ナチスがプロパガンダとして効果的に利用して以来、現在に至るまで、ラジオ、TV、そして映画等のメディアは主要な洗脳の手段として為政者に利用されてきました。これらを使って為政者が敵とする相手に対して、大きな憎悪を持つように人々を誘導することも可能です。
極端な例として、映画やTVドラマで描写される暴力行為について考えてみます。
本を読む場合には、暴力描写があっても立ち止まって自分の言葉で考えることができます。しかし映画はその隙を与えません。映像を見た時に、頭の中で明確に否定しない限り、それを無意識は受け入れてしまい、次の自分の行動の蓋然性に大きな影響を及ぼすのです。現実世界の暴力も否定できなくなり、さらには自身が暴力行為を犯す可能性さえ高まるのです。映画は楽しめなくなってしまうかもしれませんが、意識して言葉を使って考えることは大切なのです。
こういった映像に対して、瞬時に強い嫌悪の情と、強い否定の言葉が湧き上がる人、それが洗脳に抵抗できる強い人間です。逆に従順な人間を作るには、自発的な感情が乏しくなるように、言葉であまり考えないように繰り返し訓練すれば良いのです。
どのように感じれば良いかは、TV画面の片隅のワイプに映るタレントやアナウンサーの表情が教えてくれます。どのように考えるかも、TVが同じ言葉で繰り返し教えてくれます。その結果、視聴者の感情も思考もコントロールできるようになるのです。
成熟した人間は、道徳律に基づいた論理と感情が存在し、統合されています。ここに道徳教育の大切さがあります。まともな道徳教育を受けず、宗教も持たない日本人は、人間として未熟な存在といえます。
日本では言葉による論理ではなく、「気遣い」や「忖度」等の「空気を読む」態度が大切とされます。言葉で表現される表の世界とは別に、情緒に彩られた裏の世界が存在します。よく言われるように日本には「説明責任」がありません。言葉で明確に本音を表現する習慣が無く、他人の情に流されやすい日本人は、ことのほか、洗脳に弱い民族なのです。