kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

夢も希望もない日本人

日本人は夢を持っていません。だから大したことも成し遂げられません。彼らはただ眼の前だけを見て餌を漁っているネズミのような存在です。


日本人の多くにとってマイホームを持つことが最終的な目標となっています。割高なのに価値の無い家をローンを組んで無理をして買ってしまうのです。当たり前ですが家で幸せを得られるわけではありません。夫婦は実質的に別居しているようなものです。休みとなれば狭苦しい我が家を抜け出しクルマで外に出かけます。家はいったい何の為に手に入れたのでしょうか。


そもそも家は本当に自分のものと言えるでしょうか。家を購入すれば固定資産税をずっと払い続けなければなりません。維持も大変です。定期的に修繕や庭の手入れが必要です。マンションであれば管理費や修繕積立金を払わなければなりません。火災保険や地震保険にも入る必要があります。これらは物価高で上がっていく一方です。賃貸と比べて得と言えるのかどうかをよく考えるべきです。立地条件が悪ければ資産としての価値はどんどん下がるだけです。隣人だって選ぶことはできません。住んでみたら意外に不便だったということもあります。


クルマだって買う必要があるでしょうか。自動車税や重量税を払い、保険にも入っていなければなりません。車検の対応、修理やメンテナンスも必要です。自分が気をつけていても交通事故の被害者になってしまうかもしれません。

地方に住んでしまうと通勤も買い物もできませんから、クルマを買わないという選択自体が不可能になってしまいます。日本は公共交通機関が発達していると言われますが、それらは主要都市に集中しています。


日本の子供達は空虚な家庭環境で過ごしています。両親は不仲です。父親は実に面白くなさそうな顔をして毎日職場に出かけていきます。そうして遅い時間に帰ってきます。飯を食ってビールを飲みテレビを見ながらゴロゴロするのが唯一の息抜きです。母親もピリピリしながら家事をしています。子どもたちを学校に送り出すとホッとします。子供は小さな頃から些細な事で怒られ折檻されます。こうして子供は正直な感情を押し殺し相手の機嫌を測りながら生きるような人間となっていきます。人間関係は悪化するに従って、抵抗、反感、拒絶、抑圧と進んでいきます。抑圧という最終段階に達しているのが日本人です。


子供は勉強に励むものとされています。勉強が出来なければ、下層階級に転落し、一生低収入で過ごすことになります。運良く勉強ができればしばらくは安心して過ごすことができます。勉強の成果は数字で現れるし、努力する方向も決められているから簡単です。

問題は就職です。ランクの高い大学に入っても、ここでしくじると元も子もありません。出身大学で足切りをされなくても、面接では全人格的に評価されます。大学4年間で目標を持ちながらどのように努力し周りをリードして成果を上げたのかが問われます。正解の無い世界です。

この国では一旦大学に入ってしまうと学業は意味を持たなくなってしまうのです。出身高校、学部、所属ゼミと指導教官名は会社の記録にずっと残りますが、それだけです。

大学院に行って修士や博士を目指す奴は馬鹿だと思われています。海外の有名大学に留学したければ就職してから会社のカネで行けばいい話ですし、教授になりたければ会社で実績を上げてから落下傘降下すればいいだけだからです。そもそも学者なんて官僚になれば顎で使うことができます。「先生」とは呼びますが、彼らの社会的立場は思うがままです。

 

一部の成功者と多くの敗残者、これが日本の姿です。たとえ学業や実績で這い上がっても世襲の政治家や権力者には頭が上がりません。芸能界やスポーツでさえ実力とは関係なく、力ある者との距離によって運命が決まってしまいます。


そんな彼らの最近の夢は、投機で儲けてFIREを実現することです。努力しても成功の見込みが無いのなら、一発逆転を狙うしかありません。折しも「貯蓄から投資へ」というスローガンに導かれ、これから多くの者が相場に参加することになります。

 

彼らは本当の夢を持たず、長期的視点で考えることができません。ただ周りに流され動物的本能で生きているだけです。「上か下か」「敵か味方か」「強いか弱いか」「多勢か無勢か」「儲かるかどうか」「楽かどうか」という単純なルールで動いています。

 

日本では文明が進めば進むほど、ルールや締め付けが厳しくなります。将来の展望も限られてきます。ディストピアを地で行っているような社会です。王侯貴族が贅沢をするために民を搾取していた18世紀と変わりません。

この国では大した付加価値を生み出せない人間が上層部を占めているため、庶民からカネを搾り取るしか方法がないのです。日本ではあらゆる所に関所があります。移動しただけで高い運賃や利用料をとられてしまいます。商売や取引をすれば消費税です。

人が活動する場があれば、そこに税金や利用料金を課そうとするのが日本流です。社会の底辺に転落すると、その人間はもはや無価値と看做されます。社会保障で守られるのではありません。逆に自治体による信じられないほど厳しい取り立てが待っているのです。そうして死ぬまで追い込みます。弱い者を叩き潰して滅ぼすのがこの国の正義です。


日本の戦国時代が、活気があって経済も発展したというのは本当でしょう。日本人はある意味、無◯府状態となった時が一番強いのです。戦後の混乱期も同じです。大人しくてルールを守るというのが日本人の本質だと思われています。しかし実態は違います。

野蛮な破壊衝動をうちに秘めているのが日本人なのです。それを上手くコントロールすれば復興も可能でしょう。中央政府が弱体化し弱肉強食が常となった社会が、実は日本人がもっとも輝く環境なのです。

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