アマゾンのプライム・ビデオでドラマ「フォールアウト」が公開されています。核戦争後の地球を舞台にした物語です。舞台設定は同名のゲームをもとにしています。
核シェルター「ヴォルト」の生き残りであるルーシー。不老不死のミュータント。脱走兵。彼らを軸にして物語が展開していきます。「フォールアウト」の世界は、どんな非道な事も許される「ユートピア」です。まるでタランティーノ監督作品のように十数分ごとにコミカルな残虐場面が現れます。
この世界では、善悪を自分で決めることができます。自分自身が神です。己の信条や価値観に従って、おのおのが正しいと思う事をするのです。「生き延びること」、それだけがたった一つのルールです。法と秩序が支配する社会からやって来た主人公ルーシーは、直ぐにこの掟を理解し見事に適応して行きます。
描かれる世界は、西部劇のようでもあり、また現代における新自由主義の世界のようでもあります。高邁な思想にもとづき、あるいは本能に従い、人々は殺し合います。自分の価値観を問われる世界です。ルーシーが「法が支配する世界」だと信じていた核シェルター「ヴォルト」でさえも、欺瞞と陰謀が渦巻く社会だったのです。
さて翻って今の日本はどうでしょうか。日本人は「生き残る」という根源的なルールさえ守ることができないのです。自分の命は他人の手に握られたままです。それも会ったこともないような人々の手にです。偉い人の言うことに従うだけ。周りの人間がやっている事を真似するだけ。戦略はそれだけです。何の信念もルールも心の内に持っていません。
もちろん人間の多くは弱者です。誰かの庇護を受けなければなりません。強者はヴィジョンを示して人々を導かなければなりません。ところが日本には弱者しかいないのです。しかも自分が強者の側だと勘違いしている情けない弱者なのです。身の回りの人間の利益だけを考えているような人物では話になりません。
日本人にとっては、このドラマで描かれた世界はディストピアにしか見えないでしょう。しかし現代の人間といえども、混沌とした野蛮な世界を生き残ってきた存在に他なりません。それなしには現在の法と秩序も成り立たなかったのです。破壊とカオスがあって、初めて真の創造が可能となるのです。