kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

仕事のやり方を分かっていない日本人(仕事の区切りが悪い日本人)-そしてこのブログの意味について-

日本人の仕事のやり方は非効率的です。仕事に明確な区切りがなく、ダラダラと仕事を続けてしまうのです。どうしたら、彼らのようになってしまうのを防げるのでしょうか。

 

南極点到達を競った、イギリスのスコット隊と、ノルウエーのアムンセン隊の逸話があります。スコット隊の場合、天気のいい日には、可能な限り前へと進みました。反対に天気の悪い日は休んだのです。ところがアムンセンは、晴れの日も、荒天の日も、一定のペースで進むというやり方をとりました。無理のない計画を立て、それを着実にこなしていく方法を採ったのです。

南極点へ先に到達したのはアムンセンでした。かたやスコット隊はと言えば、遅れただけでなく、帰路はメンバー全員が遭難したのです。生きて戻った者はいませんでした。

 

日本人もこれと似たようなところがあります。「今日のうちにやれるだけやっておこう」と考え、重要でない局面でも、無理して頑張ってしまうのです。それが毎日続くと、残業ばかりの日々となります、プロジェクトのリーダーがそういったタイプだと、やがてデス・マーチが常態化します。

 

彼らの仕事のやり方を観察していると、仕事ひとつひとつの区切りが悪いことに気が付きます。100%完全なんてことは有り得ないのですから、80%あたりで区切らないといけないのです。ところが、日本人はそういった決断が不得手です。

 

人間は不安を抱きやすい存在です。過去のこと、未来のことを考えると、どうしてもあれこれネガティブなイメージを抱いてしまうのです。頭に引っかかるものは、紙の上に書き出し、ひとつひとつの解決の見込みを得ることで、安心できます。ToDoリストにチェックを付けていくようなものです。

リストの項目にチェックを入れると「やり終えた感」が生まれます。脳内ではドーパミンが放出され、満足感を得られます。チェックすること自体が「ご褒美」になるのです。

 

ところが「まだ100%には程遠い」とか「もうちょっと修正する余地があるのではないか」などと考えて仕事を続けると、いつまでたっても仕事を終えた感じを得られません。こうして、「今日の仕事も不十分だった」と考えながら帰途につき、「明日は、あれをやらなくちゃ」といったプレッシャーを感じながら眠りにつくのです。これでは、仕事が面白くありません。日本人は、仕事を「ひたすら耐え抜く修行」であるかのように思っています。

上とはまったく反対の事をしなければいけないのです。「今日は、これをやり終えたぞ」と満足しながら帰り、「明日は、あれもやり遂げてやる」という期待感を抱きながら眠るのです。これが「自ら仕事を追い立てる」ということです。

「仕事をやり終えていない」と考えながら仕事をしていると、努力をしているつもりなのに、周りからせっつかれるようになります。すると、ますます余裕が無くなり残業も増えていくのです。

 

誰でも、朝の忙しい時間帯に家を出てから「鍵を閉めたかな」「エアコンを消したかな」と何度か気になって確かめたという経験があると思います。

脳は繊細です。外から強い刺激を受けたり、あせっている状況だと、正常に頭が動かないのです。冷静に、「鍵をしめた」「エアコンを消した」と心の中でチェックをしていけば、「やりきった感」が出るので、後で心配になることは無いのです。

 

複雑な思考をする時も同じです。未来について考える際に、AまたはBという事態が予想されるとします。Aという状況になると、さらに、A1、A2という分岐が考えられます。Bという状況では、同じように、B1、B2という分岐があります。B2の下にはさらに分岐が考えられるかもしれません。

この場合には、最初に「Aや、B1については、それほど考えなくても大丈夫そうだ」とか「B2に関してはもうちょっと掘り下げよう」といった見通しを立てます。おおまかなアタリを付けていくのです。AやB1については、脳内で「大丈夫そうだ」という感覚があるわけです。

優れた人は、決して全てを考えているわけではないのです。重要と思われる部分のアタリをつけて、そこを重点的に考えているわけです。

ところが普通の人は、いきなりA1、A2、B1、B2と、すべてをひとつづつ綺麗に片付けていこうと考えるのです。しかもそれぞれを、100%に至るまでやり遂げようと思っています。

 

思考においても、「検討し終わったらご褒美を自分に与える」という仕組みを脳内に作っておかないといけません。思考と情動は切り離せないのです。もし思考や行為に「やり終えた感」が無かったらどうなるでしょうか。

フンギリがつかないので、目の前の仕事をいつまでも続けることになります。誰かが「もういい」と止めるまでです。

また、こういった人は、自分で「何が重要で、何がそうでないか」という判断がつかなくなります。目の前に降ってきたタスクを処理するだけの人間です。

やり終えた仕事でも、鍵を閉め忘れたか心配になった場合と同じように、「ミスはなかったか」「やり残したことはなかったか」と何度も確認するようになります。強迫性障害のようなものです。

 

ヒトは進化によって、自律的な思考が可能になりました。それが無ければ犬や猫と変わりません。犬にも意識がありますが、目の前の出来事や空腹に振り回されているだけで、自律的に思考を巡らせることができません。ところが、こういった犬や猫レベルの人間が案外と多いのです。

 

日本人はこういった自律的な思考が苦手です。仕事にとりかかる前に、段取りを考えることができないのです。普通は仕事をする前に、「何をいつ、どうやってやるか、リソースは足りているか」という見積もりをします。ところが日本人は、いきなり与えられた眼の前の仕事に、飛びついてしまうのです。

戦争でも日本人は、表面に囚われ、兵站や補給を軽視していました。そのために飢餓で死ぬ兵士も多かったのです。「バスに乗り遅れるな」と火事場泥棒のように侵略を開始し、「清水の舞台から飛び降りるつもり」で開戦しました。

このような行為に至る前に、「これはまずそうだな」という感覚が自分の中にあったはずです。ところが彼らは、それを無視してしまうのです。

自律的な思考には、自分に報酬を与えたり、逆に歯止めをかけるような感情によるフィードバックの仕組みが必要です。適切な情動によって、初めて、適切な思考が可能となります。しかし、その感情が欠落しているのが日本人なのです。反応するだけで学ぶことが無ければ、もはや人間とは言えません。

要するに感情が無ければ、自分一人で抽象的な思考もできないのです。抽象的思考ができなければ、宗教や道徳、科学も生まれません。

 

さて、仕事にとりかかる前の準備として、段取り以外に、資料を読み込む局面があります。情報をインプットしたら、それを寝かせる時間が必要です。文字通り寝てしまうのが一番です。寝ている間でも脳は動いており、学習によって活性化したシナプス間の伝達を強化してくれます。

眠らないまでも、少し休んだり、あるいは気晴らしに全く別の仕事をしてもいいのです。例えば、タスクAとタスクBを交互にやっている方が、タスクAだけをずっとやっているより、効率的なのです。

 

社会人になった時の上司が、たまたま東大の数学科卒でした。「仕事中に手帳ばかり見ている」とよく陰口を叩かれていました。でも重要なことを紙に書き出し、仕事の段取りを考えるのは大切なのです。

日本では、手を動かすのが仕事だと思われています。じっと紙を見つめていたり、モニターを眺めて手が動いてなかったりすると「仕事をしていない」と思われるわけです。別に、考えながら手を動かしてもいいのですが、頭の中で全てが完結するのなら、その方が効率的なのです。

 

明確なイメージを持ち、そこに至る道筋を考えるのは重要です。まず最初にゴールとなる「あるべき姿」を、目の前で見ているかのように心に描きます。そこから逆算して、どういう手を打てばいいのかを考えていくのです。フォーキャストとバックキャストを組み合わせるわけです。

 

次に緻密な計画を作ります。小さなタスクにまで分解します。それぞれをいつやるのかも明確にします。万が一の場合に備えたバッファも用意します。あとは、作った計画を眺めているだけで、自動的に頭や体が動いてくれます。ゴールがはっきりしているので迷うことがありません。想定外の事が起こっても、柔軟に対応できます。

 

明るい未来を得るためには、明るいセルフイメージが必要です。「日本スゴイ」と唱えたところで、何も良いことは起きません。しかし「自分スゴイ」と唱えると、良いことがあるのです。毎晩寝る前に、活躍している自分の姿を想像していれば、いつのまにか、スゴイ存在となっていくのです。ひとりひとりがスゴくなれば、結果として、日本がスゴくなる可能性もあることでしょう。

このブログを書いているプライベートな目的のひとつは、自分が「なりたくない姿」を明らかにすることにあります。それを繰り返していくことにより、逆に「なりたい自分」が浮き彫りになっていくのです。

 

スコット大佐のように、眼の前だけを見て頑張るのか。あるいは、アムンゼンのように無理のない計画を立てて、着実にこなしていくのか。このどちらかの方法があります。南極点到達は、数年の出来事でしたが、人生はもっと長いのです。

どちらの方法をとっているかで、将来が大きく違ってきます。死ぬか生きるか、そのくらいの違いがあるのです。

 

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