日本人はひとつのことに集中し過ぎることを許されません。常に周りに気を配り、自分がどういう状況に置かれているか、そしてどのような役割と行動を期待されているかを常に意識していなければなりません。これが過度の同調圧力を持つ日本社会で生き抜くための、もっとも賢明な方法だったのです。
こういうことが出来ない人間は、「常識がない」、「気配りが足りない」、「注意力がない」と呼ばれて怒りの対象になります。ひとつの趣味にのめり込んでしまうようなヲタク、ギークは、この上ない軽蔑と侮辱の対象であり、気味の悪い人と思われています。こういう人達は、日本のムラ社会、共同体の調和を乱す悪人です。電車のダイヤを乱す飛び込み自殺者も憎しみの対象です。また左翼(笑)も古き良き日本の調和を乱す連中なので、本能的に嫌悪感を持たれています。だから日本人はそういった連中を非難することに何ら悪気を感じないわけです。
日本では法を犯すより調和を乱すことの方が罪悪であり、それを取り締まる警察が愚民の間では大人気です。「警察24時」とか警察ドラマはあいかわらず安定した視聴率をかせいでいます。法律が厳しくなる度に庶民は喜びます。為政者が力を増すと自分や日本全体が偉くなったようで誇らしく感じます。だから権力はますます増長し、愚民はますます自分の首を絞めることになる、しかし彼らはそれを心底から望んでいるのです。
過度の集中が許されない一方で、日本人はすべての事柄に万遍なく通じている必要があります。日本シリーズが始まったら野球の話、ハロウインになったらなったで、その話題にいちいち、ついていかなければなりません。「そんなの興味ないから」という応えはあってはならないのです。
日本ではあいかわらず「ジェネラリスト」は社会的地位が高く、「スペシャリスト」は収入も地位も低いままです。抜きんでていると「匠」とか「名人」とか形ばかりの栄誉を与えられますが、その地位は不安定です。愚直なまでの仕事への専心を称えられますが、それは無意識にある「馬鹿」という蔑みと常に表裏一体です。
バランス感覚があるというのは一般的には良いことです。特別なことは成し遂げられなくても、可もなく不可もない無難な人生を送れるでしょう。しかりひとつのことに過度に集中するという事が許されないので、偉大なことを成し遂げる天才的な人物はあらわれにくいのです。
また例え、バランス感覚や中庸を目指すセンスがあったとしても、日本のそれは理念や信条に基づいたものではなく、平均的な日本人が考える「常識」に同調しているにすぎません。だから世界では非常識なことがらが、日本では正常と見なされ、上から下まで一体となって間違った方向に進んでしまったりするのです。日本人全体が、世界から気味悪がられているゆえんです。