日本人は問題を指摘すると「そんな事を言うんだったら対案を出せ!」と反応します。考える範囲を提示しても、「じゃあ、結局どうしたらいいんだ?」と厚かましくも要求するのです。感情的で「みんな我慢しているのにあいつは不満を述べている」と曲解もしています。彼らはまともに考えられず、いちいち手取り足取り教えてあげないと、何も出来ません。まるで子供です。
具体的な解決策は、その場その時、置かれた状況に応じて変わっていくものです。もし戦場で将官が、臨機応変に決断を下すのではなく、参謀の作戦計画に頼りきりで、駄目だと分かると保身の為にそそくさと艦隊を引き連れて現場から逃げ去る事しか出来ない人物ならば、彼は何ひとつ自分では解決できない無能な役立たずでしかありません。
ネットに溢れるブログのコメント欄を覗いて見ると、書き込む人は大きく3つのタイプに分類できます。(1)自分の訊きたい関心事だけをいきなり質問し、答えを得ると感謝も表さずに去っていく者、(2)同意を得るために相手に媚びたような質問をするが、期待した回答が得られないと憤慨して去っていく者、(3)何かしら瑕疵を見つけて相手をやり込めたいと思っている者などです。コメントを残すなら両者にとって建設的な意見を書くべきですが、日本人にはそれが出来ません。考えるのが苦手で、自分勝手で性格が歪んでおり、コミュニケーション能力も不足しているのです。
日本人はあれこれ心配はするが、結局は、周りに合わせて大人しくしている事が賢明だと思い込んでいます。海外で「暴動が起こった」というニュースを聞くと、決まって「頭が悪い」と彼らは反応します。 自分の身は安全なところに置きながら、善人面、被害者面で澄ましています。
しかし同時に彼らは、言われた事は何が起こってもやり続けるという、頭のおかしな人達でもあります。何しろ戦場で被弾しても、死ぬまで進軍ラッパを吹き続けたという一兵卒の奇行が、美談として伝わり続けるような国なのです。
言われるまま、皆で一斉に同じ方向へと向かい、細かい所まで極める、そんな事が有利になる時代はとっくに終わっています。家電製品は相変わらずコストを押し上げるだけで使い辛い多機能を誇っています。プレゼンでのパワポの資料はごちゃごちゃしていて、何がポイントなのか良く分かりません。彼らの作り出すものは過剰品質で、どうでも良い部分に多大な労力をかけ、必要とされていない「完璧さ」を目指しています。「あれもできます、これもできます!」は、「何も出来ません」と同じです。
もしトップに天才的な人物が居れば、言われた通りに動くだけの二等兵だらけでも、偉大な成果を残す事もあるでしょう。しかしそんな人物はめったに出ないのです。
特に今のような教育環境では、あり得ないことです。教育を受ける側も、皆と異なる独創的な発想ができる事を喜ぶのではなく、皆と同じ発想となる事を喜ぶような人々です。普遍的な法則を見出だすような考えをする者は孤立無援の探求者足り得ても、社会の戦力とは看做されません。システム全体を視野に入れて考えられる人も居ません。ただ、些末な事柄を展開し、それを逐一正確に遂行するような人間が好まれます。
上司や世間の顔色を伺いながら、失敗を避け、完璧を目指す傾向は、時に奇妙な結果を生みます。ウイルスの感染を防ぐために、学校給食のおかずを一品だけにしたというニュースが報じられていました。しかも生徒達は、全員、先生とは反対の方向に座らされているのです。生徒を気遣うようなフリをしながらも、その実、彼らを動物扱いしています。「努力している」という見せかけが大事なので、意味の通らないおかしな事がまかり通ります。
人間魚雷「回天」の出撃では、嫌がる搭乗員を蹴飛ばして無理矢理、艦内に押し込め、ハッチを外側から閉めていました。戦果が上がるかどうかは問題ではなく、奴らを戦場に送り出して自分の職務を果たし、あとは連中が露と消えてくれれば良かったのです。
この国の人々は、必要とされていない品質を極めるのに夢中なだけでなく、表面を綺麗に糊塗し、仕事をしているフリをするために、多大な労力をかけます。下が上の意向をあれこれ忖度する分、時間と手間もかかります。生産性が何時まで経っても上がらない所以です。
何か質問すると、屁理屈や言い訳、恫喝のオンパレードです。それなら「じゃあ、好きにすれば?」「言われた通りにやってりゃいいんだろ」となる訳です。何か重大事故が起こっても、「助言と指導」をするだけの役立たずが現場にやってきて、その言葉をうやうやしく押し戴かなければなりません。
人は、次々に起こる大小様々な問題を解決していかねばなりません。ところが日本人はあたかも問題が無いかのように振る舞ったり、幼稚な捉え方をしたり、人から聞いた安直な解決法に飛びついたりします。ものぐさで考える事を厭います。
彼らは耳当たりの良い、自分が聞きたい話しか聞こうとしないのです。洗脳された事をさらに自分で強化するために本を読んだり、TVを観たり、ネットで調べたりします。
この国の民の、自ら考えようとせず、指示された方へと向かい続ける性質は変わりようがありません。でもせめてトップには「自分で考えられる人間」を置きたいものです。ところが社会システムは、老いて醜悪陋劣な人間が好き放題に出来るようになっています。終戦時のパージのような機会でも無い限り、国の崩落はこれからも続くでしょう。他国を罵ったり、隣人同士で憎み合ったり、弱者を虐めている場合ではありません。最悪の事態はまだこれからやって来るのです。