ピアノソナタ第23番「熱情」というと激しい第1楽章や第3楽章が有名ですが、第2楽章もなかなか素晴らしいのです。緩徐楽章であるにもかかわらず歌うようなメロディーはなく、なんとも心地よいシンプルな和声がメインとなっています。最初にテーマとなる和声が提示された後、3つの変奏曲が示され、最後にまた和声によるテーマが演奏されて終わります。変奏曲形式ですが、大胆な変奏はなく、あくまで最初の和声進行とその調に従っています。そのことがなおさら、この楽章のメインがこの和声であることを物語っています。
このテーマ、一見、単純な3種類の和音(主和音、下属和音、属和音)だけで作られているように見えますが、最後にひとひねりあります。主和音→属和音→主和音と終わるべきところに、主和音→属7和音#→属和音→主和音という和声にしているのです。これは当時としては相当に画期的なことだったと思われます。(コードで示すと、D♭→A7sus4→A♭→D♭です)
これは一瞬、半音上に転調し、また半音下に転調したと解釈することができます。半音ずれると不協和音、トライトーン(ラ♭とレ)の問題が発生しますが、巧みにその音は避けて和音が作られています。
また、ただの属7和音#→属和音の半音進行だと、含まれている音がドーシーシードーと味気ない感じになりますが、属7和音#のところで4度の音を加えることにより、深みのある響きと、レ♭ーシーシードーという、心地よい音の流れを与えています。
www.youtube.com(ベートーヴェン ピアノソナタ第23番「熱情」第2楽章 0:10から0:14のところ)
この肝心の転調の部分を「スラー」が付いているとは言え、弱く演奏してしまう奏者が多いのですが、それではこの良さが多くの聴衆に伝わらないような気がします。ファジル・サイはこの部分を強調して弾いています。ベートーヴェンのこの和声の響きの美しさは今でも新鮮さを失っていないことが分かると思います。
www.youtube.com(「熱情」 ファジル・サイ演奏 0:29のところ)
属和音の前に半音上に転調するというのは、今ではポップスでもよく使われています。例えばビートルズの「プリーズプリーズミー」の最後の和声です。(E→G→C→B→Eの、C→Bの部分)
これは全体で見ると、ホ長調からホ短調に転調し(E→Gの部分)、また元に戻ったとも解釈することができ、よりブルージーな格好よさがあります。
www.youtube.com(The Beatles Please Please Me 1:52から)