kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

モノをまともに作れなくなった日本

日本人はまともな製品を作ることができなくなりました。どうしてなのでしょうか。ここから挽回する手立てはあるのでしょうか。

 

以前、メインフレーム向けの大容量記憶装置の開発に携わっていたことがあります。その時は世界一の製品を作り上げようとして皆が努力をしていました。最新の技術を用い、記憶容量や性能だけでなく、何があっても絶対に機能を停止することのない機械を作ろうとしていたのです。信頼性の面でもトップクラスのものを目指していた訳です。

今考えると信じられないようなコストをかけていました。毎日深夜まで会議を繰り返し、あらゆる可能性を探りました。すべてを漏れなくダブりなく検討するというのは難しいものです。上流工程では8割ほどを押さえていればいいのですが、下流工程に行くにつれて、検討を100%まで限りなく近づけていかないといけないのです。完璧を目指すにはそこまでやらないといけません。

 

現在の製造業の凋落を見ると、いくつか気づくことがあります。ひとつは、作っている人たちに目的意識がないように見える点です。企画から降りてきたスペック表をもとに、ただそれを機械的に実現するといった感じです。単に上にの言うことに黙って従っているだけです。役職の差を超えて議論するなどもっての他です。

 

また、多くの人がミスを恐れ、失敗しないことばかり考えています。もし仮に失敗しても、無かったことにしてしまいます。失敗から学ぶことができません。これは上に行けば行くほど顕著です。彼らは見るからに傲慢で、人の話を聞こうとしません。

 

さらに、これは日本人に共通な特徴なのですが、原理原則を理解しようとせず、小手先の技術ばかりを学ぼうとします。教育では実学が重視されます。文系では、経済学部や法学部、理系では医学部、工学部といった具合です。基礎研究の道に進む人間は、変わり者のように見られています。

 

このような人たちですから、教養もまったくありません。教養は大切です。スティーブ・ジョブズが述べていたように、一見役に立たないように見えるバラバラな知識や経験も、やがては頭の中で繋がっていくのです。それが新しい発想の種になります。ところが日本人は教養に関しても、「効率的に身につけるぞ」とばかりに、ショートカットができるような方法を探るのです。

 

また、製造業を見てみて思うのは人材のレベルの低さです。経済学部・法学部出身者と、工学部出身者を比べてみると、後者の方がはるかに劣ります。傲慢さを隠そうとせず、すぐにブチ切れて汚い言葉を吐きます。下の者を「おいコラ」呼ばわりです。まったく紳士的とは言えない人格が歪んだ人たちです。

それだけではありません。日本人は言語能力で劣っていますが、理工学部出身者も当然例外ではないのです。

言語能力に長けている文系のエリートは、ちょうど良いバランスがとれた脳を持っているので未だマシです。しかるに工学部出身者はそうではないのです。論理的に相手を説得できないので、直ぐに感情的になり怒り出します。説得ではなく恫喝です。一見、論理的なことを言っているように見えますが、騙されてはいけません。理系の人間の方がロジカルではないのです。日本では、理系の優秀な人間が医学部へ進んでしまうという傾向もこれに大きく影響していそうです。

 

日本がIT化に乗り遅れたままの状態であるのも、凋落の原因です。「デジタル化だ、DXだ」と口では叫びながらも、彼らは何も理解していません。事業会社のシステム部門は花形ではなく、どちらかというと左遷部門です。未来ある若手や中堅が配属されると、モチベーションが下がり、やがて離職していきます。

中期計画で決まっているので、仕方がなくシステム化を進めます。既存の業務やシステムを次々に、新しいシステムへと置き換えていきます。確かに何かが変わりましたが、何が良くなったのか、さっぱり分かりません。下手すると前より悪くなってしまう事さえあります。そうして、ろくに活躍もせずに減価償却されていきます。

 

システム構築作業では、マイナスをゼロに近づけるだけでも大変で、プラスまで持っていくのは至難の技です。建築の場合、設計図がしっかりしていて基礎工事をまともに行っていれば、建てたビルが直ぐに倒壊することはないでしょう。ところがITになると、一箇所検討が漏れていただけでシステムが停止することがあるのです。

日本では失敗が許されませんので、あらゆる点で検討漏れがないかを、寝る間も惜しみ、血眼で探す羽目に陥ります。リスクばかりが大きくてリターンが少ないのですから配属されるのを嫌がるのも当たり前です。

バグが時々発生しても許される魅力的な製品もあれば、バグが絶対に許されず、魅力も全くない製品もあります。日本は後者です。

 

これに加えて、日本人にはデザインセンスがありません。昔の日本の電化製品は、ごちゃごちゃした沢山のボタンやパネルが、そのまま、多機能を誇るデザインとなっていました。ところが今は違います。シンプルな使い勝手の良さが求められているのです。余計なボタンを加えていくのは簡単ですが、矛盾する様々な機能を統合してシンプルにまとめるのには頭を使います。日本人にはこれができません。

システムのユーザインタフェースも酷いものです。クラウド製品であっても、自分達の業務に合わせるようにあれこれ文句を言う顧客が居るので、どんどん複雑な画面となっていきます。

シンプルに機能をまとめる能力の欠落と、自分たちの作業を決して変えようとしない我儘な客が、このような結果を招いています。しつこく「変われ」と言われるので、表面上だけ変わったフリをしているのが日本人です。

 

日本のモノ作りが凋落した原因を上に挙げてきました。目的意識の欠如。命令に盲従する習性。失敗することへの恐れ。失敗から学ばない傲慢さ、原理原則を理解せず実学を重視する姿勢。教養のなさ。人材の劣化。ITへの理解不足。デザインセンスの欠如。こういったものです。

 

日本人は他国が築き上げた文明の上にちゃっかりと乗っかって、うまい汁を吸おうとしているサルのようなものです。もし仮に文明が崩壊したとしたら、日本人が自力でそれを再生することはできないでしょう。鉱石ラジオを作ることさえできなくなるかもしれません。原理原則を理解していないからです。

 

日本を再生するには、外国から優秀な人を招いて指導してもらうのが一番良いでしょう。こうも上から下までレベルが下がってしまうと、それ以外に打つ手がありません。

いくら「わたしに投資を」と呼びかけても外国人投資家は寄ってきません。連中の言うことが信用されていないのは明らかです。そういった存在意義のない人々をすげ替える必要があります。

とはいえ、このような危機的状況にあっても変われないのが日本人というものなのです。

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