甲子園の開会式で、プラカードを持った女性が熱中症で倒れたのですが、甲子園球児たちは、少しも騒がず無表情のまま突っ立っているという事がありました。普通の感情と良識を備えた人間なら、すぐに駆け寄って助けるとか、少なくとも心配そうな顔をして気にしたりするものですが、この連中はまるでロボットのようです。
似たようなことは、甲子園球児のみならず、学校で校長の話を聞く小学生や中学生でも見られるものです。そしてここに、日本の教育の真の狙いを垣間見ることができます。子供たちは、人間としての豊かな情を持ち、正しい良識を持つ大人になることを期待されているのではなく、ただ指示通りに動く兵隊や、ロボットのようになることを目指して教育されているのです。自分で考えるのではなく、ただ指導者に言われるがままに自動的に思考し、手足を動かし、ついには期待された通りに笑ったり、悲しんだりするわけです。
甲子園球児の画一性は、実に気味の悪いものです。監督や審判の言う事は、どんな理不尽なイジメのような指示であっても守らなければならない。プレーする以上は意味の無いスライディングひとつとっても常に全力。ピッチャーも出来るだけ、全力で全イニング投げきる。カットでファウルを続けたり、スローカーブを投げたり、女性の歓声を受けて喜んだりしたら、高校生らしくないふざけた連中だとして国民やメディアに非難されてしまいます。校歌は直立不動で最大の敬意をもって歌わなければならないし、負けたら大いに泣き叫び、甲子園の土を持って帰る。彼ら自身も、中身は空っぽでも、無垢で一生懸命な日本が理想とする高校生を、精一杯演じているのです。
何が正しくて、何が悪いかを考える人間は、日本には不要です。正義を守るのではなく、社会の秩序を守る人間のみが、日本では価値を持つのです。
日本は官僚独裁による全体主義国家であり、国民は国家の利益の為に、最大限の労働力供与を常に期待されています。さらに日本は外国からの脅威に常にさらされていると国民に教え、誇大妄想的な軍事的、経済的膨張を今に至るまで国家の最大の目標としているのです。