられる素晴らしい国だ」と信じ込みます。日常生活における会話の受け手も、「へえ~そうなんだ、なるほどね~、大変なんだね~」といった曖昧な言葉でやり過ごしています。

 

TVやネットの動画で、大人を打ち負かすような(猿真似が上手い)天才少年や天才少女が現れたりすると、「日本人は優秀だ」「日本の未来は輝いている」と信じ込みます。南米の奥地で「サムライが活躍している」とTVで見るやいなや、「日本人は世界中で活躍し尊敬されている」と良い気分に浸ってしまいます。彼らはやたらと「神」対応だなんだと、匹夫を褒めたたえながらも、自分の為に都合よく利用しています。

  

この国は先進国と自称しながらも、結核や梅毒その他の疫病が蔓延しています。しかしながらSNSや巷間で「日本モデルが勝利した!」と叫べば、ただちに思考は止まり、自分たちは完全であり、何か偉大な事を成し遂げたように思い込んでしまいます。「先制攻撃」という行為も、当たり障りのない言葉で代用すれば、もう悩む必要はありません。その時点で憲法に反せず、自衛隊が奇襲攻撃を行うことも可能になったのです。

  

このように日本人は、その場を適当にやり過ごし、深く考えないで済む言葉を好んで使います。言ってみれば、みんなで自己洗脳に陥るための「呪術」なのです。いつも自分自身を騙しているので、自覚がなく、他人にウソをつくのも平気です。一貫性が無いので外国人から信用されません。

 

さらに、彼らが無意識のうちに囚われている考えがあります。「全ての人間は上下関係にある」という信念です。だから日本では典型的な「タテ社会」が成立します。上の言うことは絶対です。信念というよりは本能に近いものです。科学に侍する者でも、この本能には太刀打ちできないのです。これに比べれば学問そのものへの敬意や学者としての矜持などは、吹けば飛ぶようなものなのです。

 

「カワイイ」という言葉があります。これは決して最上のものを誉めそやす言葉ではありません。例えば「ツンツン気取ってた奴がようやく自分たちのレベルにまで落ちてきた、だから仲間として認めてやる」という場合に使われたりします。自分たちよりも儚げでか弱いものに心を寄せる行為です。卑屈でありながらも傲慢な人々が使うのに、ふさわしい言葉なのです。完璧なスーパーモデルに対しては「かわいい」という言葉は使われません。

  

「お先に失礼します」「お疲れ様でした」という一対の決まり文句があります。新参者は、必ずこの言葉を使って全員に挨拶をする必要があります。対して上位の者は必ずしもそうする必要はありません。もし下の人間が返事を強要するかのように、上の人間に対して大声で「お先に失礼します」と言ったりするのは失礼な行為となります。新人にとって適切なのは、近くの人々にしっかりと聞こえるように、しかしながら「返事は期待していません」といった調子でこの言葉を発することなのです。日本の挨拶は自分の立ち位置を、自他ともに再確認する行為でもあります。

 

このように人々が、日々やっている事の多くは、ヒエラルキーの確認であり可視化なのです。「自分はこの場所に居て、何も考えずに黙って上の言う事を聞いていればよい。それを下の人間にも知らしめるのが俺の役目だ」となる訳です。こうして秩序が保たれ、人々は安心するのです。彼らは人間的な感情や理念で、結びついているのではありません。ただ「上下関係」によって繋がっているのです。日本人は、「おもてなし」は出来るが、「おもいやり」は無いと言われる所以です。

 

こうして、国の隅々まで<思考停止の習慣>と<ヒエラルキー>が行き渡った結果、何も新しい事を考えられない人々で、この国は溢れるようになりました。これが危機的状況であると気づく事さえもできないのです。まさに「極楽とんぼ」です。ディストピアに住んでいても、彼らの心の中では常にユートピアなのです。日本国の前途は洋々です。彼らにとってみれば、です。

 

 ”元来日本人には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一になすなり” 永井荷風 「断腸亭日乗