kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

意味を与えられれば人は喜んで死ぬ

岡本喜八監督の「肉弾」という映画があります。特攻の厳しくも空しい訓練に、日々、励む兵士が女郎屋で美少女と出会って「あなたの為なら○ねる」と叫び、一人、魚雷と供に海へ繰り出します。しかし途中で兵士は敗戦を知り、全ての人間の価値がゼロであり簡単に叩き潰される蝿のような存在である事に気づくのです。

 

「この世」では多くの人々がぞんざいに扱われ、自分は無価値であるという厳しい事実を突きつけられています。人はそれに耐えられません。だからある人はそれを無視して享楽や仕事に没頭し、またある人は気力を無くし、はたまたある人は自殺したり人を殺すという行動に出るのです。

 

大量殺人というのはメディアが報道するような頭のおかしな人間が犯すものではありません。人並み以上に冷静で論理的な人だからこそ大量に殺せるのです。矛盾があれば人はそれを様々な方法で解決しようとします。妥協したり逃避したり、適応したり、その真理に積極的に協力したり、論理的解決や止揚を試みたりするのです。人間が無価値であるという「この世」の真理を目の前にして、無駄な人間を排除しようという論理的帰結に至る人がいるのです。自分を消し去ろうという人もいます。あるいはそれを考えないようにする人もいるという事です。

 

だから意義さえ与えられれば、人は自ら死さえをも積極的に選ぶのです。自爆テロは遠い世界の話ではありません。ほんの70年前、多くの若者が特攻の訓練を受け空しい死を遂げました。それは必ずしも強制ばかりではなく、鬱屈した時代において、特攻に意義を見出していた者も大勢いたのです。