kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

何も考えず、相変わらず「中抜き」で儲けようとする日本人

日本人は基本的に怠け者で楽して儲けることばかり考えています。上から下まで未だに中抜きを狙っています。つまり自分では何も新しいものを生み出さず、価値を付加することもせず、ただただ中間マージンだけを都合よく頂戴し、何もしなくても懐に金が入るようなことばかり考えているのです。

 

役人や経済新聞が語る事を鵜呑みにし、指示された方向へと一斉に向かい、上手い儲け話は転がってはいないかと彼らは一生懸命です。他人が作ったアイデアやモノを頂いた後、そこに利益を沢山乗せて、今度は如何に客を騙せるかというのが工夫の為所です。

 

彼らの作るビジネスモデルとやらを見てみると、流行言葉や、カタカナ用語が沢山並び、表面上は派手に出来ていてますが、中身は代わり映えのしないものです。

役人や御用学者の言葉だろうが、新聞、雑誌、TVや映画、漫画の中の情報であろうが、日本の場合、出所を辿れば一緒です。しかし経営者はそれらの情報の洪水から、ますます自分の経営方針に間違いはないと確信するのです。

日本人は表面的な新しい言葉を使えば、心機一転、何か新しいことをしている気になったり、新しい思考や流行を身に着けたつもりになってしまう浅はかな人達です。

 

企画は誰かに考えてもらった流行のもの、製品は誰かが作ったもの、売るのは下請け連中、それで利益だけちゃっかり頂こう、そんな事がこれからの日本でも通用するでしょうか。彼らはプロの経営者ではなく、何のアイデアも生み出せずヴィジョンも持たない、ただのサラリーマン経営者なのです。

 

さらにこの先、モノを作ってくれる人々が居なくなったらどうするのでしょうか。地方の田舎から運べる奴隷や消費者はもうおらず、搾取できる連中が居なくなります。外国人労働者に頼るのでしょうか? 彼らが日本の軍隊式教育で忠実な奴隷に育ってくれれば良いのですが…。一方、企業には使えない管理職で溢れています。コンサルタントは日本では一定額で長時間酷使できるただの奴隷で、新しいアイデアをもたらすことは希です。それどころか長時間の雑務で疲れきっており、若いうちにどんどん辞めていきます。

 

管理職は上から流れてくる企画をそのままに、コンサルタントや若手社員の作る資料でもっともらしい体裁を整えて、儀式のようなプレゼンや稟議、承認を行った後、下請けに発注して終わりです。あとは出来るだけ発注のコストを叩くのが彼らの腕の見せ所です。問題があれば、手際よく書類を準備しておき、全て下請けのせいにすることも忘れてはいけません。

 

このような無能な奴隷頭と、それにかしずく奴隷達で、日本の社会は成り立っています。表面上は如何に綺麗ごとを並べていても「奴隷どもは死ぬまで働け」「お前等のものは俺のもの」というのが本音です。しかしそんな彼らもお上に頼りきりで、いざとなると成す術も無く切られる運命です。蛸が足を食べてかろうじて生き延びているような日本で、最後まで生きられる頭の部分はごく僅かです。

 

この国の庶民は行政改革や革命まで、お上が頼りです。「君たちは優秀だ、Fラン卒に使われて悔しくないのか」としばしば日本人は言います。彼らは自分が新しい事をしたら滑稽な道化として嘲笑され、叩き潰されてしまう事を良く知っています。だから決して自分達で事を始めず、常にお上の指示待ちとなるのです。しかし下種な欲望は抑えきれず隙あらば弱者を食い物にして利益を貪る事を恥と思いません。

 

この国の人々は太平洋戦争の時と同様に、誰かが破滅させてくれるまで愚かな自分達の行動を止めることができません。その時が来るまで「我々は優れている」、「日本は豊かだ」、「あの国を圧倒している」と言い続けなけれならないのです。