内閣府のプロジェクトでNTTが開発した「光計算機」、「量子ニューラルネットワーク」が、「世界初の常温量子コンピュータ」とプレスリリースされましたが、その命名に異論が出ていると報道されています。厚木通研のサイトでも担当研究員が、量子コンピュータの計算原理とは異なると書いているわけで、量子コンピュータと発表したのは意図的な誘導と言えます(しかもそれは国内向けだけで海外では量子コンピュータと発表はしていません。それなのに「日本は新しいものが受け入れられにくい(からこんな異論がでる)」という公式見解が微笑ましいです)。
さて、本当に実現できるかどうかも分からない巨大なプロジェクトというのは国にとって便利なものです。「万里の長城」しかり、「廃炉」しかり、「超伝導リニア」しかり、「量子コンピュータ」しかりです。巨額の資金をつぎ込む理由ができて関係者はうるおいます。多くの人々に目標を与えて働かせることができますし、報道を見る人々も国との一体感を持つことができます。
明治維新後の日本では天皇の下で一体となって「富国強兵」のスローガンを実現するために人々が働かされ、日本を短期間で近代化するのに成功しましたが、「八紘一宇」は失敗しました。
戦後、日本は「加工貿易の国」であると国民は刷り込まれ、日本は安物の大量生産品の輸出に邁進し、さらに密集したウサギ小屋に住み満員電車での通勤や軍隊のような生活を繰り返しながらも「一億総中流」、「日本は特別だ」と教え込まれて満足していました。世界第2位の経済大国と自称するまでになりましたが、あえなく叩き潰されました。
抑圧的な政権の下にある奴隷というのは「共同生活」と見せかけの「平等」によって、国が与える厳しい訓練と強制に耐えることができます。苦しいが皆等しく頑張っていると、周りの姿を見て不満を抑えるのです。これによって国民の統一と自己犠牲的な精神が持続するのです。
科学は途方もない夢を与えて、それが科学者によってもう少しで実現できるという幻想を与えられる点においては、宗教と良く似ており、狂信的な全体主義国家に必要な宗教的、神秘的、オカルト的要素のひとつとなります。戦後の神道を欠いた日本において科学というのは、国家プロジェクトのスローガンのネタ元として都合が良かったのです。権力と秩序と服従の維持を目的とする実務家によって高度に中央集権化された全体主義国家において創造性は枯渇するので、亜流しか生み出せませんが、国体維持の手段に過ぎないのでそれで良いのです。
ただ現在では二極化によって、国民が信じてきた「平等」という神話が崩れてきました。情報の拡散もあいまって国民の間に不満が渦巻き、スローガンの胡散臭さや、それにまつわる権力者の不正に敏感になっているのです。
そのために国と人々は、より強力な国家的目標、外敵を今まで以上に必要としています。権威に従順で自由の精神が根付いていない人々は、より独裁的な指導者、極右的思想、全体主義によって再び統一されることを願うものなのです。