多くの人々は、我々が住んでいる世界は、多かれ少なかれ公正な法則によってつかさどられていると無意識のうちに信じています。宗教の有無にかかわらずです。
これを心理学で「公正世界仮説」と呼んでいます。良いことすれば良いことが返ってくる、悪いことをすればいずれ罰せられると人々は思い込んでいるらしいということです。
多くの宗教的概念はこれを補強し、人々に安定をもたらすために人間が自ら作り出したものです。因果応報とか、輪廻転生とかカルマとか、天国とか、悪いことが起きるのは自分のせいであり、良いことをすれば例えこの世界で結果が返ってこなくても、次の世界では良いことがあると教えるのです。
これによって人々はこの世の不正や不当な扱いにある程度耐えることができます。己の信念をつらぬいて死を選ぶことさえあります。
このように無垢な人々に「世界は公正である」と信じ込ませることは社会の安定とって非常に大切なことです。真に平等で公正な社会などは作れませんが、少なくとも正義が機能しているという幻想は人々に見せなければいけません。
そうしなければ、知識や力がある程度行き渡った社会では人々が暴動を起こしたり時には革命に至ってしまうのです。
ところが現代において為政者が社会の公正という幻想を民衆に見せることを怠った場合にどうなるか、それが今の日本で起きていることです。
為政者側の人間であれば都合の悪い人間を消したり、拘置所送りにしたり、スキャンダルを起こして社会的生命を奪ったり、詐欺によって国民のカネを騙し取ったり、強姦しても許されるのです。それだけでなく出世が約束されたり富が増し加えられますます栄えるのです。
世界が公正であると皆が信じ込んでいる中で、一部の人間が好き放題のことをすれば一時的に利益を得ることができます。しかし長期的には社会の安定を損なうので通常はそれをただす仕組みが存在します。
しかし今の日本は「世界は公正ではなく、やったもの勝ちだ」、「捕まらなければ何をしてもいい」、「弱いものや貧乏人からカネをむしりとるのが効率的なやり方だ」という事に多くの人が気がついて、上から下まで詐欺師が蔓延している状態です。
日本が普通と違うのは、このようにいくら虐げられられても民衆は何も声を上げないことです。それどころか「騙された奴、貧乏になった奴が悪い、自己責任だ」と自分より弱いものを皆でよってたかって攻撃する始末です。
他の社会では暴動が起こるような状況でも日本人はじっと耐え忍びます。何か宗教を信じているのでも何らかの希望があるのでも無いのに、こうした行動をとるのは非常に興味深いことです。
上意下達で下の者を徹底的に虐げるシステムが効果的に作動していること、同調圧力や洗脳により考えることを放棄してしまっていること、解決策を考えようとしても想像力と思考力が足りないが為に彼らはひたする我慢することしかできないのかもしれまんせん。
利益をむさぼる者にとって民衆が黙って耐えてくれるというのは有難いものです。統治する側にとっても非常に楽で凡庸な為政者や役人でも仕事が務まるゆえんです。
この国はいかに愚民どもからカネや労力をむしりとり、そのカネにいかに皆でたかるかという事で成り立っている国です。
争奪戦に乗り遅れないように皆が夢中になっています。国は貧しくなってもいい暮らしを続けていくことができるわけです。彼らは良い国に生まれたことに感謝しなければなりませんね。