kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人間は霊的存在となれるか

人間は霊的な存在となる事ができるでしょうか。すなわち何時の日にか肉体を持たない純粋に霊的な存在として生きることは可能なのでしょうか。

 

「肉体から離れた精神的な存在となって永遠に生きたい」という人間の願望は宗教において繰り返し見ることができます。人は何故このような願いを持つようになったのでしょうか。

 

もともと人間は過去から抽象的な教訓を学んでそれを基にして未来を予測する動物として進化してきました。それにより素早く環境の変化に適応することができたのです。

問題は脳が何段階にも渡って抽象化の過程を繰り返すために人が「夢」を見るようになった事です。「より良き未来」「より良い環境」を求めて思い悩む存在となったのです。それが行き過ぎるとギリシャの哲学者達のように永遠の存在である「イデア」を求めてあれこれ考えるようになるのです。

 

「禁断の惑星」という1956年のSF映画があります。理想を追い求める人間の願望が恐ろしい悲劇を生み出してしまう様子を寓話的に描いています。舞台は高度な知的生命体が大昔に滅び去った地球から遠く離れた恒星系に属する惑星です。そこで数十年前に遭難した地球人の様子を探るための救助隊が光速宇宙船で惑星へ赴くところから話は始まります。

 

その惑星に住んでいた知的生命体は物理的な束縛から離れた純粋に精神的な存在となる事を望んでいました。もう少しでそれが実現する所にまで文明が発達していたのです。

彼らは心のなかに思い描いたものを何であれ物理的に生み出せる技術を得ていました。食料や着る物、宝飾品だけでなく複雑な機械や生命体もです。核融合を利用したエネルギー生成システムも完備されており、無限のエネルギーをそこから得ることも可能だったのです。

 

しかしそれが悲劇を生みます。彼らの知能指数は人間と比べて非常に高いものでしたが脳の構造は人間と大差なかったのです。つまり動物的な脳が中心にありその外側を新しい皮質が覆っていたのです。論理的に考える皮質はありますが、それと同時に意識では制御し切れない動物的な無意識や本能があったのです。

 

いくら論理的に考える事が出来て、なおかつ洗練された倫理を持っていても、無意識には妬みや憎しみが渦巻いています。その潜在意識が彼らの技術を通して「イド」という怪物を勝手に生み出してしまったのです。

言うまでもなく「イド」というのはフロイトが使っていた無意識の称号です。「イド」を使って彼ら異星人は互いに殺し合うようになり、永遠の霊的存在となる前に絶滅してしまったわけです。

異星人の文明を継いだ地球人の生き残りである天才言語学者「イド」を作り出すことになります。無限のエネルギーによって絶えず分子構造を刷新する不死身で無敵の怪物です。彼は救助されることは望んでおらず娘と一緒に静かに暮らす事を望んでいました。博士が眠っている間に潜在意識の憎しみが不死身の怪物へと姿を変えて救助隊を殺戮し始めました。

 

この映画は、高度な文明に対してあまりにも不釣り合いな人間について問題を提起しています。どれだけ文明が進歩しても脳の構造が今のままだったら必ず悲劇が起こります。文明を発展させる前に人間の脳を何とかしなければいけないのです。

 

しかしここで疑問が湧き上がります。人間が本能や無意識を捨て去ったら、それは人間にとって幸せなことなのでしょうか。いや、そもそもそれは人間といえるのでしょうか?

 

人間の多くの行動は食欲や性欲に基づいています。今でもフロイトが指摘した通りです。一見高い倫理観に基づいて行動しているように見えても、動機の根本を辿っていくと原始的な本能に行き着くのです。

たとえば我々が仕事をしている場合でも、毎日の昼食や嗜好品を知らず知らずのうちに報酬として自分を駆り立てている事に気づく場合があります。大きな目標を立てて邁進していてもそれは業績を挙げてより良いパートナーを見つけたり、集団内でボスとしての立場を得る為だったりします。

 

もし原始的な本能を失ってしまったら、人間は何もしなくなってしまうでしょう。人工知能と同じです。エネルギーを供給されて生きているだけの存在です。高度な思考が可能ですが「電気を切るぞ」「壊してやる」と言っても動じません。命令された事をただ受け入れるだけです。

 

人間が本能を失ってしまったら、生きていられるかどうかさえ疑問です。内蔵も含めた身体からの刺激は脳幹を通じて大脳に伝わります。逆に脳から身体への司令も脳幹を通じて伝達されます。

この身体から脳への刺激だけが物理的に断たれると、人間はたちまちのうちに意識を失うことが分かっています。体からの刺激が無いと人間は意識を保つことさえできないのです。

我々が自律的に考えて行動しているように見えるのはただの幻想です。我々は単に刺激に反応しているだけなのです。それが結果として思考を生み出しているのです。

 

外からの刺激に応じて自分を変えて環境に適応する。そうして生き残り子孫を増やす。人間にはこれ以上の意味はありません。そうした存在として人間は進化してきました。より良く適応するがために高度な思考力を備えているに過ぎないのです。

 

我々は肉欲を捨て去ることはできません。そうであるならば行き過ぎた高度な文明は人間を滅ぼす結果になるのかもしれません。あるいは曲りなりにも今まで上手くやって来たのだからこれからも生き延びられるのかもしれません。

 

しかしその前に人類は自分自身をもっとよく知ることが必要です。この数世紀は物質に囚われた時代でした。自分の動機を理解せずに仕事や研究に邁進している人々が大勢います。物質文明を推し進める前に、我々は人間自身をもっと良く探求する必要があるのです。

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なぜアメリカは世界から愛されるのか

アメリカは好かれています。多くの人々が嫌う一方で愛されているのです。何故なのでしょうか。どちらにしてもアメリカは世界に大きな影響を与えている国です。世界はこれからどう変わっていくのでしょうか。

 

アメリカは理想を持っています。その理想を実現する力も備えています。それが多くの人々を魅了するのです。

 

国家には人の一生と同じように興亡があります。華やかな黄金期を迎えた後に必ず衰退していくのです。国として完成した形になればなるほど、そのシステム自体が人々を縛り国を衰退させるのです。しかしアメリカは優れた自浄力を備えています。

国が危うい方向に傾きかけると多くの国民が危機感を抱いて政治に関わり、政権が平和裏に交代するのです。大統領には強い権限が与えられており革新的な政策をとることができます。

 

現在の民主主義や大統領制は必ずしも完全なものではありません。しかし米国の政治制度は今のところ世界でもっとも上手く効果的に機能している制度だといえるでしょう。

普通の国では衰退期に入ると革命が起きたり独裁政権に牛耳られたりすることがあります。単なる政権交代で国が一気に不安定になってしまう事があります。外国の介入が入ることもあります。一方で米国の場合は「革命」といった大きな犠牲を伴う破壊行為を避けながら劇的な政策変更が可能なのです。

 

アメリカの独立宣言には基本的人権国民主権が高らかに謳われています。人民を中心とする理想的な思想は未だについえていないのです。

アメリカには理想があります。彼らは未だにキリスト教や神を捨て去っていません。限界のない経済成長も夢見ています。現実はそれに追いついていなくても「あるべき姿」に向かって進もうという気概があるのです。

 

それを実現するための強大なパワーをもアメリカは備えています。経済力も軍事力も世界一です。アメリカは衝撃を逆に糧として成長してきたという側面があります。

南北戦争の後にアメリカは急激な経済成長を遂げました。日本軍による真珠湾攻撃を切っ掛けにしてアメリカ国民は一致団結しそれまでに例を見ないような強大な軍産複合体を作り上げました。経済と軍事が効果的に相乗し合うシステムを備えたのです。

軍事力を維持するにはカネが必要です。それは国家を疲弊させ結果として国の衰退を早めます。しかし米国の場合は、定期的に起こる紛争により国の富を増やす事ができるのです。

 

強大な覇権国家でありながらアメリカには自由があります。何をしても構いませんがその結果によって裁かれます。自分がやりたいことを試せる場所です。チャンスはあります。しかし失敗してしまえば全てを失います。

それが冒険的な気質を持つ勇気ある人々を惹きつけるのです。現代ほどリスクテイカーが大きく報われる時代はありません。彼らのおかげで世界は更なる経済発展を見込む事ができます。

 

もちろん「誰かの自由」は「誰かの犠牲」を伴います。それを重々承知の上で「やってみよう」というのが米国なのです。大義名分や意味があるのならばリスクがあっても許されるのです。

この国では新しいアイデアを直ぐに試すことができます。そしてそれに賭けようとする資本も存在するのです。米ドルは基軸通過である上に、米国には最先端のシステムやインフラも整備されています。投資家は安心して取引をすることができるのです。

 

自分が信じる理想に向かって自らを変えられる。そしてそれを250年以上に渡り続けてきたこと。それこそがアメリカの強みであり魅力でもあるのです。

 

アメリカの崩壊はそのまま世界の危機となります。米国の衰退は世界の分断に繋がります。世界的なネットーワークやサプライチェーンを前提とした経済成長も望めなくなるのです。

 

アメリカの衰退は外部的な理由に因るものではなく内部的なものです。アメリカを支えている庶民の多くが物価高と治安の悪化に苦しんでいるのです。国の衰退を止められるかどうかは、これをどう解決するかにかかっています。強大な権限を与えられているからこそ、国民は大統領の手腕に大きな期待を寄せているのです。

 

メディアや「有名人」「知識人」は変化を嫌います。というのも彼らは既存の体制から既に十分な利益を得ており安泰に暮らす事も出来ているからです。彼らは短期的な見方しか出来ません。自分自身が癌であり病巣である事に気づいていないのです。

 

これから米国内で静かな戦いが進行していきます。それがどのような結果を生み出すにせよ世界に大きな影響を与えることになります。これを無視する事ができる人は誰一人としていないのです。

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生き残りを賭けた戦いが始まる日本

日本は急速に文明が崩壊しています。これから何が起こるのでしょうか。そして私達は何に備えたら良いのでしょうか。

 

日本は凋落の一途を辿っています。日々の忙しい生活にかまけていると変化に気が付きません。しかしある日突然の崩壊が日本を襲うのです。ジェンガの山が崩れるようにです。

 

高齢者だけでなく若者にとってもこの国は住みにくい場所となっています。「闇バイト」が流行り多くの女性が「立ちんぼ」となります。

この国では富裕層専門の証券会社営業が強盗殺人を試みます。大手人材サービス企業の社員は睡眠薬を使って女性を強姦します。検事ともなれば部下を好きなようにレイプする事ができます。役人は未公開情報を利用してインサイダー取引に邁進しています。日本は、力さえあれば何でも許される夢のような国です。

 

若者が「闇バイト」に手を出すのは当たり前です。この国では30年に渡り賃金の上昇が抑えられてきました。それどころか税金や社会保険料の増大により手取り額が減ってしまっているのです。地方から都会に出ても良い仕事が見つかりません。若者は将来の夢を見ることができません。

人間は、絶望的な状況になると一か八かの賭けに出るのです。報道される以上にこの国では強盗事件が起きています。迂闊にもカネの話を公の場でしてしまうと自動車ナンバーを控えられ後で襲われる羽目に陥ります。

 

女性が売春を選ぶのも合理的な行動です。彼氏や旦那に性を捧げるくらいだったら、カネに替えた方がマシです。一回一回の性交が確実に賃金となるのです。

その一方で、結婚をしたら子供を作ることを強要されます。しかしながら子供に教育を授けて自分の資産と知識を受け継がせるという考えは、庶民には想像も出来ない夢物語なのです。子孫を増やして将来の繁栄を夢見るどころか今より悪くなる未来しか見ることができません。

旦那は大した稼ぎもないのに自分は家計をやりくりして家事という重労働をこなさなければなりません。それなのに旦那は家庭が今の状態にある事をまるで自分の手柄かのように語ります。そもそも現代は男女ともに同じように勤め人となって働く事が求められています。そうした社会では多くの女性にとり結婚は不利にしかならないのです。

 

「他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい」というのがこの国の道徳です。しかし「迷惑とは何なのか」というのが問題です。

たとえば電車の中で踊る外国人は日本人の憎しみの的となり多くの批判が寄せられます。一方で電車の中で酔いつぶれたり、大声で寄声を上げたり、他人を殴ったりする行為は見過ごされます。日本人は何事も起きていないかのように無視します。暴力を振るう人間は許されますが、幸せそうに踊る人間は許すことができないのです。

「電車の中で踊らないように」という警告のポスターは直ぐに貼り出されます。しかし「駅で人を殴ったり肩をぶつけたりしないように」という貼り紙は出てきません。そんな事は日本ではごく当たり前であり、誰の関心も呼ばないからです。

トラブルに巻き込まれるのは御免ですが、幸せそうな奴は懲らしめてやりたくなります。それが日本人です。

このように日本では協力し合うことが難しくなっているのです。それどころか違法行為に手を出さなければならない程に彼らは経済的に追い込まれています。

 

日本円の貨幣価値は下落しています。ドル円だけを見ていては駄目です。20年前と比べてクルマの値段は1.5倍以上になっています。コメの値段も1.5倍です。貯金をしていてもどんどんと価値が目減りしていくばかりです。投資をしても円高になれば全ての資産価値が下落していきます。日本人にとっても日本は投資のしがいが無い国なのです。

 

税金や社会保障の費用が給料に占める割合は既に5割を超えています。将来は8割や9割を持っていかれる事も予想しなければいけません。すべての労働者は副業を持つことを政府から期待されています。昼も夜もなく睡眠時以外はすべて労働に費やさなければいけません。「闇バイト」や売春も日本では立派な副業という訳です。老人になっても働かなければ生きていけません。

 

日本ではこれから「万人の万人に対する闘い」が当たり前になっていきます。政府や国の庇護を当てにすることはできません。全て自分で何とかするしかないのです。

 

日本人は他人に興味を持たず、干渉せず、近しい者以外は交わりを持たないという特徴があります。

日本人は子供の頃から親や学校の先生に干渉されます。彼らは子供に言うことをきかせる為に嘘も付きます。人権やプライバシーという概念はありません。

子供は好きでもない連中とも授業や部活で長時間一緒に過ごさねばなりません。就職すれば会社や役所の人間ともうんざりするような密度で人間関係を結ばなければならないのです。職場を退職する迄です。本音ではそれが嫌で仕方がないのです。それ以外は「一人で過ごしたい」と思うのは当然です。

 

しかしこれからはそうも言ってられません。他人から戦いを挑まれ、こちらも戦いを挑むことになります。奪われたり奪ったりする世界です。国家権力は強大です。自分の力で政府をどうにかする事はできません。だったら庶民同士で争い合うしかないのです。

 

歴史を振り返ると強力な中央集権の政治体制が続く場合には、国の経済が衰えていくという傾向があります。古代ローマ帝国や中国の明王朝ソビエト連邦はそうやって消えていきました。

 

人々が都市に集まり魅力的な市場が生まれて経済が活性化すると、それを手に入れようとする支配者が現れます。やがてエリート層による官僚組織が生まれます。あらゆる所に税が課され、煩雑な事務手続きが必要となります。新しい事をしようとすれば叩き潰されます。イノベーションが生まれなくなり経済は停滞します。通貨は乱造され悪性のインフレが引き起こされます。地主や「エリート」官僚という「寄生虫」「略奪者」「捕食者」「泥棒貴族」により経済は衰えていくのです。「大きな政府」は最終的に害悪しかもたらしません。

 

日本で経済が発展したのは、戦国時代や明治維新後、第2次世界対戦後といった混乱期です。いずれも中央集権体制が崩れた時です。

特に日本人は、保守的であり昔の仕組みをそのままにしようとする傾向があります。そのためいったん決められたルールや仕組み、そして組織がいつまでも永らえてしまうのです。

 

外国人投資家も国内の政治家や官僚と同じく「捕食者」ですから、保守的な体制が何時までも続く事を望んでいます。一党独裁制が危ういとなると日本株を一斉に売ります。

この国では新自由主義を標榜しながら自由ではありません。既得権益だけが全てを持っていきます。庶民にはチャンスがなく一方的に奪われるだけです。しかし彼らも保守的で変化を嫌います。日本の体制は盤石なのです。

 

これからもこの体制が長きに渡り続く事を念頭に入れて人生を設計しなければなりません。幸いにも日本では「お上に楯突く」ことは大罪ですが、弱いものを虐める事は称賛される社会です。学校や職場で虐められるのは「本人に責任がある」と判断されるのです。

 

全ての日本人は自給自足ができるように工夫しなければなりません。組織に属さなくても生きていけるように。地方自治が崩壊しても大丈夫なようにするのです。都市部で成功者になれるのはほんの一部分です。大多数はスラムに住む寄生者となります。それでも生きてゆく事はできます。まず最初に都会に出るか、田舎に残るかの選択をしなければなりません。そうしてハイエナのように残りものを漁る寄生者となるか。あるいは他人から奪う捕食者や略奪者になるか。それしかないのです。

 

日本では経済を回すための「信用」が崩壊しています。客は従業員に怒鳴り散らし、従業員は客を積極的に警察に突き出そうと身構えています。「人に優しくする」ことがリスクとなる社会です。性善説を前提とした商取引が難しいのです。「信用」は「カネ」に先行します。信用があるからこそカネが回るのです。

 

文明人は他人を信用して交易をしたり協力し合う事ができます。貿易の為に未開の地に赴くことができるのです。日本人はそうではありません。

文明社会では自然に「市場」が発生して人々が取引をすることができます。マーケットが生まれると「個人」「平等」「公平」「協力」という概念が育ちます。日本人は違います。怖い「お上」に従うだけで、あとは用心深く他人を疑いながら生きています。

 

他人を信用できない日本人は会社や役所において「疑似家族」を作る必要がありました。その枠組で全てを晒し全てを捧げ、それ以外の人々と敵対しながら競争をしたのです。これが日本の原動力でした。しかし今や年功序列や終身雇用が崩壊しました。組織の中でもお互いを信用できなくなって来ているのです。

 

日本でヤクザが、イタリアでマフィアが生まれたのには理由があります。いずれも政治家や役人を信用する事ができない社会だったのです。前近代的で身内しか信用できない社会です。まともな商取引が成立しない体制です。暴力がものをいう場です。国に従う一方で、個人としては互いに争い合う事が求められます。土地を確保し武具を備え自給自足の生活を送らねばなりません。

 

独裁制がこれからも続くのであれば、このような未来も覚悟しなければならないのです。

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史

なぜアメリカは世界から嫌われるのか

アメリカは嫌われています。多くの人を惹きつける一方で忌み嫌われてるのです。何故なのでしょうか。どちらにしてもアメリカは世界に大きな影響を与えている国です。世界はこれからどう変わっていくのでしょうか。

 

米国は戦争に依存している国です。戦争を起こして経済を回すという恒久的なシステムを内包しています。そのようなシステムを備えた初めての世界帝国といえます。

 

そもそも資本主義は、その仕組みにより恐慌や戦争を避けることができません。経済は需要と供給によって成り立っています。しかしその関係は安定したものではありません。画期的な商品が登場してもそこから得られる利益は時と共に減少してゆくのです。蓄積した利益が資本となりそれが大きなパワーとなって経済を推し進めてゆくのが資本主義です。それが上手く回らなくなるのです。

その障害がある程度まで大きくなると大恐慌が起きます。経済を支えている「信用」が崩壊するのです。人々は不安に襲われます。融資が止まり貸し剥がしが行われます。投資家はリスク資産を売り払います。多くの企業が倒産して失業者も増えます。大恐慌というのはいわば供給者の大規模な淘汰なのです。

 

戦争が起こる場合もあります。戦争ではインフラが破壊され人命がまたたく間に消えていきます。兵器を生産し戦争を維持するために多くの資金が必要となります。採算抜きで研究開発が行われ短期間で新しい発明が次々と生まれます。イノベーションにより生まれた新たな商品が市場に投入され人々の消費を喚起します。

戦争が終わった後にはインフラを再興し人材を育てる必要があります。ここにも莫大なカネがかかります。戦争は強制的な需要といえます。

 

このように、大恐慌や戦争による「供給者の淘汰」や「強制的な需要」により資本主義経済は再び息を吹き返すことができるのです。

 

戦争が経済に良い影響を与えるのが分かっていても、政治家が簡単に戦争を起こすことはできません。戦争で負ける側になっては元も子もないのです。

米国は自国を戦場とせずに恒久的に戦争を続けるシステムを作り上げました。しかしベトナム戦争では失敗しました。1971年に米国は金本位制から離脱し1970年代から1990年までのおよそ20年に渡り経済の停滞を続けたのです。

 

戦争経済を回すためには世界に対する大きな影響力を維持し続けながら公式・非公式の両方における巧みなコントロールが必要となります。その時の大統領がどう考えるかによっても変わってきます。場合によっては大統領が暗殺されることもあります。

 

アメリカからみると戦争を起こすのは安全保障上の理由もあります。アメリカは世界帝国でありながら、外国との戦いで自国を戦場にした経験が一度もありません。

例外は米国本土に潜水艦から砲弾を打ち込んだり爆撃したり風船爆弾を落としたりした日本による攻撃だけです。テロ行為もWTCに対するもののみでした。

米国は日本の真珠湾攻撃から学びました。孤立主義や他国への不干渉はかえって安全保障への脅威になる事をです。自国へ被害が及ぶ前に、他国で紛争を起こす必要があるのです。そうすれば本土を危険にさらす事なく原因を解決することができます。自国を傷つける事なく戦争の旨味だけを得ることも出来るのです。それは同時に世界的な核戦争を防ぐためでもあります。

 

このようなアメリカの意図は今や世界の人々にとって自明になっています。そのために平和を望む人々により米国は批判されているのです。ハリウッド映画は米国を美化するプロパガンダとしてもはや機能していません。

しかし戦争をどこかで起こさなければ大恐慌を免れることはできないのです。大恐慌と戦争の両方を避ける方法はないのでしょうか。そうしたければ資本主義から脱却するしかありません。

 

アメリカは衰退フェーズにあるとはいえ世界帝国です。経済力も軍事力も世界一です。基軸通貨はいまだに米ドルです。もしも仮にアメリカが崩壊するような場合があれば、今我々が見ているような資本主義経済の体制も消えることになるでしょう。

 

次の世界帝国は何処になるのでしょうか? それは分かりません。しかし恐らく現在の資本主義経済をそのまま引き継ぐものとはならないでしょう。まったく新しい価値観や思想を持つ国に取って代わられるはずです。それは人間を中心とした価値観と思想であるべきです。そのようにして世界はアングロサクソンのくびきから解放されるのです。

それが良いか悪いかは人によって異なります。結局のところアメリカが好きかどうかも総合的に考える必要があるのです。

 

いずれにしても次に起こる世界帝国の交代劇においては、大規模な世界戦争が起こることでしょう。その影響を免れる人は何処にもいないのです。

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「最後の一句」

最後の一句」は森鴎外の短編小説です。時は元文3年。1738年の大阪が舞台です。死罪を言い渡された父親の無罪を信じて、娘が身代わりを申し出るという話です。

 

奉行所は、誰かが娘を唆してこの大胆な行為に及ばせたのではないかと疑います。そのために白州に娘を呼び出して「嘘をついていたら拷問するぞ」と脅すのです。

娘は怯まずに自分が身代わりを申し出た理由をきちんと説明します。そして最後に「お上のやる事に間違いはないでしょうから」と付け加えるのです。

 

この一句に、奉行所の役人は不意を突かれて驚くと同時に激しい憎悪を抱きます。娘を去らせた後に仲間内で「生い先の恐ろしい娘ですな」と言うのです。

 

当時の日本には「自分が身代わりとなって死ぬ」という概念自体が存在しませんでした。なるほど「切腹」という習慣はありました。しかしそれは自死を装った死罪です。誰かに「死ね」と言われて腹を掻き切るのです。

自ら切腹をする場合も、ほとんどは世間の体面を考えた上での行為です。死んで抗議をするという日本人独特の病的な自己アピールでもあります。敵の門の前で自殺するという中国の古い習慣と変わりません。

見返りを求めずに自発的に身を捧げる「献身」という行為を、日本人が理解できなかったのも無理はありません。

 

役人にとっては、体制に対する強烈な「皮肉」を浴びるのも初めてだったでしょう。「皮肉」という概念は理解できなくても、言葉の裏に隠された敵意を本能で感じ取り、驚愕すると同時に娘を憎んだのです。

 

日本では今でも「皮肉」は一般的ではありません。言葉を上手に操りそれによって相手に一撃を加えるという芸当ができないのです。皮肉をぶつける相手は、体制や、表面上は礼を欠いてはいけない重要人物などです。西洋ではコメディとして皮肉が大いに使われています。

しかるに日本のお笑いには、高度なユーモアやエスプリ、サーカズム(皮肉)を求める事ができません。日本のお笑い芸人がやっているのは「弱いもの虐め」です。ボケとツッコミの2人がいます。ボケが馬鹿な事を言うと、時に暴力を伴いながらツッコミが攻撃をするのです。

大衆はツッコミの立場に身を置いて、日頃の鬱憤を晴らすわけです。「弱い者はサンドバッグのように叩いて良い」というのが、日本の道徳です。

 

ここでとりあげた「最後の一句」は実話に基づいたフィクションです。娘の一言も森鴎外の創作です。これには森鴎外の当時の心境が込められています。

 

森鴎外は早熟の秀才でした。医学校を出て陸軍で官僚となりました。最後は軍医のトップである陸軍省医務局長にまで上り詰めました。世間から見ると大出世です。しかし本人には忸怩たる思いがあったのです。組織に不信感を抱いており、官僚でありながらも度々衝突や問題を起こしています。九州の小倉に左遷された事もあります。

 

最後の一句」における娘の一言にはこのような森鴎外の思いが重ねられています。これが書かれたのは鴎外が陸軍を退く少し前です。「高瀬舟」や「渋江抽斎」を書いた後のことです。

 

森鴎外が何を成し遂げたか」と問われれば、「大した業績を残していない」としか答えようがありません。業績どころか多くの陸軍兵士を死なせています。医者としても官僚としても作家としても中途半端です。日本以外では無名です。多才ゆえにひとつの事に集中できなかったきらいがあります。

 

結局は彼も、不満と限界を感じながら最後まで官僚組織を去ることができませんでした。死の床で「馬鹿馬鹿しい」という一言を残してこの世を去ったのです。

山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫 緑 5-7)