権力にしがみつくサイコパスへの対処

権力を握ってしまったサイコパスをその地位から降ろすのは至難の業です。開き直ったサイコパスはダイヤモンドのように傷つかず(笑)、ある意味最強です。人並みはずれた無神経さ、情のなさ、そして周りを外敵か、利用し尽くす対象としてしか見ていない人間は厄介なものです。といっても方法が無いわけではありません。

 

まず、相手の感情をコントロールしたいというのが主な動機になっているので、無意味に相手を怒らせてしまうような一見愚かなこともします。そうした失敗を狙っていくのが手です。相手の感情を意識しないと読めないので、そういった点では馬鹿と言えます。

 

サイコパスとの付き合いは困難ですが、互いに利用しあうという点で利害を一致させることはできます。表面上、仲よくなった後に、耳元でささやいて洗脳することもできます。ただし少しでも、支配されていると感じると直ちに反発するので注意が必要です。影響を与えることは可能だが、権力という形では行使できないのです。

 

サイコパスは現在のところ病気ではありませんし、それだけで犯罪者になるわけでもありません。しかし強制的に行動を左右することは困難ですし、自発的に正常な人間に変わることはさらに絶望的です。もし本当に問題ばかり起こし、地位を利用して多くの人間に害を与えているサイコパスがいるのならば、合法的に薬漬けにしてでも隔離しておくしかないでしょう。

丈夫な兵士を産む女性の選び方

これからの日本、偉大なる指導者様(笑)のもと、国防のために、あるいは傭兵となって、世界各地で活躍できる兵隊が必要となってきます。その為には屈強な兵士となるような子供を沢山、作ってもらわなければいけません。

 

丈夫な子供ができるように、若い男性には適切な女性を選んでもらう必要があるので、為政者が望むであろう、その条件を考えてみます。今回の場合、前提となる「男性が必要とする女性の機能要件」は以下の通りとします。

(1)子供を産む機械

(2)男性の身の回りの世話をする召使、奴隷

(3)公的な場における男性にとってのアクセサリー

(4)男性にとっての癒し

(5)肉欲、性愛の対象

(6)社会的結婚制度の相手

(7)男性の自己満足の対象(相手の夢をかなえてあげるなど)

 

これらを全て満たすのは難しいのですが、優秀な兵士となる子供を産み、育てるには、(1)と(2)の要件を満たしていれば大丈夫です。

 

それを踏まえて、ふさわしい女性の条件を考えてみます。優れた男性の遺伝的特性はそのまま息子に受け継がれていきますが、基本的な肉体的、精神的体質は女性のそれを受け継ぎます。

 

ですので肉体的にも精神的にも健康な女性を選ぶことが第一条件です。痩せているよりも、ふくよかで大柄な女性の方がいいでしょう。また大き目の骨盤を備えていたほうが出産時のリスクを減らすことができます。容姿は兵士には関係ないのでどうでもよいのです。

 

さらに子供が生まれたら、模範的な日本男児となるべく息子に尽くすような献身的な特質を持つ女性である事が第二条件です。軍事教練で忙しい夫や息子を支え、彼らを戦地に送り出した後は、軍需工場において無給で働き、地域における防火訓練や竹槍訓練(笑)にいそしまなければなりません。

 

このように肉体的にも精神的にもたくましく健康的で献身的な女性が、軍政にとって望ましい女性です。それ以外は彼らにとって重要ではないのです。

「やらない善よりやる偽善」というウソ

 誰が言い出したのか、「やらない善よりやる偽善」という言葉があります。311の時には、多くの人たちが軽い気持ちで、この言葉に同調して寄付をしました。本当に、何もしないより、偽善を行ったほうが良いのでしょうか。「やる偽善」の問題点をいくつか挙げてみます。

 

(1)善悪の区別のつかない人たちが、善、偽善を語っている

善悪など誰にも分かりません、例えば日本人が善意で買うチョコレートのおかげで西アフリカの子供たちが大勢苦しんでいるのかもしれないのです。偽善となるとさらに区別がつきません。つまり何だか分からない行為を、ただ言われるがままにやっているということになります。ですから、この手のスローガンに納得してしまう人は、誰かが「これは偽善だがやるべきだ!」と言えば、盲目的にそれに従ってしまう人です。

 

(2)偽善行為で潤うのは、悪である

この世は悪(偽善)が土台となっています。誰が言い出したか分からない、しかしおそらく権力に都合の良い、このスローガンに従うことは、悪を利することになるでしょう。実際に311で寄付された膨大なおカネは、ほとんど被害者には渡らずに、行政、電力会社やゼネコン、怪しい業者の懐に入っていきました。多くの被害者は未だに惨めな暮らしをしています。どうしたのでしょう。「やる偽善で、この人たちを救うべきだ」という声は聞かれませんね(笑)

 

(3)信念ではなく、「やる偽善」という軽い気持ちで行う、その無責任さ

その行為が「善か悪か」と言われると、人は躊躇するものです。「善」は照れ臭いし、「悪」は嫌です。しかし「やる偽善」と言われると、まったく軽い気持ちで行うことができます。というのも自分で判断しなくても良いからです。ただ言われた事に従っていれば良いと、感じてしまうのです。ここに、このスローガンの悪辣さを見ることができます。

 

(4)自分で考えずに言われたことを集団でやるという、その気味の悪さ

ドイツ陸軍の軍人、ハンス・フォン・ゼークトは、軍人を「勤勉で頭の良い者」、「怠け者で頭の良い者」、「怠け者で頭の悪い者」、「勤勉で頭の悪い者」に分け、「勤勉で頭の悪い者」は「銃殺にすべきだ」と述べていますが、「やらない善よりやる偽善」とは、まさに「勤勉で頭の悪い者」を地で行く行為です。自分の頭で考えずに、他人に踊らされるまま集団で同じ行動を繰り返す、しかもそれを良いことだと思っている。オリンピックで日本選手が皆、瓦礫バッジを付けて歩いていたという世界の常識では考えられないエピソードを思い出します。

 

この世は偽善が支配する世界です。気力、体力のある者から搾り取り、病気になったり弱ったりしたら、治療をしてまた搾り取る。その現実を巧妙に隠すために各種のプロパガンダがあります。広告代理店や経済新聞は、現代の大本営です。彼らの掲げるスローガンを真に受けて、日本人は皆で大合唱をしています。「日本は凄い」、「世界に誇る日本文化」、「日本は四季があって素晴らしい」、「日本は平和な国」と。まあ、それで皆が幸せな気持ちになるなら良いのでしょう。