こんな感じのツイートをよく見かけます。
「『お前が国難』とか言っているプロ市民の左翼が嫌い。 品位がなくてみっともない。日本人として恥ずかしい」
若年層の典型的な考えが表れています。
(1)上位の権威は「善」であり、「親」のようなものであるから、それに対しては恭順するべきだと刷り込まれている
(2)怒らないで平常心でいることが品位あることであり、人として「あるべき姿」だと思っている
(3)国の指導者に対して反意を示すものは、全て「左翼」であると勘違いしている
(4)「左翼」は口汚く、反日的で、秩序を乱す存在であり、さらに言動でもって直接、抗議の意を示す者は「過激派」であり、市民を装った「プロ市民」であると思っている
(5)本人は右翼とは思っていないが、真の日本人とは、愛国心のある「保守的」(笑)な人であると感じている
(6)世界中を訪問し、弁舌が巧みで、日々精力的に活動する指導者に対して親愛の情を抱いている
まず、右翼か左翼かという単純な二分思考は的外れであるだけでなく、国民をお互いに対立させてしまうという点で適切ではありませんが、指導者層にとってはまさに好都合です。さらに、これらのツイートを見ると、どこかで聞いたような型通りの「自動思考」と、浅はかな感情がセットになっており、うまく若年層にプロパガンダが浸透している事が分かります。
また自身の言葉を使って、自分の意志で考えているつもりでも、結果として旧来の思考の枠組みから離れられない人達もいます。それは、「こうすべきである」という信念が巧みに心に刷り込まれている事がひとつの原因です。
人はなぜ、外から与えられた現実的ではない信念や理想像を持ち続けてしまうのでしょうか。人間は遅かれ早かれ「真の自己」に向き合い、それを受容し、他人に対しても寛容になるしかありません。しかし、「こうあるべき」という「理想の自己」、「理想の社会」、「理想の政治」を刷り込まれてしまうと、それに向かって、進んで犠牲を払うべきだと思い込んでしまうのです。そういった幻想を抱いたまま、自分や、社会や、政治は、良い方向に変わっていく、それが人生だと勘違いしてしまうわけです。
また、所得が低く経験の浅い若年層だけでなく、比較的裕福なシニア層でも保守的な人(笑)は多いですが、彼らは株価が維持され、中国や韓国、北朝鮮に対して断固たる態度を見せている限り、これからも支持者であり続けるでしょう。要するに、彼らは自分の「カネ」と偏狭な「プライド」が守られれば良いのです。この国の未来は盤石であり希望が持てます(笑)