kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

失敗を認めない日本人

日本人は失敗を認めない人々です。そこから学ぶ事もできません。上の人達は誤謬を犯さないという前提で社会システムが作られています。日本人は失敗に伴う責任を極度に恐れるので、最低限の事しかできません。決断も遅れ気味です。

 

HBOの「ニュースルーム」というドラマがあります。その第6話は、日本のエネルギー事業者が想定外の大事故を起こしてしまうエピソードを扱っています。ライブ放送で、エネルギー事業者の広報担当が、通訳する段階で意図的に技術者の話を誤魔化し、安全性を強調する様子を見たキャスターがついにブチ切れてしまうシーンがあります。彼女は上司に「日本人は間違いを認めたがらない」と訴えかけます。

 

失敗がゼロというのはあり得ない話です。ところが間違いを犯さないという事が前提になれば、全てがウソと誤魔化しになってしまいます。

失敗を認めず既得権益にしがみつく彼らの態度は、いつも傲慢です。いつも誰かを見下しています。何しろ彼らは失敗などした事がない、これからも失敗を犯すことは無いという、歪んだ認識を持っているのです。

 

 他人を誤魔化し、自分をも誤魔化して生きているのが日本人です。バックパッカーで世界を旅してきた人と話をした事があります。たまたま中東のデモについての話題になった時、「わたし、あの人たち、バカだと思うんです」と彼女は語っていました。お上にたてついて騒ぎ立てるような人々は馬鹿だという認識なのです。

日本では本能をそのまま直截に表現してしまう人は嫌われます。本性は下種のままでも、表面だけは綺麗に取り繕う人でないと日本では生き残る事ができません。言われた通り「お上」には従うが、「見つからないところで上手くやればいいんだ」と思っているのが日本人です。いざとなれば民間人の殺人、強盗、強姦などやりたい放題です。そういう要領の良さを、彼らは「頭が良い」と呼んでいます。怒ったりするのは無駄なこと、愚かなこと、「どうせ何も変わらないのだから」と感じてもいます。

 

「デマや流言に惑わされず、信頼できる報道にだけ耳を傾けよう」と彼らは言います。どういう根拠なのか検証もせず、「~密を避けて」とか「~0のポイント」とか「~割削減」だとか、上から言われたスローガンをバカみたいに繰り返して一生懸命になっています。おかしな事があってもあえて疑問を呈する人は居ません。「そんな事は分かってはいるけれど、あえて言わないんだよ」と、そう考えるが大人だと思っているのです。しかし、言葉にするのを止めてしまうのは思考停止と同じことなのです。

 

タレントやミュージシャンが体制に反するような事をSNSで発信すると、すかさず民衆は「芸人のくせに政治や思想を語るな!」と反発します。「お前らは俺たちを楽しませる事を言ったり、家で踊ったりしていれば良いんだよ」ということなのです。しかし、もし芸人が体制側に立って民衆をいさめる発言、例えば「STAY HOME!」とか「営業自粛を!」といった事を言えば、イイネが沢山付き、その発言を褒めたたえるリプも付きます。

 

日本人は記念日が大好きです。その日だけ「あなた方を忘れません」と言い、黙祷を捧げます。しかしその日以外は全く忘れています。被害者に思いを寄せる事もありません。形ばかりです。それで良い気分になっています。

彼らはその場だけ気持ち良ければ良いという人々です。お上に言われた通りに考え、感じ、「アッケラカーのカー」としています。真理を語ったり、お上に逆らうような事を言う人を心の底から憎む人々です。よそ者を憎み「県外の人間は出ていけ!」と罵る人々です。

「見ざる言わざる聞かざる」の彼らは、現実を直視しません。被害にあっても、加害者が弱者でない限り「考えるな、耐えろ!」とばかりに我慢します。どこまでも耐え続け、決して失敗もしない彼らは、心の中では無敵です。そして 「日本は勝っている!」と言い続けるのです。