日本人の仕事のやり方は非効率的です。仕事に明確な区切りがなく、ダラダラと仕事を続けてしまうのです。どうしたら、彼らのようになってしまうのを防げるのでしょうか。
南極点到達を競った、イギリスのスコット隊と、ノルウエーのアムンセン隊の逸話があります。スコット隊の場合、天気のいい日には、可能な限り前へと進みました。反対に天気の悪い日は休んだのです。ところがアムンセンは、晴れの日も、荒天の日も、一定のペースで進むというやり方をとりました。無理のない計画を立て、それを着実にこなしていく方法を採ったのです。
南極点へ先に到達したのはアムンセンでした。かたやスコット隊はと言えば、遅れただけでなく、帰路はメンバー全員が遭難したのです。生きて戻った者はいませんでした。
日本人もこれと似たようなところがあります。「今日のうちにやれるだけやっておこう」と考え、重要でない局面でも、無理して頑張ってしまうのです。それが毎日続くと、残業ばかりの日々となります、プロジェクトのリーダーがそういったタイプだと、やがてデス・マーチが常態化します。
彼らの仕事のやり方を観察していると、仕事ひとつひとつの区切りが悪いことに気が付きます。100%完全なんてことは有り得ないのですから、80%あたりで区切らないといけないのです。ところが、日本人はそういった決断が不得手です。
人間は不安を抱きやすい存在です。過去のこと、未来のことを考えると、どうしてもあれこれネガティブなイメージを抱いてしまうのです。頭に引っかかるものは、紙の上に書き出し、ひとつひとつの解決の見込みを得ることで、安心できます。ToDoリストにチェックを付けていくようなものです。
リストの項目にチェックを入れると「やり終えた感」が生まれます。脳内ではドーパミンが放出され、満足感を得られます。チェックすること自体が「ご褒美」になるのです。
ところが「まだ100%には程遠い」とか「もうちょっと修正する余地があるのではないか」などと考えて仕事を続けると、いつまでたっても仕事を終えた感じを得られません。こうして、「今日の仕事も不十分だった」と考えながら帰途につき、「明日は、あれをやらなくちゃ」といったプレッシャーを感じながら眠りにつくのです。これでは、仕事が面白くありません。日本人は、仕事を「ひたすら耐え抜く修行」であるかのように思っています。
上とはまったく反対の事をしなければいけないのです。「今日は、これをやり終えたぞ」と満足しながら帰り、「明日は、あれもやり遂げてやる」という期待感を抱きながら眠るのです。これが「自ら仕事を追い立てる」ということです。
「仕事をやり終えていない」と考えながら仕事をしていると、努力をしているつもりなのに、周りからせっつかれるようになります。すると、ますます余裕が無くなり残業も増えていくのです。
誰でも、朝の忙しい時間帯に家を出てから「鍵を閉めたかな」「エアコンを消したかな」と何度か気になって確かめたという経験があると思います。
脳は繊細です。外から強い刺激を受けたり、あせっている状況だと、正常に頭が動かないのです。冷静に、「鍵をしめた」「エアコンを消した」と心の中でチェックをしていけば、「やりきった感」が出るので、後で心配になることは無いのです。
複雑な思考をする時も同じです。未来について考える際に、AまたはBという事態が予想されるとします。Aという状況になると、さらに、A1、A2という分岐が考えられます。Bという状況では、同じように、B1、B2という分岐があります。B2の下にはさらに分岐が考えられるかもしれません。
この場合には、最初に「Aや、B1については、それほど考えなくても大丈夫そうだ」とか「B2に関してはもうちょっと掘り下げよう」といった見通しを立てます。おおまかなアタリを付けていくのです。AやB1については、脳内で「大丈夫そうだ」という感覚があるわけです。
優れた人は、決して全てを考えているわけではないのです。重要と思われる部分のアタリをつけて、そこを重点的に考えているわけです。
ところが普通の人は、いきなりA1、A2、B1、B2と、すべてをひとつづつ綺麗に片付けていこうと考えるのです。しかもそれぞれを、100%に至るまでやり遂げようと思っています。
思考においても、「検討し終わったらご褒美を自分に与える」という仕組みを脳内に作っておかないといけません。思考と情動は切り離せないのです。もし思考や行為に「やり終えた感」が無かったらどうなるでしょうか。
フンギリがつかないので、目の前の仕事をいつまでも続けることになります。誰かが「もういい」と止めるまでです。
また、こういった人は、自分で「何が重要で、何がそうでないか」という判断がつかなくなります。目の前に降ってきたタスクを処理するだけの人間です。
やり終えた仕事でも、鍵を閉め忘れたか心配になった場合と同じように、「ミスはなかったか」「やり残したことはなかったか」と何度も確認するようになります。強迫性障害のようなものです。
ヒトは進化によって、自律的な思考が可能になりました。それが無ければ犬や猫と変わりません。犬にも意識がありますが、目の前の出来事や空腹に振り回されているだけで、自律的に思考を巡らせることができません。ところが、こういった犬や猫レベルの人間が案外と多いのです。
日本人はこういった自律的な思考が苦手です。仕事にとりかかる前に、段取りを考えることができないのです。普通は仕事をする前に、「何をいつ、どうやってやるか、リソースは足りているか」という見積もりをします。ところが日本人は、いきなり与えられた眼の前の仕事に、飛びついてしまうのです。
戦争でも日本人は、表面に囚われ、兵站や補給を軽視していました。そのために飢餓で死ぬ兵士も多かったのです。「バスに乗り遅れるな」と火事場泥棒のように侵略を開始し、「清水の舞台から飛び降りるつもり」で開戦しました。
このような行為に至る前に、「これはまずそうだな」という感覚が自分の中にあったはずです。ところが彼らは、それを無視してしまうのです。
自律的な思考には、自分に報酬を与えたり、逆に歯止めをかけるような感情によるフィードバックの仕組みが必要です。適切な情動によって、初めて、適切な思考が可能となります。しかし、その感情が欠落しているのが日本人なのです。反応するだけで学ぶことが無ければ、もはや人間とは言えません。
要するに感情が無ければ、自分一人で抽象的な思考もできないのです。抽象的思考ができなければ、宗教や道徳、科学も生まれません。
さて、仕事にとりかかる前の準備として、段取り以外に、資料を読み込む局面があります。情報をインプットしたら、それを寝かせる時間が必要です。文字通り寝てしまうのが一番です。寝ている間でも脳は動いており、学習によって活性化したシナプス間の伝達を強化してくれます。
眠らないまでも、少し休んだり、あるいは気晴らしに全く別の仕事をしてもいいのです。例えば、タスクAとタスクBを交互にやっている方が、タスクAだけをずっとやっているより、効率的なのです。
社会人になった時の上司が、たまたま東大の数学科卒でした。「仕事中に手帳ばかり見ている」とよく陰口を叩かれていました。でも重要なことを紙に書き出し、仕事の段取りを考えるのは大切なのです。
日本では、手を動かすのが仕事だと思われています。じっと紙を見つめていたり、モニターを眺めて手が動いてなかったりすると「仕事をしていない」と思われるわけです。別に、考えながら手を動かしてもいいのですが、頭の中で全てが完結するのなら、その方が効率的なのです。
明確なイメージを持ち、そこに至る道筋を考えるのは重要です。まず最初にゴールとなる「あるべき姿」を、目の前で見ているかのように心に描きます。そこから逆算して、どういう手を打てばいいのかを考えていくのです。フォーキャストとバックキャストを組み合わせるわけです。
次に緻密な計画を作ります。小さなタスクにまで分解します。それぞれをいつやるのかも明確にします。万が一の場合に備えたバッファも用意します。あとは、作った計画を眺めているだけで、自動的に頭や体が動いてくれます。ゴールがはっきりしているので迷うことがありません。想定外の事が起こっても、柔軟に対応できます。
明るい未来を得るためには、明るいセルフイメージが必要です。「日本スゴイ」と唱えたところで、何も良いことは起きません。しかし「自分スゴイ」と唱えると、良いことがあるのです。毎晩寝る前に、活躍している自分の姿を想像していれば、いつのまにか、スゴイ存在となっていくのです。ひとりひとりがスゴくなれば、結果として、日本がスゴくなる可能性もあることでしょう。
このブログを書いているプライベートな目的のひとつは、自分が「なりたくない姿」を明らかにすることにあります。それを繰り返していくことにより、逆に「なりたい自分」が浮き彫りになっていくのです。
スコット大佐のように、眼の前だけを見て頑張るのか。あるいは、アムンゼンのように無理のない計画を立てて、着実にこなしていくのか。このどちらかの方法があります。南極点到達は、数年の出来事でしたが、人生はもっと長いのです。
どちらの方法をとっているかで、将来が大きく違ってきます。死ぬか生きるか、そのくらいの違いがあるのです。