煽りなどの危険行為をするドライバーを日本でも「ロードレイジ」(Road rage)と呼ぶことにしたようです(笑)
人間はある事柄を見て不安を覚えると、その「不協和」を解消するように動きます。煽り行為や危険運転などを行う可能性は誰にでも潜んでいるものですが、自分も含めて、周りにそんなドライバーが溢れているという事実を認めたくないのです。そのため、そういった行為をする人間は、ストレスにさらされ欲求不満を解消できない未熟で特別な人間であるとしておくわけです。そうすれば、とりあえず不安を解消できますし、次回、嫌な体験をした時にも「あいつはロードレイジだ、たまたまそういった下劣な人間に遭遇してしまっただけだ。」と言って自分の心をとりあえず守ることができるのです。
煽り運転を正確に定義することは困難で、警察が車間距離違反で取り締まるのも難しいのです。しかし大衆の不安や不満は解消しなければならない、そこで御用学者が満を持してメディアに登場して、こういった理屈やレッテル貼りを使って大衆をなだめるのです。
こういった認知的な歪みは、体制側からもたらされることもありますが、多くはその人自身が望んで、そのような解釈を進んで作り上げ、受け入れてしまいます。
「認知的不協和」という言葉を広めた心理学者、レオン・フェスティンガーは、あるカルト教団を調査しました。この世が終わるという教祖の予言を信じていたカルト教団の信者たちは、いざ預言が外れたときに、その信仰が薄れるどころか、「教祖の祈りによって終わりを免れた」と解釈して、かえって信仰は強まったのです。
同じような例を挙げると、ある政党の持続的な政策によって自分の生活が貧しくなっているという事実があり、もう今の自分には現状を変えることはできないという無力感を実は感じている人がいたとします、その人は不安と不満を解消するため、却って、その政党の良い点を褒め上げ、より熱心に支持するようになり、他の政党の議員達は実務能力のない無能な奴らだと考えてしまうケースがあります。
また、婚期を逃した女性は、パートナーの条件をどんどん上げていきます。今まで良い相手に恵まれなかった、自分は長い間、それを甘受してきてしまった、もう失敗は嫌だ、そういった不満を解消するには、よほど良い相手でなければならないと考えて、ますます結婚できなくなってしまうのです。
ことほどさように人間というのは、自分の人生に悪影響を及ぼすような事であっても、事実を歪んで認識し、とりあえず現在の不安を解消しようとしてしまうのです。そのため、一見、愚かに見えるような選択を多くの人達がするのです。