kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本人が求めるコミュニケーション能力とは何か

コミュニケーション能力が重要だと良く言われます。コミュニケーション能力とはいったい何でしょうか。範囲を狭めて、特に末端の技術者や外国人労働者にも日本人が求めている「コミュニケーション能力」について考えてみましょう。

 

この能力は、言葉を発することを必ずしも求めていません。そうではなく、上の立場に居る人間の気持ちを察し、気持ち良い気分にさせるスキルを指しています。つまり「おもてなし」の能力です。

ある外資系メーカーを訪問した際、部長秘書が床に三つ指をついて挨拶した後で飲み物を給仕してくれました。まるでソープ嬢です。部長の趣味だったのかもしれません。こういうのが良く躾けられた秘書なのです。

ある技術者がクレームを受けて返されて来ます。客の言い分は矛盾しています。「よく分からないなら、直ぐに訊きに来て欲しい」「こっちも忙しいので、訊きに来ないで自分で考えて解決して欲しい」といった具合です。コミュ力の不足は、気に入らない技術者を追い出すのに便利な言葉でもあります。

「お先に失礼します」という決まり文句があります。上の立場に居る人間は、ぶっきらぼうに無言で帰っても、誰かしら挨拶をしてくれます。反対に一番下の人間の場合を考えてみましょう。挨拶しても返事が返ってこない事があります。

かといって挨拶を返してくれそうな人に向けて言葉を発するのは失礼です。返事を強要する事になるからです。会話中の人々に声をかけるのは最悪です。しかし無言で帰るのも印象を悪くします。そのため、周りの人々に聴こえるくらいの音量で、そして明瞭な発音で、誰にも目を合わさずに空中に向かって「失礼します」と言いながら、返事を期待しない様子ですぐさま席を立つのが無難な方法なのです。これも立派なコミュ力です。

 

日本で働くには「こういった行為は(日本社会では)失礼になる」といったメタ知識を持ち、その上で帰属集団の細かいルールをひとつひとつ覚えておく必要があります。しかもこういったルールは、集団毎にしばしば矛盾します。

 

日本では小さい頃から「察する」ことを学びます。日本の試験では、学んだ事を体系的に理解しているかではなく、教師が言った事、書いた事をそのまま素直に暗記しているかどうかが問われます。それらが矛盾し筋が通らなくてもです。非常に悪質ですが、これを試すような問題がしばしば出ます。眼前の問題を理解するのと同じくらい、出題者が何を求めているのかを察する能力が必要なのです。却って何も考えずに丸暗記する人の方が有利です。

 

日本人は生まれてからずっと「余計な事を言うな、黙って従え」と言われてきたのに、社会人になると急にコミュニケーション能力を求められるのです。しかもそれは言語能力では無いのです。上に奴隷のように奉仕する能力です。逆に、下の人間に対しては「コミュニケーション」を試みる必要がありません。「オイ!」「あれは?」で十分です。

「大学で何を学んだ」「これが出来ます」等というのは意味がなく、一定以上のランクの大学を出ている事と、体育会的な行動を出来るかが重要です。巨大な組織として動く所は漏れなく体育会系です。軍隊的という事です。上官の命令で、パシリもするし、命ぜられれば上官のケツまで拭きます。これこそが麗しいコミュニケーションというものです。

上でも下でも無い人々に対しては、主語をはっきりさせずに、「世間」や上位の権威を笠に着る事で居丈高に振舞おうとします。謙遜な人でさえ「そんな事をやったら怒られますよ」と言うのです。どんな時も責任を逃れようとする卑怯な人々です。

 

日本人は水面のさざ波のようです。ツイッターのトレンドに上がると、そのキーワードに反応して自分の意見らしきものを言う人も居ます。しかし、それが無くなるや否や、その話題を忘れてしまいます。「こんなものが流行っています」と広告代理店が煽ってやると、大波の様になる事もあります。ところがそれが無くなれば、直ぐに元の静かな水面に戻るのです。形が無く何をしたいのか得体が知れません。手応えが無く誰もが同じように見えますが、陰では強きを避け弱きをくじきます。

 

日本人は執拗に同じ事を考えるのが苦手なのです。「WHYを5回」と言われれば仕事として考えますが、自主的に何かを考え続ける事はありません。

あくまで受け身であり、自ら考えたり、何かを変えようとしない人達です。上に奉仕するのがコミュニケーションだと勘違いしている連中です。だから何時までたっても舐められます。

そんな彼らも外国人に対しては居丈高です。自分たちに奉仕しない外国人は「コミュニケーション能力」が欠けた獣のように見えるのです。しかし彼らこそが、何を考えているのか分からない不気味な鵺(ぬえ)なのです。