kurukuru89’s blog

一人の原始キリスト教信者が、気の向くまま森羅万象について語ります

なぜ日本人は世界から偽善者と呼ばれるのか

表面上は平和で幸せな国、日本。しかし実態はディストピアです。上辺は善人を装っているが、詐欺師や偽善者が多く住む国です。それでいて全く悪びれるところがありません。この日本人の特性について分析してみたいと思います。

一神教を持たない、また特定のイデオロギーや信条等も持たない人が住む日本のような国は、世界では珍しいと言えます。しかも国民はあまり不満を持っておらず、何かあると自分が悪かったと思うように訓練されています。

日 本人の行動原理は「人様に笑われない、分に応じた相応しい地位を得る」という名誉欲です。それを基にして恩と義理による貸借関係があります。恩を受けたら 同じ量を返さなければいけません。これは金銭の貸し借りに非常に似ています。帳簿を付けられ、義理を返すのが遅れれば利子まで付きます。この国では、義理 を果たさぬ者は最大限の侮辱、軽蔑を受けます。まさに「借りたものは返せ、出来なければ首を括れ」と堂々と非難することが出来ます。

日本人が意識して無いだけで、この不文律はいろいろな所で見る事が出来ます。例えば日本人が好きなツイッターです。「イイネ(お気に入り)」を付けたら、付け返す、フォローされたらフォローバックする、などです。

また恩を売る、着せられるのが大嫌いで、見知らぬ者、付き合いたくない者が困っていても見て見ぬ振りをします。頻繁にツイートしたり「イイネ」をあちこちに付けるような恩着せがましい人間は恨みを買います。

さ らに恥をかかされるのは最大の精神的暴力であり、復讐というお返しをします。それまでお世話になった者でも平気で裏切ります。些細な事で恨みを持つので、 非常に扱い辛い国民です。復讐出来なければ気を病んで自殺します。間違いや罪を指摘するのも最大の侮辱ととられるので見て見ぬふりをします。陰で警察に通 報するのは大好きですが、自分より地位が上の者には逆に復讐されるので自重します。かくして違法が堂々とまかり通るようになります。

日本人は無数の掟に縛られた複数のゲームをプレイするかのように社会を生きます。それも相当の熱心さを持ってです。熱心さが足りないと「誠実でない」と言われて非難されます。誠実に人を殺し義理と人情の狭間で悩む高倉健は日本では大人気です。

ルー ルに抵触しなければ、バレなければどんな汚い手を使っても許されます。この暗黙のルールを認識できない者は「空気を読めない」と言われて嘲笑されます。ま たゲームで負ければ偶然の要素が原因だったにせよ「負けは負け」であり、あらゆる非難や屈辱に耐えて人生の舞台から潔く降りなければなりません。だから「想定外だった」あるいは「想定の範囲内だった」と言って平静を装いゲームを続けようとします。

このように日本は暗黙のルールを守らない者や、人生の敗者には 冷たい世界です。掟を破る者には陰湿なイジメや策謀をもって、善人面で表立たぬように集団で攻撃します。社会的に死んだ者、底辺の派遣労働者、災害や犯罪 の被害者、冤罪者、浮浪者、病人、貧乏人はもはや日本では人間扱いされず、まるで存在しない者であるかのように処遇され、あらゆる苦難を耐え忍ばなければ いけません。「分をわきまえ」敗残者として振る舞い陰で生きる事を強要されます。名誉を失ったのだから当然という訳です。

外国に一人で住むようになった日本人はそれまでのゲームのルールが全く通用しないのを見てショックを受けます。しかし一旦、慣れてしまうと、もう二度と日本に戻りたいと思わない人が多いようです。

七 世紀に忽然と現れた日本、この日本という国は、国家単位での一種の実験場だったのではないかと思う事があります。すなわち、究極の無神論者、唯物論者、現 実主義者、表面的な善人達が住む理想国家の建設です。そしてそれは成功したように思えます。現在、世界の他の国々も急速にその方向へ進んでいますので、あ る意味、日本は先頭を走っていると言えそうです。言わば世界でもっとも地獄に近い人たちです(笑)。

<参考図書>
ルーズ・ベネディクト(1967)『菊と刀社会思想社