日本人は騙されやすい人たちです。表面しか見ていないからです。彼らは日々の生活を忘れさせてくれる美談を求めています。誰もが頭を下げることのできる立派な人物の美談です。そういった聖人を皆で担ぎ上げます。しかし人間ですからいずれ失敗します。それまでの尊敬と敬愛の念はどこへやら、一転して彼は憎悪の対象となります。そうした行為を日本人は繰り返しているのです。
メジャーリーグで活躍する日本人選手の通訳が、横領と賭博で解雇されました。通訳でありながら公私で野球選手を支える彼の様子は、日本では美談として語られていました。英語の教科書にも採り上げられる予定であったのに、それをこれから書き換える羽目に陥ったそうです。
まだ白黒がはっきりしていないものの、有名選手を影に日向に支えていた通訳という「落ちた偶像」を叩きのめそうと、固唾をのみながら日本人は注視しています。当の野球選手も、莫大な契約金をもらって球団を移籍したばかりです。結婚相手も公にされました。果たして「天国から地獄へ」という劇的な物語を見ることができるのか。心配している様子を示しながらも、実はワクワクしながら人々は見守っています。
それにしてもです。通訳は、球団に雇われている契約社員に過ぎませんでした。安い給料で野球選手に身も心も捧げるなどあり得ないではありませんか。ちょっと考えれば分かるはずです。どこかでその歪(ひずみ)を解消しているはずです。日本の報道は、変に彼を持ち上げることなく、距離を保って冷静に観察しているべきだったのです。
美談の種となるようなものは、普通はどこかに無理があり、裏があると考えてよいのです。以前には「下町ボブスレー」が道徳の教科書に採り上げられたことがありました。今回も同じようなものです。社会のピラミッドの底辺に位置するような人間が、不平不満も持たず、報酬も十分でない状況で、一身を捧げる。そんな都合の良い話が存在するわけがありません。
野球という極めて狭い範囲での通訳業。加えて日本語というマイナー言語を扱うしがない雇われ通訳者。そんな彼を、英雄を支える道徳的な人物として日本人は称えてきたのです。責任は報道関係者だけではありません。公私に渡って彼を都合よく利用してきた当の野球選手にも原因があります。違う世界の人間です。まるで友達でもあるかのような扱いは慎むべきでした。当の本人がダンマリを決め込んでいるのも違和感があります。
結局のところ、日本人は物事を明確に認識することができない人々です。見ても見えず、聞いても理解できない人たちです。彼らは「そうあったら良いな」という話と実際とを混同してしまいます。永遠に本質を掴めない未熟な連中です。
そんな都合のよい話があるはずもないのに「いい話だな〜」と感激してしまうのが日本人です。そしてそれを皆で盛り上げようとします。日本人のこの傾向が「日本スゴイ」といった様々な与太話を生み出しているのです。
偶像を作り、みんなで神輿を担ぎ上げては騒ぎます。集団で思考停止に陥るのです。そうして大きな局面で失敗します。日本人には狂信的(ファナティック)な面があります。炎を囲んでトランス状態となる未開人と似ています。太平洋戦争もそうでした。
彼らは目立つ人をよく考えもせずに祭り上げます。通常は目立つ人間は叩かれます。しかし権威がお墨付きを与えると、一転して尊敬の対象となるのです。日本ではこの差が激しいのです。当の野球選手は、アメリカのメジャーリーグという本物が「スゴイ」と言ってくれたのです。日本人にとってこれ以上の誇りはありません。その野球選手が、あの通訳を頼りにしていたのです。
常識とされる事にも疑いを持つのが文明人です。大勢がおかしな事を息巻いていたら、無勢であっても「これはおかしいぞ」と思うのが理性ある人間です。ところが進んでその仲間になってしまうのが日本人なのです。
小学校や中学校で「先生は、なぜこんなことをしているんだろう」と疑問に思ったことはないでしょうか。その直感は正しいのです。しかし多くの日本人はそういった直感を捨て去り、一緒に馬鹿となることを選ぶのです。日本が「土人の国」というのはまさに言いえて妙です。
ひとつのものに全てを賭けてしまうという日本人の傾向も、リスク管理の点から全く推奨できない行為です。今までは、野球選手の名前を報道で連呼していれば、愚鈍な国民はそれに食いついてくれました。しかしもしも今回の騒動で影響が彼にまで及び、活動停止や永久追放にでもなったらどうするのでしょうか? 彼らがどう態度を変えるか見ものです。
日本人は理性が足りません。非常に感情的な人々です。感情的ですが普段は抑制しています。理性を司るはずの大脳皮質を、感情を抑えることだけに使っているのです。だからアルコールが入ったり、集団催眠状態になると、抑えていた感情が暴発してしまうのです。実にクレージーな連中です。日本という狭い世界ならまだしも、これが外交にまで及ぶとそうも言っていられません。個人としては理性的であっても、集団となるとケモノと化してしまうのです。
今回の件は卑しい日本人の性質を、またひとつ明らかに示してくれた好事例となりました。いずれにしてもどうでも良い野球選手の過熱報道は少しは抑えられそうです。それだけが本件における救いです。