kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人生の意味を問い続けたチャイコフスキー −伝えたいものを持つことの大切さ−

チャイコフスキーは、「運命」を強く意識した作曲家でした。運命というとベートーヴェン交響曲が有名ですが、ベートーヴェン自身が、あの曲と運命を結びつけて語った記録は残っていません。

 

チャイコフスキーがもっとも精力を傾けたのは交響曲です。後期の3大交響曲すべてが、「運命」と関わっています。この運命は、彼の言葉に従えば、ダモクレスの剣のように頭上に吊り下げられ、人々に幸福が行き渡らぬように、嫉妬深く監視している存在です。

 

交響曲第4番は、パトロンであるフォン・メック婦人に宛てた詳細な解説が残っています。運命に翻弄され疲れ果て、夢心地になるも、最期は庶民の素朴な祭りに見られるような爆発的な喜びに身を委ねて、再び生きていく力を得るという展開になっています。

 

交響曲第5番についてはメモ程度しか残っていませんが、意図は明らかです。第4交響曲と同じ様に、運命を表すテーマが何度も現れ、作曲者を翻弄します。第3楽章のワルツで束の間の休息を得て、怒涛の第4楽章へと移ります。コーダでは行進曲となり、輝かしい勝利を歌い上げて力強く終わるのです。

 

交響曲第6番「悲愴」は運命のテーマこそないものの、暗い色調で始まります。第3楽章のスケルツォは、表面上は力強く見えますが、運命に抵抗する足掻きや、病的な躁状態を感じさせます。そして第4楽章は絶望で終わるのです。従来の交響曲とは全く異なる、作曲者の強い独自性を感じさせる曲です。

 

様式美があり劇的な構成を持つ第4、甘美なメロディーが豊富でチャイコフスキーらしさを楽しめる第5、作曲者が人生を通じて表現したかったメッセージが込められた第6といった感じでしょうか。

 

ちなみに第5交響曲は、指揮者や演奏によって、曲の感じが大きく変わります。カラヤンだけで、5回もこの曲を録音しており、それぞれが異なります。

1971年の録音は、ヒスノイズが大きめで、音の定位も曖昧なところがありますが、実に音楽的な演奏です。オーケストラが一体となっています。レガートが効果的です。美しいメロディーと力強さを感じることができます。第1楽章のニ長調の主題が現れる部分での盛り上がり、第2楽章の陰鬱でありながらも美しい響き、第4楽章のコーダの力強さなど、聞き所も十分です。第2楽章冒頭にあるホルンのソロは、この曲全体の印象を決めてしまうほど重要なものです。下で紹介した動画は、これとほぼ同じ時期に撮られたビデオです。

 

チャイコフスキーは、裕福な鉱山技師の家庭に生まれました。ピアノのレッスンを受け音楽を愛していましたが、親の言う通りに、法律学校を出て法務省に入省しました。しかしながら音楽への情熱を抑えられず、若くして法務省を辞めたのです。

でも彼は恵まれていました。音楽学校での職を得ることができましたし、裕福なパトロンもいました。晩年は名誉博士号を受け、カーネギーホールにも招かれました。

彼はその当時、もっとも高名な音楽家だったといえるでしょう。引退しても、何不自由することのない老後が待っていたはずです。それでも「悲愴」交響曲のような革新的な曲を生み出したのです。

 

チャイコフスキーというと、魅力的な主旋律とそれに絡む副旋律、オーケストレーションや盛り上げ方の巧みさに囚われがちです。しかしながら彼は、決して表面的な美しさだけを追求した人ではありませんでした。むしろ彼ほど、自身の世界観や感情を曲に込めた作曲者はいなかったでしょう。ヨハン・シュトラウスのような中身のない音楽家とはそこが違います。

しかもそれを、一般人にもわかるような形で音楽に投影しようと試みたのです。そしてそれは成功しました。彼の曲は、現代でも広く聴かれています。

 

単なる小手先の器用さで、彼のようにあらゆるジャンルにおいて傑作を残すことなどは不可能です。誰よりも音楽の本質を掴み、表現力が優れ、情熱にも溢れていたからこそ可能だったことです。ブラームスとは異なり、晩年に至っても彼の創作力は衰えませんでした。彼には、どうしても伝えたい明確なイメージがあったのです。

 

音楽のみならず、他の分野でも同じことです。IQや審美的能力を備え、善悪を知っているのみならず、何らかの「原体験」を持っていることが、創作活動においては必要です。それが自身を引っ張る原動力となるのです。これらが高い次元でバランスを保っていることが必要です。

 

チャイコフスキーは、53歳の時に急死しました。死因はコレラと言われています。もしかすると彼は、自分の闇を見つめ過ぎたのかもしれません。しかし全ての人間に共通する闇があるからこそ、彼の作品は今でも魅力的なのです。

 


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交響曲第5番。1974年のビデオです。6分から7分にかけての盛り上がり、16分辺りからのホルンのソロ、45分からのコーダが聞き所です)


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(悲愴交響曲の第3楽章。4分後半から勢いを増し、そのまま最期まで突き進みます)

 

チャイコフスキー:交響曲第4番、第5番、第6番《悲愴》 [DVD]

チャイコフスキー:交響曲第4番、ロメオとジュリエット

チャイコフスキー:交響曲第5番

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」