kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

謎の「日本人」に拘る人達

一部の日本人は、定義のはっきりしない「日本人」にこだわります。「日本国籍を有する者」では、彼らは納得しないようです。

 

曖昧な伝説や神話、学説が入り混じって日本人の出自は不明です。父系の遺伝子は多様ですが、彼らは単一民族という「神話」に固執します。さらには、日本民族は世界で最も頭の良い人々であり、世界に躍り出てこれを救う使命を担っていると信じている人もいます。

 

日本人の外見を見ると、その多くは、近隣諸国の下層民に良く似ています。アジアの他の国は支配層と下層民の違いが割とはっきりしているように思えますが、日本人は概ね下層民の特徴を備えているようです。しかしそんな彼らは他のアジア人を露骨に差別するのです。

 

もしオリジナルの日本人に拘るならば、南北に追いやられている人々になるかもしれません。しかし大多数の日本人は彼らを見下し差別しています。すると彼らが言っている日本人とは、そのあと大陸から渡ってきた人達を指しているのでしょうか? そうは言っても、満州族なのか、大陸や半島から逃げてきた人達なのかも、よく分かりません。鎌倉幕府以来の名家の祖先と言われる秦氏ヘブライ系という説もありますし、ペルシャ系の人々も日本に渡ってきています。その昔は、ポリネシア系の人々も居たことでしょう。

 

拘りの強い彼ら自身に、理想の「日本人」の特徴を述べさせたりしたら面白いことになるでしょう。たぶん彼らは曖昧で精神的なものを挙げてくるはずです。「大和魂」だとか「忍耐強い」「礼儀正しい」「親切」「清潔好き」「手先が器用」等々です。「日本人ならこんな事はしない」と彼らは良く言いますが、「こんな事」とは彼らにとって都合の悪いことに他なりません。

 

第二次世界大戦前にベルリンを訪れた日本の使節団は、国家社会主義の仕組みを見て「素晴らしい、日本にも似たものがあれば良かった、しかし日本にはユダヤ人が居ないから不可能だ」と語ったそうです。現代の日本人は「在日」という呼び名を使ったり、憎むべき相手として近隣諸国の名前を出したりして、集団としての日本人をまとめようと必死です。

 

幸いにしてSNSの発達により、頭の不自由な人を見分けるのが容易になりました。 頭が不自由な人達とは、ニワトリのように翼を持っていても空を飛ぶ事が出来ず、地上で同じところをグルグル駆け巡ってその速さを競っている人々です。視野が異常に狭く、いつまで経っても同じ視点に拘り、自ら進歩する事が出来ないのです。

  

彼らは、「外国とは違い、単一民族で、高い教育を受けた分厚い中間層が居るから日本の技術は世界一だ」と未だに豪語しています。

宗主国に貢ぎ続け、その国の景気が回復し、さらにアジア情勢が不穏になれば、また日本にもカネが回りだし空前の好景気が訪れると思っています。

本当に信じているのか、あるいは信じたフリをすれば実現するとでも考えているのか、どちらにしても愚かな事に変わりありません。

  

高い結束力を誇っているかに見える日本人ですが、太平洋戦争末期には士官同士で乱闘になったり、「少佐以上を銃殺すべし」という暴言が飛び交ったりしました。

もし危機的状況において「あいつは~人だ!」という流言が出回ると「いや、お前こそ~人だ!」となって、簡単に争いや殺し合いを始めることでしょう。見掛けや中身はほとんど変わりないのですし、定義もはっきりしないのだから、当たり前です。

 

日本人ほど、お互いに疑心暗鬼に囚われ警戒心を抱きながらも、一見穏やかに、浅く表面的に付き合っている人々は居ないでしょう。彼らの間に信頼や信用といったものは存在しないのです。

 

"「徒党」というものは、はたから見ると、所謂「友情」によってつながり、十把(ぱ)一からげ、と言っては悪いが、応援団の拍手のごとく、まことに小気味よく歩調だか口調だかそろっているようだが、じつは、最も憎悪しているものは、その同じ「徒党」の中に居る人間なのである。"

"新しい徒党の形式、それは仲間同士、公然と裏切るところからはじまるかもしれない。友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い。"

太宰治「徒党について」