緊急時には人間の本性が露わになります。今年になってから地震災害と大きな旅客機事故が立て続けに起こりました。日本人の特性を見るのには良い機会でした。
地震災害における救難作業の遅れと、飛行機事故の迅速さは、鮮やかな対比をなしています。飛行機事故の素早い避難は、「教科書通り」と海外メディアで報じられていました。マニュアルに沿って行動するのに長けている日本人の特性がよく現れています。何も考えずに素直に従う乗客の行動もそれを助けました。
一方で大規模な地震災害にはマニュアルというものはありません。首長(くびちょう)は、状況に合わせて的確な判断を下し命令を出さなければなりません。しかしそういった事ができないのが日本人なのです。
それだけではありません。カネにもならず、支持率にも悪影響を与えそうな災害救助は出来るだけやりたくないという意図が透けて見えます。
何しろ災害対応に奔走すればするほど国民の批判を招き「悪夢」などと言われてしまうのです。真摯で誠実な意図を評価するのではなく、具体的な行為からアラ探しをするのが日本人です。どうせ多かれ少なかれ批判を浴びるのなら、何もしないというのが最善の選択です。弱者に手を差し伸べれば非難され、弱者を切り捨てると称賛されるのが日本という国です。
とはいえ、現場の悲惨さが伝わってしまっては良い事はありません。そのために都合の悪いことは一切報道されなくなってしまいました。海外の報道を見て、やっと現場の状況が分かるという体たらくぶりです。
細かいことですが、日本人が撮った映像と海外報道機関のそれとは、カメラのフレーミングからして全然違います。日本人にはセンスが欠けています。海外のリポーターは冷静に状況を説明して的確な分析をしています。一方で日本人は感情的で大げさです。「大変だ」という演技をしながら絶叫していますが、重要な事を伝えていません。バラエティー番組の三流芸人と同じです。
今回の災害では、日本人の悪辣さをも見ることができました。安否の分からない被災者を72時間以内に助けるには、素早い物資・人員の投入やカネが必要です。ベストを尽くしても、あれこれミスを指摘されて批判されかねません。だったら72時間は「やっているフリ」をすればいいことになります。それを過ぎてしまえば、あとはゆっくりと誰とも分からない腐った死体を掘り起こせば良いだけです。こういった方針やノウハウは、役人の間で既に申し合わせが出来ているはすです。そういった意味では「マニュアル通りで想定内の対応だった」とも言えます。
日本人の下劣さも明らかとなっています。流言飛語が飛び交い外国人は差別されています。盗難や略奪も起こっています。阪神大震災では強姦も発生していました。齊藤隆夫の漫画「サバイバル」では、巨大地震に襲われた後、日本人らしく文句も言わずに列をなして配給を待っていたものの、いざ救援が来ない事が分かると、盗難、暴行、殺人、強姦に走る日本人の姿が描かれています。日本人が「大人しい」というのはあくまで表面の姿であって、タガが外れると理性は崩壊し、野蛮人と化すのです。
下劣さ、愚鈍さ、悪辣さが三位一体となっているのが日本人です。政治家の頭が弱くて下品というのは今までも同じでした。しかし現在はそこに役人の狡知さが加わっているのです。「史上最悪」というのはまさに今のことです。
日本人は「誰かに怒られなければ何でも許される」と考える人間です。どんな非道な事でもやってのけます。これまでの歴史が証明しています。
彼らにとって地方はどうでも良い存在でした。酷い事をしているという認識さえありません。「日本」というのは「東京」を指しています。東北大震災は東京でも被害がありましたが、今回は違います。彼らにとって見ればあんな所は日本とは言えません。
日本人の敵は日本人であるというのを忘れてはいけません。昨今の庶民は「誰かを血祭りにあげよう」と虚ろな目で辺りを見渡しながら街をさまよっています。気持ちはわかります。しかし相手を間違えています。
日本人は自我が未発達であり、権力に寄り添うことでそれを補います。ひとりではまともな意見を考え出すことが出来ません。自尊心が無く、ちょっとした批判にも耐えられずに傷ついてしまいます。
権威をまとった代弁者が強そうな事を言うと、目を輝かせて拍手喝采します。それどころか進んでそのお先棒を担ぎます。彼らはニホンザルの亜種か何かのような存在です。自我が無い人間は、暗示や誘導によって簡単に操られてしまいます。彼らの多くは治療が必要な精神異常者です。押し黙って従うか、狂信的なカルトかのどちらかにしかなり得ません。
被災地の惨状を尻目に、政治家が新春の抱負を述べていました。番組のスタッフが用意した背もたれの高い椅子に身を沈めるようにして座り、くつろいだ笑みを浮かべています。出演者全員の下にも置かない手厚いもてなしを十分に受けとめた余裕の笑みです。
その無邪気な笑みは、ベトナムの大統領だったゴ・ディン・ジェムを思わせるものがあります。貴族階級の出身で、弟のゴ・ディン・ヌー補佐官と共に圧政を敷いていました。仏僧の抗議の焼身自殺を捉えた有名な写真はその象徴です。ゴ兄弟による国民を愚弄した身の程をわきまえない振る舞いは、遂にはアメリカの支持をも失う結果となり、兄弟は無惨な最期を遂げました。宗主国の権威を笠に着て自分たちに都合の良い帝国を作り上げても、それには限度があります。
我々に出来るのは、このような下劣な日本人から適度な距離を保つことしかないのでしょうか。日本人がこれからどう変われるかは未知数です。結局は無に帰するかもしれません。けれどもやってみるしかありません。