1966年の東京の様子を写した動画があります。そこである家族の一日が紹介されています。都内に住んでおり、新富辺りにあった「八百常」や目黒区の交番が出てきます。ご主人の勤務先は、当時で東証二部上場の電気会社です。
冒頭で朝食の様子が映し出されます。おかずは卵焼きと缶詰のウインナーです。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代であり、卵や缶詰は贅沢と言える部類です。味付け海苔もあります。一軒家で夫人は和服を着ています。家にテレビやガス炊飯器もあります。中流でも恵まれた家庭だと言えるでしょう。
食卓には化学調味料が置いてあり、おかずに振りかけて食べています。この頃は化学調味料を摂取すると頭が良くなると言われていました。ちなみにインスタントラーメンは「完全栄養食品」と呼ばれていました(笑) この頃から適当な事を言う連中です。
野菜は味噌汁に入っている大根と、キャベツだけです。生のキャベツにソースや醤油をかけて食べます。キャベツはお皿に盛ると料理をかさ上げしてくれるので日本人に好まれます。とはいえ、生野菜も贅沢な方でした。貧乏人は野菜といっても、ついつい芋や人参を買ってしまいます。それをぶち込んで具沢山の味噌汁を作ります。栄養バランスが糖質寄りですが、それで食事の不足感を補っていたのです。学校給食で時々出る、砂糖をまぶした「揚げパン」が日々の楽しみのひとつでした。
こうしてみると、日本にまともな食事が行きわたった時代は、何と短い期間であった事でしょうか。
現代日本での学校給食の乏しい内容がニュースになっています。ある地方では、おかずが、ちっちゃな袋に入った「なめ茸」と豆だけです。これじゃ、口内調味の「三角食べ」も出来ません。去年の台風被害の影響だという事ですが、もう元には戻らないのでしょう。
戦後、日本人の体格が良くなった、身長が伸びたと言われた時期がありましたが、隠れ移民の影響や雑種強勢に依るものだったかもしれません。日本人の背がまた縮み始めている印象があります。それに加えてこの食糧難です。公的な組織でまともな食事を用意できないのなら、貧乏人の食卓はどれほど悲惨な事でしょうか。
さらに農薬やその他有害な化学物質、重金属や放射性物質、加工食品に含まれる添加物で、体も頭も退化して行きそうです。
コンビニに置いてある弁当のおかずは、安い鶏肉ばかりです。唐揚げは国民食(笑)なのだそうです。その唐揚げも数が減ってきています。かさ上げの為に、サラダスパゲティが敷いてあります。野菜はなく、毒々しい色をした漬物が添えてあります。肉体労働をするなら、こんなものでは足りないでしょう。
以前はアジア各国から日本に来た人は、服装が洗練されておらず、直ぐにそれと分かったりしたものでした。ところが最近はきちんとした服を着て明るい表情で喋っているのが外国人で、みすぼらしい恰好で元気がなくうつむき加減で歩いているのが日本人であると、容易に判別することが出来ます。
今やアジアで日本より貧しい国や人々はごく僅かです。そのアジア人も日本での奴隷のような扱いにうんざりし憎悪を抱いています。やがて日本がアジアの最貧国となります。これからは日本人が奴隷として海外に渡らなければいけません。その覚悟はあるのでしょうか。
「衣食住」のうち、食事まで満足にとれないようでは、この国も終わりです。もはや教育や労働者の生産性以前の問題です。人材こそがこの国の財産で、加工貿易で食っていく国だったのでは無いでしょうか。
「日本のソフト・パワー」って言いますが、ソフトなら精神力だけで頑張れるって事でしょうか? 言っている事と、やっている事が何時も矛盾しています。掛け声だけで頑張れる、でも結果は出ない、それが日本人です。