kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

「ザ・メニュー」 −芸術家と鑑賞者の関係−

2022年に公開された「ザ・メニュー」という映画があります。孤島にある高級レストランで、選ばれた客だけに提供される一風変わったメニューと、異常な体験を描いています。ブラック・コメディです。

レイフ・ファインズが、サイコパス的なカリスマシェフを演じ、アニャ・テイラー=ジョイが、レストランにそぐわない場違いな女性客を演じています。

 

料理は総合芸術です。絵画や彫刻は、モノを介して芸術家と鑑賞者が対峙します。音楽も、演奏者と観客とが離れて座り、間接的に芸術家の考えに思いを馳せます。その点で料理は特別です。限られた時間ですが、客と極めて濃密に接することができます。客から直接にフィードバックを受けることもできます。家庭での素朴な料理だって、本質的に同じです。

最高の料理家は、味覚だけでなく、嗅覚、視覚、触覚を総合的に刺激し、客の心と体を揺り動かすことによって、至高の体験を提供します。この映画は、このようなシェフと客との歪んだ関係を、戯画的に描いています。

 

料理人は、自然や、動物、植物を破壊し、それを独自の方法で秩序立て、料理を作り上げます。料理自体が形を保っていられるのは、ほんの一瞬です。客はその料理を味わい、咀嚼し破壊することで、それらを自分の糧とします。そういった客も、いずれは死んで自然に還る運命にあります。

これら一連のプロセスを、演出して提供するのが、この映画に登場するシェフの役割です。彼は時間と空間を支配することで、限られた間ではありますが、皇帝のように君臨するわけです。生死をつかさどる存在です。

 

この特別な場に招待された客は、いつの間にかシェフの言いなりとなり、心身共に支配されてしまいます。とはいえ、当のカリスマ・シェフであっても、店のオーナーや、評論家、成り金、食通気取りの若者の我儘に左右される存在だったのです。この映画に登場する料理人は、そんな彼らに復讐したかったのです。

 

「与えるもの」と「奪うもの」という言葉が映画に何回か出てきます。このカリスマシェフも、味の微妙な違いも分からぬような連中に、あれこれ言われて奉仕することに虚しさを感じ、次第に当初の気概を失って絶望していたのです。彼が求めていたような客は、富裕層にいなかったのです。

彼らは与えられた料理を口先では褒めそやしながら、口に運んでいきます。そんな中で、アニャ・テイラー=ジョイが演じる娼婦だけが、「あなたの料理はまずい」「料理に愛がない」と皿を突き返します。そして彼女はなんと、庶民的な「チーズバーガー」を要求するのです。実はまだ無名だった頃に、このシェフも笑顔を見せながらハンバーガーを作っていたのです。シェフが満足気に自らの手でハンバーグを焼き上げる姿は、どこか感動的ですらあります。

こうして、自分の意思で、料理人と平等に対峙した女性客だけが、シェフの呪縛から逃れて自由を手に入れることができました。料理を作る喜びを思い出させてくれた娼婦は、料理人の敬意を勝ち得たのです。

 

自分の直感を信じ、自分の意志で善悪を判断する者。良し悪しを自分で決められず、誰かの言いなりになる者。この両者がたどる運命の違いを、この映画は寓話的に描いています。

 

金持ち、セレブ、庶民、娼婦。この違いはあっても、判断力だけは、それぞれ平等に与えられているのです。自由意思は、人間に与えられた最大の特権です。自由を尊重しない者には破滅が待ち受けています。自由意思を行使するかどうかによって、その人の人生も、大きく変わっていくのです。


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