kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

外国人を逆恨みする日本人

日本人は陰険な人々です。不満を抱いていますが我慢をしながら生きています。呑気に観光を楽しんでいる外国人は、日本人にとっては目障りな人々です。自分の人生をなにひとつ決められない日本人は、その不満を訪日客にぶつけるのです。


外国人が神社やお寺を訪れて鈴を鳴らし楽しんでいると、「ルール」にうるさい日本人が因縁をつけてきます。争いを避けるために外国人が帰ろうと試みるも、しつこく追いかけて来て、失礼な言葉を並べ立てます。何かしらの原理原則を持っているわけではありません。ただ単に、日本に敬意を払わない彼らが気に食わなかったのです。外国人の方が理性を保って会話をしているのに対して、日本人は怒りで我を忘れ、声が震えています。


観光客が人気スポットで富士山を撮影していると、コンビニの従業員が大声で制止します。最後には行政によって黒い幕を張られてしまいました。せっかくのビジネスチャンスなのに、もっと良い解決方法はなかったのでしょうか。だいたい、歩道の脇にあんな幕があったら住人だって不快になるのではないでしょうか。あの幕を見る度に「これは外国人のせいなのだ」と怒りを募らせるのです。

 

SNSのリアルタイム検索で「円安」と他の言葉をペアにして検索してみると面白いものが見つかります。たとえば「円安 渋谷」といった具合です。円安で、多くの人々が不満や怒りを書き込んでいます。これは当たり前ですね。しかしそれだけではないのです。円安によってやって来た外国人への怒りや不満を述べた投稿が実に多いのです。


例えば、こんな書き込みがあります。電車に乗ったらガイジンが隣に座ったのだそうです。大きなスーツケースがはみ出してしまい自分の前にかかってしまっています。居ても立ってもいられなくなり、別の席に移動したというのです。それに対する恨みつらみが書き連ねてありました。


別にその外国人は、日本人に嫌がらせをしようとして荷物を置いたのではありません。降りる意思を示せば、快く直ぐに荷物を移動してくれるでしょう。そもそもスーツケースを置くような場所が、日本の電車にはないのです。ところが日本人はそういった行為を、すぐに自分への攻撃だと認識してしまいます。顔を真赤にしたり、咳払いをしたり、睨んだりした挙げ句、不快そうに席を立つのです。心の余裕のある人からしたら、そのような自閉的で過剰な反応は異常です。それを見た訪日客が笑ってしまうのも当たり前です。

 

日本人は何も言わずに陰で陰険な仕返しをします。言葉で伝えようとしても、先の神社仏閣での例のように、話し合いや交渉ではなく、喧嘩を売るような極端なものになってしまいます。
日本人は、もともとまともなコミュニケーションがとれない頭の弱い人々でした。それに加えて、最近は急激に貧しくなってしまったので、心にまったく余裕がなくなってしまっているのです。

 

そもそも何故、みんなが喜べるような解決策を考えようとしないのでしょうか。Win-Winではなく、Lose-Loseを選ぶのが日本人です。1日中他人の言動を監視し、憤怒の情をたぎらせながら生活するなんて、私には想像もつきません。

 

自分が損をしてでも得をした相手を痛めつけようとする行為(スパイト行動)は、今では日本人の特性として広く知られるようになりました。こんな実験があります。2匹のサルに同じ量のエサを与えます。その後に、一方のサルのエサの量を増やしてやります。そうするともう片方のサルは、怒りを露わにして自分のエサを投げ捨ててしまうのです。日本人はこのサルと同じです。

 

日本人は街中で相好を崩して喜びを表している人を見ると、わざわざ行ってちょっかいを出そうとします。不快感を示したり、嘲笑ったりするのです。「自分が感情を抑制して生きているのに、あいつは自由に振る舞っている」というわけです。「俺も苦しんでいるのだから、お前も苦しめ」と考えています。どれ程異常な人たちなのでしょうか。

 

電車の中で奇声を上げたり暴れたりしている人がいると、日本人は見て見ぬふりをしたり、逃げたりします。ところが、喜んでいる人がいるとマジマジと見つめたり舌打ちをしたりするのです。頭がおかしいとしか思えません。

日本の社会では、幸せな人や喜んでいる人は異常です。注意してやる必要があります。いっぽうで、大声を上げたり暴力を振るったり電車に飛び込んだりする人は正常です。というのも、普通の日本人も同じ心境だからです。

 

訪日客は日本の異様な静けさに驚いています。電車の中だけでなく、街中でもです。居住区を歩くと、どの家の窓もカーテンを降ろしています。それも異常に思っています。日本人は窓の外に人影を感じると、本能的に「誰かが覗いている」と感じてしまうのです。

 

インバウンド需要で国が潤うはずではなかったのでしょうか。日本人はそれを喜ぶべきだったのではないでしょうか。けれども実際は、インバウンド需要などたかが知れています。そもそも外国人にカネを落としてもらおうだなんて、物乞いと同じです。馬鹿な国民を騙すために「インバウンド」なる言葉が使われるようになったのです。

日本人も最初は、外国人が「日本を大絶賛」する姿を見て喜んでいました。ところが実際のガイジンは、自分たちを大事に扱ってくれるどころか好き勝手に振る舞っています。そんな彼らに幻滅すると同時に激しい怒りを抱くのです。

 

これほど日本人が憎しみを抱いているのであれば、もしもこれ以上に移民が増えたとしたら、いったいどうなってしまうのでしょうか。政権は「移民政策はとらない」と言っています。しかし裏では外国人労働者の数を増やしています。文科省奨学金を出して留学生を呼び込んでいます。当局は外国人を取り締まるのではなく、凶暴な日本人を取り締まらなければなりません。

先の事例では、攻撃をしかけたのは日本人です。しかも動画まで勝手に公開しています。先制攻撃をしながら被害者ヅラをするのは日本人の得意技です。生きるのを諦めたような人々が、他人の幸せに干渉して良いわけがありません。日本人は自分とは異なる者を攻撃する前に、自身の心の闇をしっかりと見つめるべきです。


日本人は定められた手順やルールに従って物事が運ばないないと、心のバランスを失います。喚いたり金切り声を上げたりします。頭を使って臨機応変に適応できません。ただ、教えられた通りに行動しているだけなのです。それゆえ、仕事でも大きな成果は上げられず、せいぜい「失敗しなかった」程度のことしかできません。

 

そんな彼らが子供を産むと、想定外の出来事ばかりに直面します。叱ったり折檻することで思い通りに子供を動かそうとします。虐待を受けた子供も、奇声を上げて走り回ったりします。そんな子供をさらに厳しく叱ります。別に子供のためを思っているわけではありません。「公共の場では子供を大人しくさせなければならない」というルールに従っているだけなのです。その証拠に、彼らの言動はおかしな程に芝居がかっています。こうしてろくでもない日本人が再生産されていきます。

 

日本は、すべてが予定調和で動くことが求められる世界です。期待以上の成果を挙げて目立つくらいだったら、成果を挙げない方が良いという社会です。まともな人間が居たら積極的に排除する。そうやって国を保ってきたのです。

要するに彼らは、複雑な社会に適応する方法を学んでこなかった負け犬なのです。進化する世界における落ちこぼれです。日本人は家畜や奴隷として育てられました。柵の外では生きていけません。

しかし主人に見捨てられた彼らは、これから自分で生きていく方法を学ばなければならないのです。

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