日本人というのは懲りない人々です。
過去から学ぶ事ができず何度も同じ間違いを繰り返します。物事の説明を受けるのでも、単に新しい言葉で言い換えたものに過ぎないのに、言いくるめられて呆けたように感心しています。本質を理解するのではなく「偉い人がこう言ってる」ということで納得してしまうのです。
偉い人やお笑い芸人、誇りの無い外国出身の「テレビ芸者」達が、愚かしく滑稽な真似をする事で、「あの人は全然偉ぶっていない、親しみが持てる」と人々は感じてしまいます。
アナウンサーは娼婦のようなメイクで無表情のまま原稿を棒読みするか、ニュースの内容に合わせて奇怪な顔芸を繰り広げたりしています。ローカルニュースのような内容の報道番組を見ると、まるでこの世界は、悪い事はあっという間に解決して過ぎ去り、詰まらない「ゴシップ」だけが重大事の、暢気で平和な場所であるかのようです。
しかし例え、彼らが「公平・公正な」報道を心掛けたとしても意味は無いのです。というのも日本人は、変化に驚くほど鈍感で、結果として異常な判断・行動をしてしまう人々だからです。
日本人は何があっても「まだ大丈夫だ」「これからだ」「日本は凄い(俺にも価値がある)」とマントラのように唱え続けます。理性を失ったポジティブシンキングです。彼らは自身に価値が無いことを良く知っており、虚勢を張る必要があります。その一方で「言い返すべきだ」「負けるな」と外に対しては非常に攻撃的です。
人はストレスに晒され続けると、そのうち何も感じなくなりますが、その代わり、いざある一点を超えると激烈な反応を示すようになります。些細なトラブルをいつまでも鮮明に覚えており恨みに思い、いつか借りを返してやると、日本人はその機会を伺っています。
カネが十分にある時は、品性下劣でも余裕がありましたが、今や、無理矢理働かされる中で、卑怯な手を使って儲けることか、はたまた他人を虐めることでしか、快感を得られないようになっています。
醜い心と体を持ち、東に上手く儲けた奴が居ると聞けば乞食の様に群がって足を引っ張り、西に災難で苦しんでいる人が居ると聞けば「大した事はない」と彼らを打ち据える人々です。
日本人のSNSなどでの「同情」は、決して相手の気持ちを深く洞察しているのではなく、単に表面の言葉に反応し「皆さん見てください、私は怒っています、不安です、喜んでいます」と、機会に便乗して、自分の気持ちをアピールしているだけです。
日本は優秀な人材が出ない代わりに、極悪な個人的犯罪もそれ程起きません。しかし悪いことに全体が邪悪な方に偏ってしまっています。彼らは集団として、とてもまともには思えません。
彼らが人として同情心が欠けているのは仕方がないですが、せめて「理性」があればと思います。日本は理性の無い純然たる狂気へと進んでいます。理性が無ければ話も通じず世界から見れば了解不能な集団です。彼らはまず、平和などよりも、自分の頭に理性が宿ることを願ったほうがいいでしょう。