kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

政治における理想と現実 −政治意識が未熟な日本人−

日本にはデモクラシーが根付いていません。形ばかりの議会制民主主義があるだけです。彼らは表面を真似るだけで、本質を理解することは無かったのです。

 

多くの日本人は政治に無関心です。いわば参政権を放棄している状態です。それは権力の集中を容易とし、より独裁的な政権の到来をも許すことになります。政治に関わらないことで、却って政治に影響を及ぼしています。日本人には政治に関わっているという意識が希薄なのです。

 

人民による支配を実現するために、様々な仕組みが考案されてきました。法による支配や議会制度は手段に過ぎません。目的が実現されているかどうかが大切です。

民意が反映されず、人民の支配(デモクラティア)に結びついていない事が分かった時点で、その国の民主主義は偽物だと判断することができます。

少数派を黙らせることが、日本人の言う「民主主義」となっています。全員一致や、多数決は、デモクラシーではありません。多様性を認めた上で政策を決めるべきです。空気を読んで黙従するというのは、デモクラシーからもっとも遠い社会です。

 

議員は本当に人民の代表者となっているでしょうか。代表者として相応しい理性的な人間でしょうか。法律は人民の意思を反映しているでしょうか。司法は独立しているでしょうか。国民は守られているでしょうか。メディアは政治を監視する役目を果たしているでしょうか。こういった事を常に問い続ける姿勢が大切です。

 

国会議員は民の代表者であるだけでなく、究極の理性的人間に近い存在でなければなりません。最も優秀な人間が政治家になるべきなのです。

汎用的な能力の高さを示すIQが高いだけではありません。物事によく通じ、成熟した人格でなければいけません。

彼は、自分の立ち位置を明確に表明する必要があります。何を目指しているのか分からない政治家など信用できる訳が無いからです。もちろん、その行動には一貫性がなくてはなりません。

 

政治家に求められる考え方には、どんなものがあるでしょうか。政治には、何よりバランス感覚が必要です。片目で理想を見つめながらも、あくまで現実に沿った解決方法を探らなければなりません。プロセスはあまり重要ではありません。やり方が善である必要もありません。結果が全てです。その代わりに結果を残せなかった政治家は容赦なくその座を奪われなければなりません。

特定の思想や考え、イデオロギーが強すぎる人間は、政治家としては不向きと言えるでしょう。方向性を表明するという点で、ある程度は必要ですが、日々の決定や行動においては、あくまで現実主義者でなければならないのです。

政治家を評価するときには、何を言ったかで判断してはなりません。行動で判断すべきです。メディアは、これらを正確に国民に伝える役割を負っています。

 

政治家は未来を見据えていなければなりません。可能性を見極めて布石を打っていくのが政治家の仕事です。

その想像力は緻密なものでなければなりません。ちょっとした予算の違い、通した法案によって、国の未来が大きく変わってくるからです。それは20年後、30年後の事かもしれません。

日本はまだまだ成熟には程遠い状態です。日本にはろくなインフラがありません。下水道やガス、電気のような生活基盤が満足に整備されていないのです。しかも高額です。国が貧しくなると、途端に生活水準が大きく下がってしまいます。やるべきことが残っています。

 

こういった理想的な政治を実現するには、自由主義者の存在が欠かせません。政治の中心に寄り過ぎず、それでいてアウトサイダーではない者です。外部から多様な考えを取り入れながらも、中心を見据えている存在です。

従来、それはメディアの役割でした。メディアが提灯持ちとなってしまった今日では、それとは別に権力の監視役が必要となります。健全な世論が必要です。

 

表現の自由はできるだけ尊重されなければいけません。「明白かつ現在の危険」がない限りです。表現の自由を奪うというのは、人類の未来を奪うという事です。全ての人間は誤りを犯します。ですから、批判は許されるべきであり、真摯に耳を傾けるべきなのです。失敗を認めないところに進歩はありません。

 

保守と革新の2つの政党があり、双方の論争により新たな「真理」に達します。それが政策として実行に移され、結果によって検証されるのです。これが理想です。真理は、どちらか片方にしか存在しないという、一面的なものではありません。

国家や法律、社会システムは人間が作り上げたフィクションです。全ては仮説に過ぎません。その正当性は、常に検証され続ける必要があるのです。

 

悪魔のやからはそのさが悪なれど、善を忘れず。右のまなこは「いんへるの」の無間むげんの暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光をうるわしと、常に天上を眺むるなり。

芥川龍之介『るしへる』

国家 下 (岩波文庫)

自由論

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー)

表現の自由 (1972年) (UP選書)

法哲学

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

芥川龍之介全集〈2〉 (ちくま文庫)

るしへる

権威によって決まる日本人の価値

日本人は権威に従います。強い権力が存在する訳ではありません。従属を求められているでもありません。彼らは本能的に従うのです。権威からの距離が人としての上下を決めるからです。

 

権威に進んで従う一方で、彼らは常に抑圧されています。もし左隣の人に殴られたら、直ぐに右隣の人を殴ります。これが延々と続きます。末端の人々の不満は外に向かうしかありません。そうでないと心のバランスを失い暴発してしまうのです。

 

日本人はいくつかのタイプに分けられます。政治に関わる特権階級があります。侮蔑の対象である年貢を納めるだけの奴隷がいます。倫理のかけらも無く、ひたすらカネ儲けに勤しむ商人もいます。さらに権威として祭り上げられながらも、何の実権も持たない人もいるのです。今の日本人は、これらの要素を少しづつ併せ持っています。立場に応じてその割合が変わっていくのです。

 

日本人が理想とするのは、厳しい上下関係の中で自分の分をわきまえる社会です。速やかに上下関係を作り、それを保持し続けることを目的とします。多くの日本人にとって、権威との一体感こそが至上の喜びです。これが日本人の上昇志向の原動力となっています。必然的に権威を笠に着るような人間ばかりになるのです。

 

日本人は政局を論じるのが大好きです。政治的権力と社会的価値とは別物です。しかし日本では国家権力が「真善美の極致となっています。すべての議論が政治問題になってしまうのです。しかもその政治とは「勝てば官軍」といったものです。日本人にとって正義とは力に他なりません。暴力は愛情の表現です。日本人の態度がいつも傲慢なのはここから来ています。

 

万国を序列化することが究極の世界平和だと日本人は考えています 。世界にあまねく秩序を行き渡らせるのです。だからTVの討論番組で「アメリカと中国の間を取り持つ」とか「中国に人権や国際ルールを教える」とか馬鹿な事を平気で喋ります。まるで、身の程を知らない田舎者です。

 

日本は「八紘一宇」を掲げて侵略を行いました。ところが、自分たちが侵略の当事者であると考えた者は一人もいませんでした。責任もとりません。行動から判断すれば、日本人は誇大妄想的、偏執病的、狂信的な人々です。一貫性に欠ける支離滅裂な人間です。いざとなると神輿を置いて散り散りに逃げていく無責任な人達です。

 

日本では、特定個人の恣意を排除した法治国家のシステムを作り上げることが出来ませんでした。もともと主権者のコモンセンスなど存在しなかったのですから当たり前です。

西洋における絶対君主は基本的に自由人です。理想的な「個人」を具現化したものです。しかし守るべき法は存在します。それに比べて日本の場合は、伝統という過去を背景にした権威に黙従する人々があっただけです。

 

家族制度と「國體」の崩壊によって、日本人は中心となる権威を失いました。国内のヒト・モノ・カネを総動員できることが日本の強みでしたが、それは出来なくなったのです。皮肉にも近年の極右政権が、従来の権威に最終的な引導を渡しました。彼らは別の権威を必要としているのです。

 

法や宗教、社会システムは虚構です。人間が作り上げたフィクションです。それを分かった上で法や宗教の教えに従い、システムを利用するのです。ところが日本人は虚構をあたかも現実であるかのように捉えます。

日本人は世界が家族であるという虚構を鵜呑みにし、あたかもそれが絶対的真実であるかのように行動したのです。これからも権威によりスローガンを与えられたら、何も考えずに従うことでしょう。

 

日本人にはよるべき思想がありません。日本人は、思想と生活とが乖離していると良く言われます。彼らはどんなに教育を受けても、「思想」では腹落ちしません。「思想などと言っているが本音はこれなんだろ?」と言って卑しい動機を探ろうとします。エログロで人間を描きます。下衆の勘繰りというのがぴったりです。

日本人の中身は空っぽです。表面上のルールがあるだけです。本当に守るべき内面は一切存在しないのです。日本人に理想はなく、ただ方法論だけがあります。それを思想と勘違いしているのです 。

 

「日本国民よ、祖国日本を直視せよ! 政治、外交、経済、教育、思想、何処に日本の姿ありや」

これは約90年前に、若き海軍士官が記した檄文です。彼らの言う「日本の姿」とは何だったのでしょうか。

戦前の日本人が大切にした何かは、言葉にすると見失ってしまうものでした。理論や論理では説明できないものです。日々の生活や実感に密着した何かです。それは、家族があり、父親が上位にある。さらにその上に権威が存在する。それらが過去の尊いものに繋がっているという感覚です。思想がなく、説明のつかないあやふやな感覚で動いてしまうのが日本人です。

 

ところが現在の日本人は、そういった凝縮の核となるものを失ってしまったのです。

現代は、個人で世界に対峙しなければならない時代です。個人主義の伝統のない日本人には不利です。一人では何も出来ません。組織の後ろ楯が無いと威張ることができません。虚しく「日本スゴイ」と繰り返すのみです。

 

日本人の頭の中には、雑多な概念や感覚が混在しています。その中から都合の良いものをその場に応じて取り出すのを日本人は得意としてきました。しかしこれからの世界では、一貫性のある考えが大切になってきます。表明される信念や価値観によって、人や組織が評価されます。

 

自分の中に確固たる機軸が必要です。そのためには、何よりも精神的強靭さが必要です。個人としての強さです。それは誰かの威を借りたものであってはなりません。

思想は、都合よく拝借する、金科玉条や錦の御旗ではありません。これからはひとりひとりが、独自の思想や価値を創り上げることを求められるのです。

 

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

日本の思想 (岩波新書)丸山眞男

日本人とは何か (講談社学術文庫)

セレクション (平凡社ライブラリー)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

五・一五事件-海軍青年将校たちの「昭和維新」 (中公新書 (2587))

相手を騙すことで成り立つ日本経済 −他人を信頼できない日本人−

商売は信用で成り立っています。最低限守るべきルールがあります。しかし日本では、相手をいかに騙すかが大事です。どんな卑怯な手を使っても勝ちは勝ちというのが日本流です。

 

信じられないかもしれませんが、百科事典のセールスマンというのが居ました。1970年前後の話です。英語で書かれた高価な百科事典のセットを月賦で買わせるのです。英語も読めない、大学教育も受けていないような人たちがカモだったのです。

最近は以前ほど見かけませんが、生○保険の勧誘員が会社にいました。社内を行き来してカモを狙っています。カモはよく考えもせずにハンコをついてしまいます。他人が作った人生設計に身をゆだねてしまうのが日本人です

自動車メーカーは、高速道路で真っ直ぐに走らないような代物を「自動車です」と言って売っています。サスペンションやブッシュ、車体剛性、それらの総合的なバランスが悪いので、直進安定性に欠けます。運転していて疲れます。基本的な性能をおろそかにして、どうでもいい見た目だけを飾っているのです。

相手の事を考えるのではなく、お仕着せのモノやサービスを提供するのが日本流です。

 

日本人は人を信頼する心という、もっとも大切な資質が欠けています。経済の発展にはお互いの信頼関係が必要です。それが無いのですから、日本が凋落していくのも道理です。

長期的に考えれば、信頼関係を築いたほうが良いのに、その場限りでトクになる事だけを考えます。誠実さがありません。信用できない卑怯な連中です。他人を次々と騙して行き、結局誰かが最後にババを引きます。日本全体がネズミ講のようです。しかし現在の少子化によって、それも成り立たなくなってきました。

 

日本人は狭いコミュニティや、上下関係がある場所で初めて安心します。見ず知らずの人と対等な人間関係を築くのは、日本人がもっとも不得手とするものです。

田舎で農業に携わる間はまだ良かったのです。近代化に伴い、工場に通って同じ作業を繰り返すのも日本人に合っていました。軍隊での厳しい上下関係の中で暴力を受けたり、振るったりするのも日本人の性に合っていたのです。

 

ところが現在は、通信技術の発達によって、個人と個人が直接繋がる世界となったのです。身の周りの上下関係だけに目を向けていれば良いという時代は終わりました。

新しい世界に日本人は適応することができません。この社会では、ネットの向こうにいる匿名の人々やシステムを信用しなければいけません。日本人はそれが出来ないのです。自分のことだけを考え、ネットで怒鳴り散らす、頭のおかしな人達です。

 

外の世界は敵ばかりだと考えるのが日本人です。会社でも部署が違えば、争い合う敵です。同期が同じようなポジションに付いている時にだけ、円滑なコミュニケーションが可能です。日本人は基本的に孤立しており、情報伝達が不得意です。

彼らは他人を信用しないので、新しい機会を掴んで商売に繋げることができません。新しい取引先とのやり取りも、確認項目が多く多大なコストや時間がかかります。

 

それだけではありません。日本人は騙されるのが嫌だからブランドに頼ります。一流の業者に依頼したがります。中抜きによって割高となっているのが分かっていてもです。

名の知られた一流企業であれば、安心です。クレームをつければ対応してくれるからです。賠償金も払ってくれるかもしれません。

体力の無い会社だと、ひょっとすると倒産してしまうかもしれません。責任者がどこかに逃げてしまうかもしれません。一方で、大企業の社員はくびきを負った奴隷です。逃げません。発注者は、安心して無限責任を求めるがことできるのです。

 

日本人は狭い範囲でしか、心安んじて話すことが出来ません。それ以外は「上か下か」の関係です。

安心できる場所は家庭です。結婚したばかりの男性が「絶対に裏切らない友達を得たような気持ちだ」と述べたことがあります。普通の友達は裏切るけれども、結婚制度で一緒になった相手なら、裏切らないので安心できるという訳です。結婚では自分より弱い者を選びます。いざとなれば暴力で従わせる事ができます。女房、子供は奴隷です。日本で対等な関係を築くのは、なんと難しいことでしょう!

 

現代では、透明性が求められています。デジタル化によって否が応でも可視化が進んでいます。発注先の業者が、ろくに品質検査もせずに出荷していたことが明らかになります。発注元は血眼でチェックをするようになりました。末端の業者は、僅かなコストで完璧な商品を作らないといけません。こうして日本不遇の時代が始まったのです。

 

ネットワークが張り巡らされた現代において人を信用するというのは、抽象的な人間やシステムを信用するという事です。けれども日本人は想像力が無いために、目に見えないものは信用できないのです。日本人は、宗教や神、二元論をついぞ理解できませんでした。言語脳の発達が悪いので、抽象的な思考が苦手なのです。

 

日本人は、近くの親類ではなく、遠くの他人を信頼します。笑顔を見せながらやって来る詐欺師に騙されます。親族や仲間は良いことをしてくれたはずです。ところが日本人は、悪いところばかり覚えており恨みを抱いています。一方で初めて出会った詐欺師とは、良い思い出しかないので、簡単に信用してしまうのです。TVで笑いながら毎日語りかけてくる芸能人に親しみを感じてしまうのも、同じ理由からです。

 

キャッシュレス決済が進み、誰もがネットを通してスモール・ビジネスを始められるようになりました。けれども、見知らぬ人を信用できない日本人には難しいでしょう。

他人を信用することも出来ないし、未来も信用できません。資本主義とは成長への信頼です。資本主義は投資を繰り返すことです。それを失ったら滅ぶしかありません。カネをどんどん供給すれば、経済は再び活発になるはずでした。しかしそうはなりませんでした。日本は不信社会です。経済だけではなく、日本人特有の心理が影響しているのです。

 

街に出れば、今でも新しいビルが建設されているし、ピカピカのクルマや新幹線も走っています。空を見上げればジェット機も飛んでいます。多くの日本人は、日本の衰退に気が付きません。

「たかが信頼」等と軽く見てはいけません。やがてもっと大きなものを失う事になるのです。


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貧困層を嫌悪する中流階級 −社会的流動性が無くなった日本−

中流階級は、底辺層を憎悪しています。例えば地方出身者で、現在は都内に住み、自分の力でここまで上り詰めたと勘違いしている人達に見られる態度です。

 

貧困者や障がい者は、彼ら自身に問題があるのだと考えます。彼らに税金を使うのは無駄だと考えています。生活保護受給者を憎み、外国人を排斥し、障がい者に対する不妊手術や積極的な安楽死に賛同します。ナ○スを支持した人々と同じような考えを持っています。

 

映画「ジョーカー」において、証券マンが地下鉄車内でピエロをリンチにする場面は、弱者に対する侮蔑と嫌悪を象徴的に表しています。

ミュージカル映画ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、共産主義国から来た貧しい移民の障がい者という偏見もあって、学のない底辺層の女性が、第一級殺人容疑で有罪となり絞首刑に処せられるシーンがあります。

 

彼らは見た目や服装で人を判断し、休日に出かけた先で彼らを見かけるような事があれば、嫌悪の表情を示し、あざ笑いながら、聞こえるように悪口を投げつけます。彼らの生活パターンや食べるものまであげつらい、爆笑しています。

低所得者が住んでいたような都内のエリアに、新築のマンションが建てられた場合に、対立が発生します。古くから住んでいた住民に対し「なんでこんな所に居るんだ?」といった無遠慮で敵意に満ちた視線を投げつけるのです。積極的に対立を煽っています。賢明とは言えない行為です。

 

下層中流階級に位置する者でも、「自分は頑張っている」と自認する人は、最下層の人たちに対して敵対的な態度をとるがことあります。日本は平等な国であり、自分は中流だという幻想から覚めていない人々です。

 

一方で、山の手に不動産を持っており、実家が小金持ちだったような人々は、貧困者に対してそれほど明確な憎悪は持っていません。話題に挙がる事があれば、むしろ同情的な態度をとります。もっとも、関心が無いので話題にすること自体がまれです。

 

天は人の上に人を造り、人の下に人を造ります。見た目や性別の違い、生まれた家庭によって階級が定まります。

遺伝か環境かという話があります。人生の早い時期では「育ち」が影響します。人生の後半になるほど「遺伝」の影響が強くなります。つまり、育ちによって矯正されていても、そのうちに自分の本性が表れてしまうのです。

育ちが良ければ、良い学校に行ける可能性が高まります。ところが、遺伝的に優れていなければそのメッキは剥がれていきます。

若いうちは、自分で制御できる範囲が限られており、受けた躾や環境によって結果が左右されるのです。ところが年を経ると、より自分で制御できる範囲が増えます。自分の性質にあった環境を、自ら選ぶ事ができるのです。生まれつき怠惰な者は怠惰な者へと、勤勉な者は勤勉な者へと、本来の姿に近づいていくわけです。

芸術家が、若い時よりも人生の後半になるほど、自由で独特な作品を作るようになるのは、こういった理由があります。

 

理想的なのは、早いうちから適正を自ら見出し、自発性的に能力を伸ばせるような教育を受けることです。例えば、ジェフ・ベゾスや、イーロン・マスクのような創造性に溢れる成功者は、そのような「モンテッソーリ教育」を受けています。

 

貧困者は育ちの面で不利なだけではありません。何年経っても、本来の自分に適した環境を選ぶことができないのです。

単純に考えてみましょう。上流階級出身者のIQも、正規分布に従って上中下の3段階に分かれます。ざっと2/3はその階級に相応しくない能力の持ち主です。しかし既得権益に守られ、その階級に留まる事が可能です。

一方で下層階級出身者も、その能力に応じて上中下に分かれますが、下層階級から這い上がることは困難です。

 

育ちによって階級が固定してしまうのは、国家にとっても大きな損失です。国の停滞や凋落を招きます。社会の流動性が必要です。

日本は新自由主義の国ではありません。大きな誤解です。今まで一度たりとも、自由主義の国であった事は無いのです。既得権益が全てです。世襲制、縁故資本主義がはびこる社会は衰退していきます。

 

市場における自由な交換と、各々の能力に見合った分業こそが、経済を活性化するのです。何度も言われてきたことです。アダム・スミスが「国富論」「道徳感情論」を書いた時、英国は重商主義の国でした。規制を増やしても、緩めても、結局は悪い結果しか生まないのです。国の干渉や統制が無いのが理想です。極端に言えば、政府は再分配の仕組みだけを担っていれば良いのです。

 

ここでカネの流れについて考えてみましょう。中央銀行は何も無いところからカネを生み出すことができます。そのツケは未来の国民が払います。

作られたカネは、各銀行に低利で貸し出され、一次請けの業者に渡っていきます。彼らはいち早く機会を掴み、効果的な投資を行えます。しかしながら、紙の紙幣が段々とよれていくのと同じように、カネも人の手を渡っていくにつれて、価値が目減りしていきます。

単にインフレの事を言っているのではありません。中央銀行が発行した1万円と、労働者に渡った1万円とは同じ価値ではありません。同じ労働者でも20日に給料を貰える人もいれば、翌々月の末日に給料を受け取る人もいます。

早くカネを貰えれば、最新のスマホを買えたかもしれません。治療を受けて、より快適な生活を送れたかもしれません。投資に振り向けることによって、より多くの利益を得られたかもしれないのです。機会を失うだけではありません。国内のカネが増えたことによって、価値も実際に目減りしているのです。

政府を介さないビットコインに期待している人々がいるのは、こういった理由があるからなのです。

 

社会浄化(ソーシャル・クレンジング)によって、下層階級の人々を表面から排除しても、居なくなるわけではありません。必ず存在するのならば、彼らを受け入れなくてはならないのです。

上流階級や中流階級だけで社会が成り立つわけではありません。上に立つのが相応しい人物もいれば、下で働くほうが合っている人もいます。固定化された階級は、国が崩壊する原因となります。社会の流動性を保つのは、国を構成するそれぞれの人々にとっても、利益をもたらすのです。

 

そうであれば、覆い隠すのではなく語るべきです。不言実行では社会は変わりません。喋らない、書くこともしないというのは、何も考えていないのと同じ事です。

Selma Jezková [final scene] - YouTube

階級(クラス)―「平等社会」アメリカのタブー (光文社文庫 フ 4-1)

チャヴ 弱者を敵視する社会

つくられた格差~不公平税制が生んだ所得の不平等~

21世紀の不平等

進化は万能である 人類・テクノロジー・宇宙の未来 (早川書房)

ジョーカー(字幕版)

ダンサー・イン・ザ・ダーク(字幕版)

ゼイリブ (字幕版)

中抜きIT企業での一日 -日本における既得権益の旨味-

中抜き企業での仕事はラクです。そんな会社での一日を描写してみます。あくまでフィクションです。

 

朝はラッシュを避けて、ちょっと遅めの出社です。雨が降っているので、途中からタクシーを利用します。もちろん経費で落とします。

今日はオールデンの靴なので濡らしたくありません。スニーカーのように履き心地の良い革靴です。時計は目立たないように、ロレックスのエクスプローラー1をつけていきます。客よりも目立つ時計はさすがに不謹慎ですから。

 

会社に着くとノートPCを開けて、メールを確認します。一通り返事を出したら、一休みです。喫煙所でタバコ休憩です。異動や組織替えの情報は要チェックです。社内政治は大切です。

戻ってきてネットサーフィンをしているうちに、昼休みが近づいてきます。仲間と連絡をとって、早めの昼食です。楽しく歓談をして、社内の噂話や情報交換をします。腕時計を見ると、もう昼休みを過ぎています。ダラダラと歩きながらビルに戻ります。

眠くなった目を時々閉じながら、パソコンを見つめます。時々寝てしまうこともあります。こらえながら、受け持っているプロジェクトのWBSを更新します。エクセルはよく使いますが、四則演算やSUM関数くらいしか知りません。

 

当分、新しいプロジェクトの提案作業は無さそうです。今月も何事も無く、平穏に過ぎ去って行くことでしょう。「そろそろ業者との更新契約が迫っているなあ。今月末までに書類を準備して、承認申請を出さなきゃ」と心の中で呟きながら、ToDoリストを更新します。

それに併せて、客に出す見積書も作らなくてはいけません。開発費の値引きを執拗に求めてくるので、多少譲歩してやります。その代わりに、サーバーの売値は仕切値の倍にして差し上げます。

 

研修のノルマがあるので、受講リストの中からラクそうなものを選んで、申請を出しておきます。「場所は○○○か。ランチが楽しみだな。そのまま直帰してしまおう」と考えつつ、後学のために、ネットサーフィンをして情報を集めます。しかしまた眠くなってきます。通販サイトを見たり、株価や為替をチェックして睡魔と戦います。

打合せの時間が来たので、会議室に向かいます。気の知れた仲間だけなので、ワイワイ話しながら気分転換です。

執務室に戻ると、今度配属されると聞いた、新人の情報を確認します。「おっ、この子はカワイイな。早速食事に誘おう」と空想に耽ります。

 

そろそろ面接の時間です。あるプロジェクトに参加していた協力会社員が辞めたので人員を補充しなければなりません。現場は過酷なようですが、一度も行った事がありません。PLとなっていますが、ペーパー上の管理だけです。

この暑い時期に、来訪した営業も技術者も、クソダサいスーツにネクタイです。パッと見て、「こりゃ駄目だな」と思いつつも話を聞きます。ちょっと意地悪な質問をして、相手が困るのを見て楽しみます。この頃はロクな人材がいません。早めに切り上げます。営業からまた電話がかかってきたら、適当な事を言って断ろうと思います。

 

そうこうするうちに夕方になりました。17時を過ぎても、周りの様子を見ながら残業します。仲間からチャットで「飲みに行こうぜ。場所はいつもの所で」と連絡が入ります。「いくいく」と答えて、ソワソワと片付けをします。

安い料理と安酒で楽しい時間を過ごします。上司や、うるさい客の悪口を言って盛り上がります。もちろん、周りの人に気づかれないように隠語を使います。気分が良くなって、地下鉄の入り口まで皆でダベりながら向かいます。

「今日は何をやったんだっけ。いろいろ忙しかったような気がするけど、覚えていないや。まあ楽しければいいや。おっ、明日は20日か。もう給料日だ。特別に寸志が出たし、株の含み益もあるから、ボッテガのバッグでも買おうかな」と、楽しい空想にふけりながら家路につくのです。

 

IT企業の一次請けは半分ほど利益を抜きます。ちょっとした改修でも売値は1千万円単位です。そのあと、何重もの下請け業者を経ていきますが、末端になると数パーセントくらいの利益率しかありません。当然赤字になる危険性もあります。それぞれの取引に消費税もかかってきます。

中抜き企業は、ヒト・モノ・カネを、右から左に、あるいは左から右に動かしているだけです。それだけで札束がドサドサッと落ちてきます。

社内は縦割りです。部署が違うとまるで別会社のようです。横のつながりはありません。自分の縄張りには敏感です。おいそれと、相談したり仕事を頼むこともできません。

 

最近はプロジェクトの規模が小さくなってきたので、複数のプロジェクトをかけ持ちです。見積もりを出して契約書を交わし、下請けに丸投げです。

顧客が要求するスキルセットを持つ業者を探してくるだけなので、最新の技術動向を知る必要さえありません。怠けようと思えば、いくらでも怠けられます。

 

仕事は親会社から降ってきます。会社のブランドがあります。資本金も潤沢です。仮に、1年以上売上が無くても、組織を維持していけます。親会社を頂点とした巨大なピラミッド構造となっており、グループ全体で、ヒト・モノ・カネが大きく動いていきます。国会議員も送り込んでいます。官僚の天下りも受け入れています。グループの力で世論を動かすことができます。

 

日本は既得権益に寛大です。「政官財のトライアングル」を構成している巨大な組織の一員となれば、一生安泰です。底辺層を食い物にして生きてゆくことができます。ガン細胞のように増殖し浸潤していきます。不死身の存在です。

いざとなれば官が助けてくれます。赤字が続いても、金融機関を通して融資を続けてくれます。リスクを取りに行く必要はありません。イノベーションなどは不要です。何をやるべきかは、官が決めてくれます。上の意向に従えば間違いはありません。研究所の人員は大幅に整理しました。共産主義にかぶれた危険な連中です。

 

日本企業は永遠に不滅です。いざとなれば神風が吹きます。命令一下で一斉に動く巨大な軍事的組織、そして根拠のない楽観主義、これこそが日本の強みなのです。

成熟日本への進路 ――「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)

進化は万能である 人類・テクノロジー・宇宙の未来 (早川書房)

チャヴ 弱者を敵視する社会

格差は心を壊す 比較という呪縛

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