kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

自己中心的で滅茶苦茶な日本人の会話 

年配の男性二人が会話をしていました。

A:「前から思っていたけど、あの会長は悪い奴だったよなあ、よく捕まえたよ」

B:「フランスのマクロンもデモで大変だよねぇ」

A:「アイルランドもあるしな!」

B:「あ? ああ、イギリスのBrexitもどうなるんだろうね」

A:「知ってるよ! フランスのデモでも80人死んだんだろ?」

B:「80人? うん、カリフォルニアの火事は酷かったねえ」

A:「あんなもん、国力があるんだから、さっさと消化剤をぱあーっと撒けば良かったんだよナ!」

筋道だった話の流れはなく、連想ゲームのようにその時思いついた事を、相手に付かず離れず、距離感を保ちながらも、勝手に喋り合っているのです。

 

ある日、薬局に行くと老人が文句をつけています。

「薬がひとつ増えただけで、何でこんなに高くなるんだよ! この間、別のクスリが減った時は数百円しか下がらなかったのに!」「薬価がそれぞれ違いまして・・・。ジェネリックもありますけれど・・・?」「そんな変なものを勧めるな!」

 

日本人はとにかく理屈が通じません。相手の意図を悪い方に曲解する、論点をずらす、前に言った事は憶えていない、細部の揚げ足をとる、等等です。「俺は負けないぞ、騙されないぞ、偉いんだぞ」という意気込みだけが伝わってきます。相手がそれを認めるまで、延々と感情的で支離滅裂な反論を続けるのです。医者には何も言えませんが、格下と思っている薬剤師には文句を言い放題です。「怖くないですよ、安心してください、大丈夫ですよ」とでも言ってもらいたいのか、不安気に次々と質問を投げ続けて話が終わらない人も居ます。 

医者はよく「我々は最低の人間とも接しなければならない」と嘆きます。どれ程下種な人間であっても、助けてあげなければならないのです。彼らの苦悶は如何ばかりでしょう。こうした人々を相手に、目も合わせず、ろくに喋りもせず、モニターのカルテだけを見つめてキーボードを叩き、数分で診療を切り上げるのも無理はありません。

 

休日の街で、男女二人組みが前を歩いています。一方が、すれ違う人々の欠点をことごとくあげつらい嘲笑うと、もう片方も釣られて笑います。一人で歩いている時は前の地面を見ながらトボトボ歩いているのに、仲間が居ると急に気が大きくなり、周りの人間が全て自分を楽しませる戯画のように見えてしまいます。

また、クルマを運転しながら、いちいち「なんだありゃwww」と目に入るもの全てを嘲笑したり、「クソ、あの野郎!」といきなり怒鳴ったりするドライバーもいます。

彼らは、「江戸の敵を長崎で」とばかりに、それまで黙って受けていた仕打ちに対する報復を見当違いの場所で行っているかのようです。相手がどう思うか、感じるかはお構いなしです。

日本人にとって、笑いや嘲りは最高の武器であり娯楽なのです。もし相手が怒っても「おまわりさーん! 頭のおかしな奴が居ます」と通報すれば済むと彼らは考えています。

 

以前、中学校教師役で一世を風靡した歌手が、街を歩いていた際、「あら、足が短くて面白いわね~」と子連れの母親が我が子に語りかける場面に遭遇したというエピソードをラジオで紹介していました。

「ほら、おにいさんが挨拶してますよ~」と子供を促しながら、終始わが子しか見つめておらず、自身はまったく挨拶をしない親がいます。

また、子供が周りに迷惑をかけているという雰囲気を察するや否や、周囲に謝ったり、あるいは理由を述べて子供を守る代わりに、芝居がかった様子で、自分の子を叱り飛ばすという場面もよく見られます。

どこか自閉的、閉鎖的なものを感じさせる行動です。幕末に日本を訪れた外国人が「日本人は一緒に遊んだりして、子供をとても大切にしている」という記録が残っていますが、狭い世界に閉じこもる傾向を誤解したのです。

 

普通の大人でもこの傾向は変わりません。何か国際的な行き違いがあった際に、下っ端の役人が相手国に対しモゴモゴと独り言のような文句を言って電話を切ると、それが「~国に正式に抗議をした」という事になってしまいます。まるで子供が近所の家の呼び鈴を鳴らして、家の人が出てくる前に逃げていくかのようです。

 

日本人は相手の気持ちを想像できません。それどころか、仲間以外はただのモノにしか見えていないのです。そうかと思うと、モノに神や魂を見出す、アニミズムのような見方もします。要するに彼らは、その場その場で周りを、自分に都合のよい道具としているのです。

 

趣味の集まりで知り合った人が含み笑いをしながら「あの○○さんの家って、昔は草履を作っていたんだョ」と話しかけてきた事がありました。要するに「彼は○た・○にんだよ」と言っている訳です。大して親しくも無い相手に話しかけ、こういった悪口を共有できる仲間に、相手が成り得るかどうかを、それとなく確かめているのです。その場に居ない第三者への侮辱が許し難いというだけでなく、「仲間」となるまでは、相手の気持ちも考え無い、誠実さに欠ける人々です。

 

日本人にとっての日常会話というのは、「我々は仲間である」という確認と強化の場です。それと同時に仲間内での「序列」を強制する場でもあります。

仲間内で集まれば、決まり文句を使った遣り取りや、同意を表す為だけの意味の無い言葉が飛び交い、連想ゲームのような会話が始まります。まったく同じ話題が繰り返され、笑うタイミングまでいちいち一緒です。しかし彼らにとっては、赤児の様に安心できる場であり、その心地よさに何時までも浸っていようとするのです。