kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

仮想世界を作り上げ、そこで生活させる事にはどういう利点があるか

ゴーグル型の端末を使い、仮想現実で遊ぶようなことが最近では身近になってきました。それでは我々が、映画「マトリックス」のように、圧倒的なリアル感を持って仮想世界の中で暮らすことは果たして可能でしょうか。そしてそれを作り上げることは、我々にとって、どういうメリットがあるのでしょうか。

 

(1)現実世界と同じほどの精緻な世界を作り上げる必要はない(であれば膨大な計算能力を必要とせず、実現可能性は高まる)

(2)この世界での長期記憶を切り離すことができれば、現実を忘れ、まさに新しい世界で「生まれ変わる」ことができる

(3)この世界において、健康的、経済的、精神的、法的な問題で、暮らすのが難しい人々を送り込むことができる

(4)自発的な者だけでなく、刑罰として対象者を仮想世界に送り込むことも考えられる

(5)仮想世界に送り込まれた人間は、もはやこの世界で政権に反抗したり、犯罪などの面倒を起こすことがない

(6)精神的、身体的、環境的なパラメータを、個人ごとに調整できるのが望ましい(ある人間は成功が約束されたものとして、そしてある人間は刑罰として苦しい人生を体験させる)

(7)アバターは、必ずしも人間のような存在である必要はなく、特別な能力をもった超人であったり、場合によっては、言葉を話すこともできないケモノや虫けらでも良い

(8)この世界での長期記憶を保ち、超人のようなアバターを持てれば、仮想世界において「神々」として振る舞い、人々を支配して楽しむことができる

(9)対象者は、この世界において必要最低限の生命維持装置を使って生かしておけば良く、コスト削減につながり、環境にも優しい

 

こうして挙げていくと、我々がいるこの世界も、上位の生命体によって作られたシミュレーション世界である可能性はあります。そういった世界がいくつもあって、その意味では多元宇宙というのはあり得るかもしれません。

 

死んだ後、もしかすると我々は高次の世界で目が覚めて、そこでの記憶を取り戻すことができるのかもしれません。しかしそこもまた、高次の生命体によって作られた仮想世界なのかもしれません。そして、その上の世界もまた…、と永遠に続くわけです。映画「インセプション」のようですね(笑)

旧約聖書の神を信じる人達の目的

旧約聖書の神を信じる人達にとっての、この世の目的を考えてみましょう。この世界に人がいる目的、それは実に簡潔に聖書のなかに記されています。

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記1:28)

 

混沌とした、この地上に秩序をもたらし、全てを征服し支配すること、それが人間が作られた目的なのです。旧約聖書の神は、秩序と正義の為なら、戦争や大量虐殺をも厭わない神です。

 

新約聖書に記されている「愛の神」とは大分イメージが違いますが、彼らにとってキリストは異端です。旧約で語られている長い歴史に比べて、キリストが活躍したのは、ほんの数年にすぎません。またキリストはユダヤ人の主流派からは否定され、結果、その教えは異邦人の宗教となりました。そして迫害を経てローマ帝国の国教となり、その後、世界中に広まっていきました。

 

旧約聖書の神を信奉する彼らからすると、地上を支配するという、人間に課せられた目的を果たしたあと、人間は呪いをとかれ、ようやく次のステージに行けるのです。そのとき、ノアの洪水以降、姿を見せなくなった神々が公に現れ、人間は新しい形態を与えられて、また次の新しいゲームが始まるのです。あるいは、この物理世界が映画「マトリックス」のような仮想世界のようなものだとしたら、人々は、この制約の多い世界を抜け出し、高次の世界でようやく目覚めることができるのかもしれません。

 

彼らにとって、かりそめに過ぎないこの世界での戦争や人命などは小さなものに過ぎません。それよりも、地上を支配するという目的を早く果たさなければならないのです。それを実現した人間はそれだけ多くの報酬を神々から得られます。もし、人間達が神の定めた目的にそむき、別な方向へと動きだした時は、「ノアの洪水」のような、大規模な自然災害による世界のリセットがもたらされるのです。世界中で頻繁に起こっている災害や艱難は、時間切れが近いことを、神々が人々に暗示しているのかもしれません。だから急がねばならないのです。

なぜ日本の大企業は凋落しているのか

このところ、日本の大企業が凋落の度合いを強めていっています。その理由を構成員の思考様式や組織の点から考えてみたいと思います。

 

日本の組織というのは、使い古された言葉ですが「縦社会」であり、表面上は厳格な階層組織となっています。この秩序を乱す者は悪であり、懲罰を受けます。秩序さえ守っていれば、間違っていようが、法律に触れようが問題なかったのです。

 

日本の一般的な社員に求められているのは、効率よく仕事ができることではなく、毎日、決まった時間に来て、上司の命令にすぐに反応できるよう長時間席に座っていることです。そして上の命令には、間違っていても従わなければなりません。

 

仮にあるプロジェクトが発足して、そのプロジェクトマネージャがどれほど頭がおかしくて、間違った命令を連発していたとしても、大人しく黙って従っていれば良いのです。それが賢明な社員というものです。ここで正義感に燃えたり、正論を振りかざして上の権威にたてつく人間は、どんなに仕事が出来ようが、排除され左遷されていきます。プロジェクトが成功するかどうかは重要ではないのです。仮に失敗してもそれはリーダーの責任なので、黙って従った社員は自分を守ることができます。

 

ただし、これは原則であって、失敗の責任を現場の担当者になすりつけて、詰め腹を切らせることがあります。また企業規模が小さくなるにつれて、こんなことは言ってられなくなります。失敗を見過ごしていたら、納品ができず、会社自体が倒産するかもしれないからです。ですから末端の下請け業者は真面目に、自分で考えて働きます。

 

日本では素人がアサインされて経営をやっていたり、責任あるリーダーの地位についていたりします。日本は「上に行けば行くほど、バカが出てくる」といいますが、それは当たり前なのです。専門的な教育を受けず、現場や末端で実際にどう動いているかをまったく把握していないような人間がその椅子に座っているからです。

 

戦後の経済成長では、アメリカの庇護のもと、大企業の「信用力」による無限とも言えるような資金調達力と、利潤を考慮しなくて良い市場拡大を第一と考える経営、安い労働力とアメリカの広大な市場に頼った、ほぼダンピングとも言える大量生産品の輸出攻勢によって、束の間の繁栄を得ることができました。大企業にまともな能力がなくても、末端の企業や作業員が安い賃金で必死で働いてきたおかげで、日本はかろうじて、まともな製品を作ることができました。もっとも、それはほとんどが高級品ではなく、大衆向けの安物コピーではありましたが。

 

しかしそういった時代は終わりました。企業は、銀行への返済の為、株主の利益の為に利潤を第一に考えなければなりません。当たり前です。日本の労働者の単価は安いとは言えなくなりました。人口減少で頭数も足りません。下請け企業は法的にも、経済的にも、社会的にも不安定な位置におかれ、まともなものを作る余裕はなくなりましたし、日本市場の縮小、オフショアや海外調達、海外進出で、仕事自体も減っています。大企業はコスト削減で生き延びても、スピーディで的確な企画力、経営統合力を欠いていますので海外勢に太刀打ちできません。

 

このように、個々人はもともと優秀でもなく、非効率な組織であった日本企業が、そのアドバンテージを失って凋落しているのは、当たり前なのです。

型通りの思考にはめられてしまっている日本人

こんな感じのツイートをよく見かけます。

「『お前が国難』とか言っているプロ市民の左翼が嫌い。 品位がなくてみっともない。日本人として恥ずかしい」

若年層の典型的な考えが表れています。

 

(1)上位の権威は「善」であり、「親」のようなものであるから、それに対しては恭順するべきだと刷り込まれている

(2)怒らないで平常心でいることが品位あることであり、人として「あるべき姿」だと思っている

(3)国の指導者に対して反意を示すものは、全て「左翼」であると勘違いしている

(4)「左翼」は口汚く、反日的で、秩序を乱す存在であり、さらに言動でもって直接、抗議の意を示す者は「過激派」であり、市民を装った「プロ市民」であると思っている

(5)本人は右翼とは思っていないが、真の日本人とは、愛国心のある「保守的」(笑)な人であると感じている

(6)世界中を訪問し、弁舌が巧みで、日々精力的に活動する指導者に対して親愛の情を抱いている

 

まず、右翼か左翼かという単純な二分思考は的外れであるだけでなく、国民をお互いに対立させてしまうという点で適切ではありませんが、指導者層にとってはまさに好都合です。さらに、これらのツイートを見ると、どこかで聞いたような型通りの「自動思考」と、浅はかな感情がセットになっており、うまく若年層にプロパガンダが浸透している事が分かります。

 

また自身の言葉を使って、自分の意志で考えているつもりでも、結果として旧来の思考の枠組みから離れられない人達もいます。それは、「こうすべきである」という信念が巧みに心に刷り込まれている事がひとつの原因です。

 

人はなぜ、外から与えられた現実的ではない信念や理想像を持ち続けてしまうのでしょうか。人間は遅かれ早かれ「真の自己」に向き合い、それを受容し、他人に対しても寛容になるしかありません。しかし、「こうあるべき」という「理想の自己」、「理想の社会」、「理想の政治」を刷り込まれてしまうと、それに向かって、進んで犠牲を払うべきだと思い込んでしまうのです。そういった幻想を抱いたまま、自分や、社会や、政治は、良い方向に変わっていく、それが人生だと勘違いしてしまうわけです。

 

また、所得が低く経験の浅い若年層だけでなく、比較的裕福なシニア層でも保守的な人(笑)は多いですが、彼らは株価が維持され、中国や韓国、北朝鮮に対して断固たる態度を見せている限り、これからも支持者であり続けるでしょう。要するに、彼らは自分の「カネ」と偏狭な「プライド」が守られれば良いのです。この国の未来は盤石であり希望が持てます(笑)

 

穀物や野菜ばかり食べて病気になる日本人

日本人はコメを主食と教えられ、ヘルシーだと言われて、穀物や野菜ばかり食べています。それでいて必須栄養素のタンパク質や脂質は慢性的に不足しています。必須ではない炭水化物をいくら食べても栄養失調状態は変わらないので、腹が減って、また米やパン、スナック、甘いお菓子などの糖質を摂ってしまう、そして太るのです。

 

人間は肉や魚を食するのが普通なのに、日本人は大量の雑穀や野菜に、醤油や味噌、煮干しや昆布、だし、味の素などの「うま味」のフレーバー(笑)を使って、自らを騙してきました。その結果、不妊になったり、体があちこち痛くなったり、腫瘍ができたり、脳がスカスカになって認知症になったりするのです。日本人は、安いまがい物で自らを誤魔化し続けてきた、その報いを受けているわけです。

 

クロケットはジャガイモのコロッケに、カットレットはトンカツになりました。日本のカレーライスは、ご飯に小麦粉をかけて食っているようなものです。リンゴ酒であったサイダーは、日本では、安い炭酸入り砂糖水となりました。ファーストフードであった鮨や、庶民料理の蒲焼きは、いつのまにか高級料理になってしまいました。極貧の人達の食べ物であった蕎麦がいまやそこそこの値段の食べ物になっています。

 

豆は、タンパク質が豊富と言われていますが、炭水化物もわりと多く含んでいます。小豆と砂糖で作った餡子などは最悪です。豆は世界的に見て貧しい人達の食べ物ですが、日本では広く食べられています。

 

日本という国は多少富んではいても、相変わらず民の食事は貧しいのです。ゴミのようなコンビニ弁当やカップ麺が蔓延し、OLなどは昼に、間違ったダイエット知識の為に、おにぎりにサラダなどのショボい食事をしています。

 

確かに日本のご飯やラーメンは口当たりが良く、美味しいので、好んでそればかり食べてしまうというのはあります。糖質は食べるとドーパミンが出るので、さらに欲しくなってしまうのです。炭水化物は嗜好品と考えるくらいが良いでしょう。貧乏な人ほど、本当は安い肉をもっと食べるべきなのです。とは言っても、抗生剤やホルモン剤、それにBSEも怖いから、現状のままで良いのかもしれませんね(笑)