kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本人は考える事が出来ないから心を病んだり自殺したりする

人間は身の回りで起こる出来事の矛盾や、無意識から来る葛藤を解決しながら生きていかなければなりません。これらを適切に解決しないで無意識へと抑圧したりすると、異常行動や身体症状となって表面に現れるのです。

日本人はこの正常な「解決」手段が苦手な人々です。上の人の言う通りに動く事はできますが、自分で考えて解決する事が苦手な人達です。その代りに例えば、無かったことにしようという「原始的否認」や、考えないで無意識に押し込む「抑圧」がよく使われます。その結果心に異常を感じても、外に発散する勇気はないので、最後には自殺しかないのです。

日本の年間自殺者数が3万人というのは大きい数字です。年間生まれてくる世代は100万くらいですから、3%以上です。有意です(笑) しかもこれは警察が自殺と認定した数なので、事故死や行方不明に分類されている人々を加えると10万人という話もあながち嘘ではないかもしれません。

戦場での軍人の死亡率は普通、3%もありません。湾岸戦争での米軍の死亡率は0.1%を切っています。日本がどれほど異常な国かわかるでしょうか。ただし命を粗末にする日本軍だけは別で30%くらいが日露戦争でも太平洋戦争でも死んでいます(笑)

日本人は長い歴史の中で命を粗末に扱われ淘汰されていった結果、不安遺伝子と呼ばれるSSタイプを持つ人間が多く生き残ってきた国です。特にバイタリティーに溢れた戦国時代を経た後の徳川260年の平和統治(笑)によって、大胆な考えをする人間達が子孫を残せなかったのは想像に難くありません。

こうしてみると、若者にとっては日本の社会にいて自殺してしまうよりも、外国の戦場に駆けつける方が、健康的で死ぬ確率も少ないのかもしれません(笑)

未熟な日本人は洗脳されやすく、簡単に思考停止する

マッカーサーが称したように、日本人は未熟な子供のような精神状態を持った人間です。人の話をよく聞き、静かであまり喋らないので、大人びて賢いのかと思いきや、実はただの馬鹿なのです。

以前にも述べたように、日本人は都合の悪いことが起こった時に原始的な防衛機制をよく使います。

福岡で道路が広範囲に陥没するという、後進国並みの情けないインフラ事故が起こっても、すぐに「死人が出なかったのは素晴らしい、さすが日本だ」だとか、「復旧の速さに世界が驚いている」、「復旧後の強度は30倍だ」とかいう、おかしなツイートでネットが溢れかえりました。

東北で地震が起きて、震度5程度で簡単に原発故障が起きても、すぐに「このくらいの電源喪失は問題ない。こんな事でデマを煽っている奴がいる!」というようなツイートが、またまたネットを席巻しました。

仕掛け人のみならず、拡散している日本人どもが本当にそう信じているのだから救いようがありません。自分にとって不都合な客観的事実を何としても無視するのは、「原始的否認」という行為です。否定するだけでなく、それを言った人間を過度に攻撃するのは「原始的投影」という幼稚な行為です。何か起こった時に何も自分で考えられずに、上が言う事を鵜呑みにしてしまうのは「退行」という現象です。

もっともこういう頭の悪い幼稚な人間が日本には多いから、商売で儲けられる訳で、そういった意味では悪くはないのです。連中はケツの毛までむしられても、何をされているか最後まで気が付かないでしょう。

クルマを運転する事は高コストでハイリスクな行為となる

クルマを運転するというのは当たり前ですが、今でもかなりの危険を伴う行為です。しかしこれから状況はさらに悪くなっていきます。理由を挙げてみます。

(1)クルマが非常に複雑なシステムと化しており、長く乗れるものでは無くなっている。中古で乗るというのはかなり危険であると同時に維持費がかさむものとなる。クルマは新車で買って数年で手放すものである。

(2)一部の保険会社を除いて、あれこれ理由をつけて保険金の支払いを渋るケースが多くなっている。

(3)さまざまなハイテク事故防止システムがオプションで搭載されるようになる。これが無い場合、保険でペナルティを課せられる場合がある。

(4)自動運転技術が普及する。手動で運転して事故を起こした場合、保険によって厳しいペナルティが課せられる。

(5)貧乏人が増え、無保険で乗っている人間が増えている。

(6)日本人の品性が下がり、事故当事者がごねて交渉が長引くようになった。

(7)警察がハイテクを駆使し、現場に厳しいノルマを課して、違反者検挙に血眼になっている。

(8)過失運転でも大きく報道され、厳しく罰せられるようになった(クルマというのは必要悪という認識であり、過失致死であれば罰金で済んだり、重過失や累犯であっても数年で出てくるものだった。ただし民事は別)

慎重な人間は自分では運転せず、他人に運転させるものです。それでも自分で運転しようとするのは、これからは趣味の世界であり、それなりの覚悟とカネのある人がやる行為となっていきます。生活の為にやむなくクルマを運転しなければならないというのは、ハイリスクでコストがかかる行為です。ですから、これからは地方や郊外ではなく公共機関やインフラが発達している都会で生活するというのは、その意味でも賢明な事なのです。

そして日本は病人だらけの先進国となった

日本における、一般庶民の食事の貧しさには驚くものがあります。何が「世界に誇る和食文化」ですか(笑) カップ麺やペットボトル飲料に代表されるような、ゴミ食品をほとんどの日本人どもは食わされているのです。

精製された炭水化物・砂糖に、精製塩、化学調味料、そして化学的に抽出された植物性油脂などなど、天然成分はひとつもありません。カネを払って、こんな化学薬品というか毒物を、毎日食っているのです。そしてそれをどうやら旨いと思っている。

貧乏人はまともな肉や魚、そして本当の砂糖や天然塩、バターやクリーム、新鮮な野菜も食べられないのです。買えるのは、まがい物の化学合成品だけです。

そもそも日本人が大好きな白いご飯や麺、あんなものは嗜好品、お菓子に近いものです。あれを主食と称して沢山食っている所からして間違っています。肉や魚など良質なタンパクはほんの少ししかありません。さらに政府やメディアが後押ししている化学合成の毒物食品、これで大勢の人間が病にかかって、くたばっているのに、誰も知らんぷりです。

なぜ日本だけ突出して認知症やボケ老人が多い国になったのか、分かっていながら手を打たない。それどころかまともな老人からも免許をとりあげ、邪魔者扱いをしようとする勢いです。地方の小型店舗を潰して、大型ショッピングセンターを建てさせたのは誰だったのか。地方ではクルマが無ければ生活できないのです。大手コンビニチェーンは、これまた酷いリサクル食材を使っています。これほど人命を軽視している国は世界にそうそうありません。

しかしこの事を指摘しても、日本人は何のことか理解できない、それどころか、自分が良いと思っているものをけなされて不快に思うのです。まさに豚に真珠です。

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。(マタイ書7:6)

ルシファーの「終わり来る来る」詐欺と、本当の終わり

近々、聖書の黙示録に書かれているような、恐ろしいこの世の終わりが来るのでしょうか。第三次世界大戦や天災、地震、疫病が世界的に起こって多くの人々が死ぬのでしょうか。そして正しい人だけが携挙(天に挙げられる)されるのでしょうか。

ルシファーがこの物理世界を粉々に破壊するというのはあまり考えられないことです。というのもルシファーはこの箱庭世界が大好きだからです。この世界でうごめく人々を愛しているのです。

もうすぐ第三次世界大戦が来そうだとか、金融危機、経済危機が来るだとか、NWOイルミナティ人工知能による支配だとか、地球温暖化だとか、大地震が来るとか、様々な可能性が語られますが、これらは一種のショックドクトリンです。人々を疲弊させ、堕落させ、最終的に「終わりなんか来ないんだ」と思わせるのが目的です。しかし終わりは来ます。それも突然にです。ですが破壊的なものではありません。

イエスはこう述べています。

ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。(マタイ24:27)

しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。(マタイ24:29)


稲妻は光です。光が東から西に閃くのは、ほんの一瞬です。この物理世界は天界の住人からすれば、コンピューターの中のシミュレーションゲームのような世界です。OSを予め入れ替え、データのバックアップをとり、この世界のありようを変えるのは、コンピューターのリセットと同じで、ゲーム内の住人の意識からすればほんの一瞬の出来事にすぎないのです。

その時、世界のありようは全く変わってしまうと思われます。太陽や月、星々は無くなり、山々や海も消え去ってしまうかもしれません。何故ならノアの洪水前はこれらのものは地上からすると無いものだったからです。エデンの園時代は、さらに世界の様子や人間の形状さえも異なっていたと思われるからです。全く変わってしまった新しい天と地(Sky and Earth)を見て、多くの人々はその時震えて艱難と裁きを待つことでしょう。