kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

生の始まりと終わりについて

国の統治に携わる者はどう生きていくべきでしょうか。それは庶民のものとは異なるものであるはずです。生き方が違うのであれば、その終わり方も異なります。

 

「良い死に方を知らないものは、悪い生き方をするだろう」とセネカは書きました。何をするにあたっても、最後を見据えておくべきです。期日や「あるべき姿」といった目的をイメージしているからこそ、それに向かって効率的な仕事ができるのです。

統治に関わる者も同じです。常に自分の引き際を考えているべきです。小さな会社において創業者が会長職にしがみついたとしても、その影響範囲はたかが知れています。しかし政治に携わる老人が、その地位にしがみつけば、その弊害は国全体に及びます。

 

スティービー・ワンダーの「Isn't  She Lovely」という曲があります。初めて自分の娘が産まれた時の感動を歌ったものです。

歌詞のなかに、「生と愛は同じもの」という部分があります。人間は勝手に生えてくるものではありません。人の営みによって産まれてきます。愛によって生命が誕生することもあれば、憎しみによって生命が消えることもあります。

ちょっとした切っ掛けによって生を授かったのに過ぎないのならば、それを奪われることも覚悟しなければなりません。

人が消え去ったとしても、そこから新しいものが生まれることもあります。本人にとっては災いですが、世界にとっては朗報となり得る場合もあるのです。

 

全ての人間がゴミのように扱われ消えてしまうことは防がなければなりません。しかし上に立つ者であれば、地位を失う可能性を常に意識するべきなのです。「良い悪い」ではなく、世の中がそういうものだからです。生々流転(しょうじょうるてん)がなければ社会が停滞してしまいます。

 

人間の命は等価ではありません。赤ん坊の可能性は未知数であり無限大です。しかし年をとって、恵まれた環境で力を振るう立場にありながら、社会に仇なす行為を続ける者があれば、社会的に淘汰されなければいけません。「良い実」を結ばない者は、申し開きができません。斬り倒される他はないのです。

 

歴史を振り返ると、独裁者がいなくなることによって、どれほどの人達が救われて来たことしょうか。利害を共にして来た者は悲しむでしょう。けれども、その悲しみは一時的なものです。その一方で、大衆の喜びは持続的なものです。

 

為政者を人間として捉えるのは間違いです。彼はシステムを動かすマシンに過ぎないからです。ほとんどの人にとって「あの人が人間的にどういう存在だったか」という話はどうでも良いことです。システムを動かす重要な歯車の調子が悪くなったら、交換するしかありません。これが「無私」ということです。

後世になってから正しいとされた人とて、同じことです。一種の贖(あがな)いです。自分を身代わりとして捧げることによって、人々を救ったという訳です。

語り継がれる数々の英雄的な逸話は、後世の人が付け加えた飾りに過ぎません。

 

善悪どちらの存在であったにせよ、彼らは、単なる私人ではないのです。普通の人間とは全く違う、別のルールが適応されるべきなのです。悪口を言われない権利、批判されない権利など、噴飯ものです。彼らは、傷つきやすい乙女なのでしょうか。

統治に関わるものは、何よりも無私が求められます。経済に関わる人々や庶民が従うべき、自由主義的なルールとは全く異なります。

 

慌てふためいて醜態をさらすのは恥ずかしいことです。自分だけは例外だと思うのは、自惚(うぬぼ)れです。地位が高くなればなるほど、人間は機械に過ぎなくなるのです。自分を犠牲にして、システムのために奉仕する存在です。そう思わなければ、やっていけない仕事です。

それなりの地位にありながら、商人のようにカネをもらい、なおかつ、庶民のように自堕落な生き方を楽しもうとは、まったくもって虫のいい話しではありませんか。

 

人が存在しているのは、まったくの偶然に過ぎません。できる事も限られます。それを意識すれば、人間はもう少し謙虚になれるはずです。

 

すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。

絶大な幸せは、それがどんなものであれ、不安に満ちている。また、運というものは、たとえ幸運であっても、信頼がおけない。

 

あなたは、理髪店で何時間もすごす伊達男たちを、閑暇な人と呼ぶだろう。髪の乱れを直してもらったり、薄くなった髪を、あちこちから前のほうに寄せ集めたりしている。理髪師が少しでも不注意なことをしようものなら、彼らはどれほど怒ることだろう。こんな連中の中に、自分の髪が乱れないことよりも、自分の国が乱れないことが大事と考える人がいるだろうか。

セネカ『人生の短さについて』

(ロンドンのハイド・パークで行われたスティービー・ワンダーのコンサートです)

www.youtube.com

Isn't She Lovely

市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫)

人生の短さについて 他2篇 (光文社古典新訳文庫)

日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点 (集英社インターナショナル)