人間の理性とはいったい何でしょうか。人を理性的存在たらしめているものと、他の生命体のそれとは何が違うのでしょうか。
「人間は考える動物である」という答えでは不十分です。カラスだって自分で考えて工夫することができます。しかし彼らは、物理世界や神について考えることは出来ないと思われます。
さらに、言語を持っている事が必要かもしれません。イルカは音でもって仲間とコミュニケーションをとっていることが知られています。しかしそれらの伝達手段では抽象的な概念は表現できないでしょう。
人間は、目や耳や発声が不自由になっても、何らかの伝達手段を見つけて、コミュニケーションをとろうと試みる存在です。自分を客観的に見ることができ、自分の考えを持ち、それが表現できそうなら、ほとんどの人間は、そのような状況に置かれても伝達を試みます。
もし下等動物にも人間と同じような理性があるのであれば、人間達が宇宙人(笑)との知的な接触を試みているように、とっくの昔に人間との間に知的なコミュニケーションが発生しているはずです。
ここで人間的理性を成り立たせていると考えられる要素について整理してみます。
(1)何らかの言語を持ち、それによって抽象的な概念や思想を表現できること (数学は便利な「言語」ですが思想は表現できません)
(2)言語により、現在の時間や空間を超えて自身を客観的に見ることができること (言語で記述可能な長期記憶の存在が必須です)
(3)言語で記述できる完全性や理想形の理念が自身に存在し、それに近づこうとする意志があること
(4)自分独自の思想や概念、考えがあり、それを伝えようとする意志があること (動物には動機があるが、言語で記述できるような自分の意志を持たない)
まとめると、「完全性についての理念があって、言葉による自省ができ、何らかの考えがあり、それを外に伝えようとしていること」となります。
以上のように、言語能力と長期記憶を持ち、考えを伝える意志を持っていることが、理性的存在である最低限の条件と言えそうです。そうすると認知症の人や言葉を喋れない幼児は理性的存在とは言えないということになります。この世において理性は必ずしも人を人たらしめる条件ではないのです。人間の価値を決めているのは、神の似姿であるというところにあります。