kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

小さい頃からウソをつくことを教えられる日本人

ルース・ベネディクトの「菊と刀」に、こんなエピソードが載っています。日本人は自分の子供が悪さをすると、「あなたはウチの子じゃありません」と言って脅すというのです。今でもこんな事をしているのか分かりませんが、昔は似たような話はよくありました。

 

また、小学校低学年の道徳で、「物を大切にしましょう」というのを伝えるのに、モノを使っている間は、そのモノは「生きている」が、捨ててしまうと、それは「死んでしまう」のだと教えていたことがあります。こういうアニミズム的考えが、「兵士の命よりも三八式歩兵銃が大切だ」等の偶像崇拝につながっていくのです。

 

小学校の頃に、「日本人のなりたち」を書いた子供向けの図鑑に、日本人の顔は左右非対称だが、非対称の方が魅力があるのです、と書かれていたのには子供心にも驚きました。そんなわけがないでしょう(笑)

 

また日本は「四季がはっきりとしていて美しい国です」というのも、よく言われてきた欺瞞、誤誘導です。日本は夏は蒸し暑く、冬は乾いて芯から冷える、気候変動の激しい、酷い環境の国です。ハワイのように適度な湿度で一年中暖かい場所のほうが、若さを保ち長生きできるというのは常識です。しかし日本に限らず、為政者にとっては厳しい環境に留めておいたほうが、人々を働かせやすいのです。

 

他にも日本では、「日本人の腸は長いから」肉は合わないだとか、「日本人は農耕民族だから」協調性を大事にし、決定が遅いのは仕方がないとか、「日本人は勤勉で優秀だ」など、いくらでもこのような嘘の例があります。

 

日本が、このようなウソで満ち満ちているのは、古来より、この最果ての島国から人々が逃げないように繋ぎ止め、奴隷として使役する為の洗脳でした。

 

日本人は子供っぽい非論理的なウソをつかれることに、子供のころから慣らされてしまっており、馬鹿馬鹿しい単純なウソと明らかな真実との見分けがつかなくなっています。考えようとしないのです。

 

また「嘘も方便」とばかり、自らウソをつくことにも抵抗がありません。自分の周り全ての人を表面上満足させようとすると、どうしても何処かでウソをつかざるを得ません。日本ではそれでよしとされるのです。

 

このように日本人は偽りや偽証に対する罪の意識が無さすぎで、キリスト教国から見るとウソばかりつく、信用ならない人々に見えるのです。

ベートーヴェンの隠れた傑作、弦楽五重奏(作品137)

ベートーヴェンが1817年に書いた、「弦楽五重奏のためのフーガ」(Op.137)は、2分少々の小品ながらも味わい深い傑作です。

 

交響曲第8番」(1811年)と「交響曲第9番」(1824年)の間、そして「弦楽四重奏曲第11番(セリオーソ)」(1810年)と「弦楽四重奏曲第12番」(1825年)の間の、長い空白期間のちょうど中間あたりに作曲された曲です。

 

この作品は珍しく、弦楽器による五重奏で演奏されます。(1)第一ヴァイオリン、(2)第二ヴァイオリン、(3)第一ヴィオラ、(4)第二ヴィオラ、(5)チェロという構成です。

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曲は、短いながらもソナタ形式になっています。まずは典型的なフーガから始まります(0:06から)。(1)-(2)-(3)-(4)-(5)と5つの楽器で機械的な第一の主題が演奏されたあと、また第一の主題が繰り返されると思いきや、嘆きのような下降する短い第二の主題が、(1)-(2)-(3)の順で演奏されます(0:38から)。

 

そのあと、(1)-(5)-(4)で第一主題を思わせるような音型に続いて、曲は自然に無理なく展開部に入り(1:11から)、(1)、(2)の高音域パートと、(4)+(5)の低音域パートの間でフーガのかけ合いが行われます。

 

再現部では(1:41から)、第一主題が、最初よりもさらに高い音域で演奏されて、ドラマチックな感じを与えます。これが(1)-(2)-(3)-(4)-(4)+(5)と短い時間で弾き継がれた後、突然、全ての楽器がff(フォルティシモ「非常に強く」)で鳴り、ヴァイオリンが第一主題をもとにした、強い叫びを思わせる旋律を奏でます(1:56から)。

 

そしてすぐに終結部に移り(2:02から)、第一主題と第二主題、そして第一主題の断片が演奏されて、あきらめを感じさせるように静かに曲を終わります。短くても心を動かされるような劇的な構成になっています。

 

自由で複雑な形式、そして陰鬱さを加えていった後期作品群の先駆けとなるような、小品ながら構成感があり、劇的で強い感情も表現されている、後期ベートーヴェンの魅力が凝縮されたような作品です。

ベートーヴェンの英雄に見る心地よい革新性

 言わずと知れた交響曲第3番「英雄」は、ベートーヴェンの書いた交響曲のなかでも最高の傑作です。一片の和音から発展させた壮大な第一楽章、軽妙なスケルッツオ、得意の変奏曲による最終楽章、いかにもベートーヴェンらしい魅力に溢れた曲です。

 

特に第一楽章ですが、提示部はE♭の和音の連打から始まり、また和音の執拗な連打で終わるという強烈な違和感(革新性)を感じさせながらも、楽章全体に統一感があり、しかも心地よいのです。

 

変ホ長調のドミソの主和音ですから、気持ちよく響くのは当たり前ですが、そればかりだと当然飽きてしまいます。和音の連打の後に現れる主題も、和音の構成音で出来ていて、全体を通してはっきりとしたメロディーのようなものもありません。しかしベートーヴェンはこれを延々といじくり回していながら、飽きさせないのです。

 

これを聴くとまるで、このまま永遠に、いつまでもこの音楽を続けることが出来るのではないかと思えてきます。そして気持ちよさのあまり、この調子でいつまでも続いて欲しいとさえ思ってしまうのです。何度繰り返し聴いても退屈しません。むしろ聴くたびによく出来ていると感心します。さらに、これほどの曲なのに、書き手の余裕さえも感じられるのです。

 

マクロで見るとソナタ形式ですが、展開部はもちろん、終結部まで主題をいじったものが繰り返し現れ、まるでロンド形式か変奏曲形式のようにも感じられてしまう、しかし飽きさせない。そして心地よい。ベートーヴェンの見事な手腕による傑作です。

www.youtube.com(最初の提示部は 0:31、2回目の提示部が 3:52、展開部は 7:08、再現部が 13:07、終結部は 16:43からです)

 

ミサイルくるくる詐欺にあわてふためく人々

このところ人々は、「ミサイル来る来る詐欺」にすっかりやられている感があります。絶妙のタイミングを見計らって発射されるミサイル。トランプが動こうが、米国の艦隊が動こうが、ローマ法王が動こうが、これは大掛かりな芝居、茶番です。

 

「大変だ」というプロパガンダが行われているときは安全であり、「直ちに影響はない」と言われているときは、逆に危険な状況なのです。

 

それなのに、いちいち地下鉄を止めたり、公的機関のサイトを見てミサイルが来たらどうすれば良いのか教えを乞うたり、愚かしいかぎりです。そもそも地下鉄を止めたり、その場で地面に這いつくばってじっとしていて安全な訳がないでしょう。対処の仕方を知りたければ、海兵隊のマニュアルやスイスの民間防衛マニュアルのほうがまだましです。

 

東京にミサイルが着弾することは、まずありえません。ただこの先、日本海側あたりの地方都市で自作自演の着弾騒ぎがあるかもしれません。しかしたぶん弾頭は抜かれています。報道ではサリンガスが搭載されていたが、無力化されたというでしょう。

 

信じられないと思います。信じない方が良いです。政府のいう事を信じるべきです。良識ある国民としてそれに従ってください。どうなろうと知ったことではありませんが、こちらに迷惑をかけないようにしてもらいたい、というのが正直な気持ちです(笑)

日本を「ならずもの国家」にするという可能性

中国と米国の調整の結果によっては、日本を次の「ならず者国家」にするという可能性があるかもしれません。

 

その時、米国は日本を放棄してグアムまで米軍を撤退させ、朝鮮半島は統一されて事実上、中国のものとなることにより、日本はユーラシア大陸と、海洋国家である米国との緩衝地帯になるのです。

 

日本は太平洋戦争後、米国の庇護のもとに人口は増大し、経済もブロイラーのように肥え太らされましたが、バブル崩壊後は継続した搾取の対象となっています。

 

この後、搾り取りつくされ人口も激減した日本に、米軍が留まる理由はあるのでしょうか。在日米軍は日本政府の国家予算によって、ほぼ運営されています。そのカネも払えないような貧乏国家になった日本に、これ以上魅力はないでしょう。

 

もはや先進国とは言えず、発展途上国並みとなった日本は、アフガニスタンイラクのように、戦争による破壊と復興を繰り返すという、焼畑にするのが最もふさわしいのかもしれません。

 

そのためには頭のおかしい独裁者が君臨する極右政権と、それを支持する好戦的な国民がいればいいのです。

 

独裁政権を時々叩くもよし、中国と米国との表面上の紛争地帯としてもよいでしょう。双方とも儲かりますし、いろいろな地形や気候の存在する日本は、新兵器や戦術研究の実験場としても最適です。

 

ますます右寄りになる政権や、軍事国家へと邁進する日本を、あたかも容認しているような米国ですが、このようなシナリオも選択肢のひとつとして検討しているでしょう。