人間が理性的存在であるためには、長期記憶の存在が必要不可欠です。記憶があるから自分が何者であるかが自覚でき、客観的に自省し、未来の計画を立てて実行に移すことができるのです。
この長期記憶が何処に保存されているのかは、はっきりと分かっていません。海馬を損傷すると新たな長期記憶が不可能になることは知られていますが、脳の他の部分を切除したら、長期記憶の一部分がごっそり消えたり、曖昧になるという訳ではないのです。
さて魂が不滅だという前提で、長期記憶もまた不滅であるかどうかによって、肉体が再生した場合の我々の状態はまったく異なってきます。
(1)長期記憶が肉体と一緒に滅んでしまうものならば、魂は継続しても自分のアイデンティティを失ってしまいます。その場合、もし次の肉体を与えられても、前世の記憶を持たない輪廻転生ということになります。
(2)長期記憶が魂と同じように肉体とは別の世界に存在するならば、次の肉体を与えられた場合、自身の継続性についての認識があり、それは復活ということになります。
もし(1)が正しいとすると、我々は死ぬたびに、前世の記憶が無いだけで、別の生命に生まれ変わるという事を繰り返しているのかもしれません。次は人間とは限らず、来世はミミズやムシケラかもしれません(笑) この場合、物理世界をつかさどる上位の生命体によって、言わば、魂が都合よく使い回されているという事になります。下位の生命体の方が圧倒的に数が多いので、今この時点、我々が人間として生まれたことは非常に幸運なことと言えるでしょう。自暴自棄に生きたり、自殺してしまうのはもったいないことです。
もし(2)が正しいのであれば、復活というのがいずれありそうですが、そもそも物理世界が構築されて、今に至るまで大量の魂が無駄に払いだされているのは何故か、いつまで経っても復活の見込みが無いのは何故か、という疑問が湧いてきます。
上位の生命体の性質が「善」であるならば、救いの希望がある(2)が、正しいと言えそうです。そして長期記憶は物理的な脳に存在するのではなく、まったく別の世界にあるということになります。