kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

捕まらなければ何をしても良い時代となった日本

多くの人々は、我々が住んでいる世界は、多かれ少なかれ公正な法則によってつかさどられていると無意識のうちに信じています。宗教の有無にかかわらずです。

これを心理学で「公正世界仮説」と呼んでいます。良いことすれば良いことが返ってくる、悪いことをすればいずれ罰せられると人々は思い込んでいるらしいということです。

 

多くの宗教的概念はこれを補強し、人々に安定をもたらすために人間が自ら作り出したものです。因果応報とか、輪廻転生とかカルマとか、天国とか、悪いことが起きるのは自分のせいであり、良いことをすれば例えこの世界で結果が返ってこなくても、次の世界では良いことがあると教えるのです。

これによって人々はこの世の不正や不当な扱いにある程度耐えることができます。己の信念をつらぬいて死を選ぶことさえあります。

 

このように無垢な人々に「世界は公正である」と信じ込ませることは社会の安定とって非常に大切なことです。真に平等で公正な社会などは作れませんが、少なくとも正義が機能しているという幻想は人々に見せなければいけません。

そうしなければ、知識や力がある程度行き渡った社会では人々が暴動を起こしたり時には革命に至ってしまうのです。

 

ところが現代において為政者が社会の公正という幻想を民衆に見せることを怠った場合にどうなるか、それが今の日本で起きていることです。

為政者側の人間であれば都合の悪い人間を消したり、拘置所送りにしたり、スキャンダルを起こして社会的生命を奪ったり、詐欺によって国民のカネを騙し取ったり、強姦しても許されるのです。それだけでなく出世が約束されたり富が増し加えられますます栄えるのです。

 

世界が公正であると皆が信じ込んでいる中で、一部の人間が好き放題のことをすれば一時的に利益を得ることができます。しかし長期的には社会の安定を損なうので通常はそれをただす仕組みが存在します。

 

しかし今の日本は「世界は公正ではなく、やったもの勝ちだ」、「捕まらなければ何をしてもいい」、「弱いものや貧乏人からカネをむしりとるのが効率的なやり方だ」という事に多くの人が気がついて、上から下まで詐欺師が蔓延している状態です。

 

日本が普通と違うのは、このようにいくら虐げられられても民衆は何も声を上げないことです。それどころか「騙された奴、貧乏になった奴が悪い、自己責任だ」と自分より弱いものを皆でよってたかって攻撃する始末です。

他の社会では暴動が起こるような状況でも日本人はじっと耐え忍びます。何か宗教を信じているのでも何らかの希望があるのでも無いのに、こうした行動をとるのは非常に興味深いことです。

上意下達で下の者を徹底的に虐げるシステムが効果的に作動していること、同調圧力や洗脳により考えることを放棄してしまっていること、解決策を考えようとしても想像力と思考力が足りないが為に彼らはひたする我慢することしかできないのかもしれまんせん。

 

利益をむさぼる者にとって民衆が黙って耐えてくれるというのは有難いものです。統治する側にとっても非常に楽で凡庸な為政者や役人でも仕事が務まるゆえんです。

この国はいかに愚民どもからカネや労力をむしりとり、そのカネにいかに皆でたかるかという事で成り立っている国です。

争奪戦に乗り遅れないように皆が夢中になっています。国は貧しくなってもいい暮らしを続けていくことができるわけです。彼らは良い国に生まれたことに感謝しなければなりませんね。

弱いものいじめが大好きな日本人、卑怯な人間とならないために

日本人はことのほか、自分より弱い立場の人間をいじめたり、攻撃したりするのが好きな人達です。そんなことはない、日本人は障害者を大切に扱っているという人もいるかもしれません。しかしそれは彼らが国から「障害者」と認定されているからです。

一番立場が弱いのは、何のお墨付きももらっていない弱者です。彼らはとことん攻撃され、周りもそれを当然というようにみなします。だからこの国では「~マーク」や「~ステッカー」などがやたらと存在し、その後光効果がないと弱者はなんの保護も得られないのです。

基本的に日本人には自発的に弱者を助けようという気持ちがありません。周囲の目があり恥知らずと思われたくない時にだけ見ず知らずの弱者を心配するようなふりをします。

 

「障害者」と国から認定されていない程度の障害者、心身の能力に限りがある人達、働けなくなったシニア層やお年寄り、貧困者などは、ひっそりと身を隠して生きています。表に出ればあざ笑われ、邪険に扱われるのをよく分かっているからです。

匿名掲示板などを覗いてみると、弱者への執拗な攻撃など、この国の人々の心の歪みを観察することができます。

これから職を失い、あるいは働けなくなっても年金は貰えず医療も十分に受けられないまま心身の衰えに直面する大勢の孤独な日本人にとって、この国は地獄でしょう。

 

昨今の貧困化によって日本人はこのように傲慢で弱いものイジメをするようになったのでしょうか。いいえ、日本経済が絶頂の頃は誰もが威張り散らし、バイトでさえも客を見下していたのです。

それでは戦後教育によってでしょうか。それも違うでしょう。昔から日本人は社会階層の下のものを差別しいじめることで社会の安定をはかってきた国です。それは為政者がそう仕向けたというのもありますが、何よりもそれが日本人の本性に根ざしたものだったからです。

この体質は国全体から小さな共同体レベルまで、あらゆるところに染みこんでいます。例えこの国が総貧困化したとしても、個々の日本人は必ず自分より弱いものを見つけ出してはいじめ抜きます。昔からそうやって生きてきた人々なのです。

 

日本では自分より上の者に反抗することは大罪ですから、抑圧された鬱憤が弱いものへの攻撃となっている可能性もありますが、彼らは子供の頃からイジメを心から楽しんで行っており積極的です。どこか遺伝的な脳の欠陥があってこのような病的な精神を宿しているのかもしれません。

日本の親が子供に言う「そんなことをしたら笑われますよ」という教えも、「笑われるようなみっともない奴は皆で笑っていい」という意味が裏に秘められています。

 

要するに日本人の多くは環境がどのように変わろうと、この体質を変えられないのです。上の2割が仮に消えても、また新たな2割が台頭してきてろくでもない事をし始める国です。

もし日本が望んでいたように仮にアジアの盟主、世界の盟主となっていたとしたら、どんな悲惨なことになっていたかちょっと考えただけでも分かります。

やはり日本人は、世界が考えているように滅んでしまったほうが良いのかもしれません。あるいは移民を受け入れて、その悪しき血を多少なりとも綺麗にしたほうがいいのかもしれませんね。

 

日本文化などこれっぽっちも大切に考えていない国、だから新しいものは誰にも頼らずに作るべき

日本文化とよく言いますが、果たして日本文化とは何でしょうか。日本というのはその時の流行を節操なく取り入れてきた国です。常に何かの物まね、猿真似です。何かが流行れば、それまでの流行はすたれ、破壊され、新しいものが席巻して古いものは省みられません。

 

連綿と過去から受け継がれてこそ、その国の民族の文化と言えるのですが、この国は、文化などまったく大切に扱ってないように感じます。

西洋におけるギリシャ、ローマ文明への憧憬、そして受け継がれてきた学問、芸術に対する敬意、教育に対応するようなものがあるでしょうか。

 

海外のイベントでよくあるように太鼓をドンドコ鳴らしたり、琴をポロポロ鳴らしてお茶を飲んだりするのが日本文化なのでしょうか。あんなものを披露する時点で、日本文化と胸を張れるものが無いこと、そして文化への軽視と、こんなもので外人は喜ぶだろうという浅はかな考えが垣間見えます。

 

あるいは世界中で人気(笑)の日本のアニメやゲームなどでしょうか。ほとんどは低予算で作られた酷い代物で芸術性は無いと思います。ただし、サブカルでマイナーであればあるほど、他の日本由来のものにはない独創性が見られます。しかしメジャーになろうとすると低賃金で酷使され結果的に低い完成度になってしまうのです。

 

日本のような法律を駆使して権力を行使する実務家たちが支配し民が抑圧されている国では、創造性は途絶え、模倣性が主たるものになります。共同体の維持に効果的な方法のみが節操なく外部から取り入れられるからです。そうった国では宗教的、迷信的なまやかしと軍隊的な性質が常に見られるようになります。

 

そのような国の奴隷達は、彼らが優秀で慈悲深いと信じ崇拝している役人の号令やスローガンに合わせて、一斉に右を向いたり左を向いたりしているのです。案外、役人が作った素晴らしく効果的な法律や作文が現代を代表する日本文化なのかもしれませんね(笑)。

ロケット打ち上げが唯一の救いという惨めな状態を防ぐために

小型ロケットの打ち上げに成功したと大喜びの日本ですが、最近では日本が国家的事業として何とか国民に喧伝できるもののひとつが、宇宙ロケットの打ち上げです。

 

ロケットの打ち上げなんて、今や最先端のハイテクでも何でもなく、パキスタンだって、ウクライナだって、北朝鮮だって打ち上げられます。

 

新興国の衛星打ち上げに提供するとのことですが、莫大なコストをかけて、新興国がお客様の「小型ロケット運送業」をやる先進国があるのでしょうか。本音としてミサイル打ち上げシステム受注につなげたいのは分かるのですが…。

 

当然ながらロケットは、中距離弾道ミサイルや大陸間弾道弾ミサイルの開発技術を磨くのが主目的で、おまけで衛星の打ち上げや、宇宙開発事業などがあるわけです。兵器開発がコスト度外視なのは結構ですがミサイルが雌雄を決する時代だとは思えません。下手すると持っていることが原因で叩き潰されたりします。

 

夢が大切という考えもありますが、どっかの小惑星からゴミクズを拾ってきて、それで宇宙の謎が解けるとか、宇宙のロマンだとか、そんなお遊びに膨大な国富をかけてどうするのかという話です。カネがあるならいざ知らず、日本はもはや貧乏国なのです。地上で飢えている人がいるのに星空ばかり見上げている場合ではありません。

大学の研究費が削られるなか、宇宙事業に膨大な予算をつぎ込む目的はあきらかです。

 

国威高揚のために小型ロケット打ち上げを朝のニュースで中継し、花火でも見たように喜ぶとか、この国はもはや北朝鮮とあまり変わりません。どうせならICBMの打ち上げにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。そうすれば北朝鮮やインドとも肩を並べられて、国民も歓喜するでしょう。いつの日か核ミサイル様が日本を救ってくれると信じて。

人気YouTuberは日本の何を嗤ったのか、そこから学べるもの

YouTubeが処分を発表した例のユーチューバーですが、彼はなぜ日本を嗤(わら)ったのでしょうか。もちろん彼のやっていることに対して怒り非難し行動を起こすのはいいのですが、嘲笑するにはそれなりの理由があったはずです。動画が削除されても、そう感じた人々がいたという事実は無くなりません。理由を考えることによって逆に我々が学べることもあるでしょう。

 

事の発端は、青木ヶ原樹海で自殺体を見つけて笑って冗談を言っている動画でした。これを冷静に振り返ってみましょう。世界でもっとも有名な自殺の場所として知られる「青木ヶ原樹海」というのがあって、そこに行ってみたところ、案の定、首吊り死体が見つかったといものです。

 

自殺で有名な国に、世界的な自殺の名所があって、そこに行くと首吊り死体がぶらさがっている。これがどんなに異常なことか考えてみてください。日本人なら樹海を知っているのは当たり前ですが、世界的にも1、2位を争う程有名な自殺の名所だということを知らない人は多いかもしれません。

 

さらに世界の自殺の名所は、大抵、滝や断崖絶壁、巨大な橋で、素人が簡単に投身した遺体を見つけられるものではありませんが、樹海は中に入って根気よく探せば、死体がぶらさがっていたり、転がっていたりします。いくら自殺が多いとはいえ、遺体がそのままになっているというのも異常ではないでしょうか。

 

自殺が多いということが分かっているのに、行政は何の対策もせず、惨めな死体がブラブラ吊るされたまま、回収されるということもない。ボランティアが積極的に何かしたり弔うこともない。遺族が探しに来るということもない、このような人間の尊厳に対する軽視や無関心が具現化されている場所が「樹海」なのです。

もとより人権軽視の国なので勝手に死んだ者などどうでも良いということでしょうか。電車が雪の中長時間止まっていても、何の対策も考えられなければ、中で苦しんでいる人達に対しても何も感じない、それと共通するような日本人の動きの悪さと冷たさを感じます。

 

要するに、(1)樹海が観光名所となっている、(2)日本人はすぐに死にたがる、あるいはそういった異常な環境に住んでいる、(3)自殺体がごろごろしていて、日本人はそれを気にもしていない、それが真実がどうかはともかくとして、そういった人間を軽視するおかしな日本人というイメージを嘲笑っていたのです。観光立国を目指す日本ですが、皮肉にも「樹海」が日本らしい観光名所のひとつとなっていたわけです。